●自然を忘れた文明
自然の掟に従った日本とは正反対に、自然の克服を目指した文明があった。西洋文明は、力ずくで自然を支配しようとした文明だった。
ヨーロッパで、大規模な森林伐採がはじまったのは、前一五世紀頃のクレタ文明にまでさかのぼる。いまでは見る影もないが、昔のクレタ島は、森の島だった。
ギリシャ本土も同じく深い森林に覆われていたが、それらはみな文明によって伐採されつくしてしまった。
木が切られたため、風雨によって表土が流出し、石灰質の岩が至る所で露出するようになった。あのギリシャ独特の白い石灰岩がむき出しの風景は、古代文明が自然破壊をして行き着いた結果だった。
ヨーロッパ大陸も、昔は深い森に覆われていた。昔のヨーロッパ人は、森の民だった。キリスト教に出てくる聖霊は、ヨーロッパで広く信じられていた森に住む神のことである。その土着の神が、キリスト教の布教のために取り込まれたのだった。
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ヨーロッパの小説で、しばしば悪役として登場するドルイド僧が、ヨーロッパの森を守っていた。その森を切り開き、際限なく農地を拡大させたのが、教会である。教会は、森の番人とその宗教を追い出し、見境なしに森を切り開かせ、豊かな大地から徹底的に搾取させた。
島国であるイギリスも、同じ運命をたどった。むしろ徹底していたといってもいい。農地や牧草地のために森林が切り開かれ、ほとんどが消滅してしまった。
森林資源が枯渇したため、たまたま産出した石炭が使われるようになった。
そしてヨーロッパの大森林地帯は、大半が消滅してしまった。むき出しになった表土は流出し、農地はやせ、日常生活に使う薪にさえ困る有り様になった。沿岸の森林を切りつくし、乱獲を続けたため、豊かな地中海まで死んでしまった。
自然を破壊しつくしたヨーロッパに、自然は存在しなかった。自然でなくなった弊害はそこかしこで吹き出していた。そこで破壊した自然を取り戻すべく、河川に造った人工の護岸をなくし、平野へ植林するようになった。
ヨーロッパの森林は、人間が植えた人工の森であり、川は自然を模して造り直されたものなのだ。自然にはない妙に整った秩序さがあるのも、人間によって造られ、管理されていたせいだ。
欧米人が自然界をやたらと恐れたのも、本物の自然を知らないせいだった。他の文明に残されていた自然と接したとき、人間にコントロールされていない自然では、何がおきるかわからない不安が先に立ったので、そのせいで自然はすぐに猛獣やヘビ、ワニが襲ってくる危険な世界にされてしまった。
そして自然を忘れ去った文明は、ただ金儲けの一点で暴走し続けた。アメリカ大陸に渡った人々は、ヨーロッパでやった破壊をもう一度くり返した。
その昔、アメリカの東半分は、深い森林に覆われていた。現在のカナダや南米のような大森林地帯が、一帯に広がっていた。当然、そこに住んでいたインディアンは、森の民だった。そこへ進出してきた文明は、森に住んでいた人々を追い出し、豊かな森林を根こそぎ切り倒してしまった。
ヨーロッパ人にとって、西インド諸島やアメリカ大陸を覆う森林は、金のなる木としか映らなかった。当時の森林資源をいまの感覚でたとえるなら、巨大な油田(燃料)と鉱山(資材)が、そこら中に生えている状態だったからだ。さらに森林を切り払えば、タダの土地まで手に入る。どちらにしても、儲かることに間違いはなかった。
欲望のおもむくままに、温帯林をあらかた切りつくしてしまうと、今度は北米の寒帯林や中南米の熱帯林を伐採している。もちろん伐採は、アフリカでも、南アジアでも、オセアニアでもおこなわれている。
数十年ぐらい前になって、ようやく自然の重要さを訴える人々があらわれ出した。しかしそのような人々も、まず自然を調査するところからはじめる必要があった。自然を忘れ去った文明は、自然とどう接したらいいのかわからなかったからだ。そして生まれたのが、自然保護運動である。
自然を利用することしか考えなかった文明が、ようやく自然とのつき合い方を模索しはじめた。革命的な変化であるが、人間が自然をコントロールする点では何も変わっていなかった。残念なことに、結局はヨーロッパの常識をそのまま持ち込んだに過ぎなかった。
何でも自分の思い通りにしてきた文明だったが、こればかりはいくら望んでもかなわぬ夢だった。自然界の驚異的ともいえる微妙なバランスを知れば、コントロールなどとうてい不可能なことがわかっただろう。
森林が、そのいい例である。森林とは、幾多の動植物が、微妙なバランスを保って生活している生き物のコロニーである。だから人間は森林を創る手助けはできても、森林そのものは創れない。木が生えていれば、森林ではないのである。
動物保護も、目先のことしか考えない欧米人らしい発想だった。自然界のバランスを知らず、また考えもしない人間が、特定の動物だけ保護するのは、自然の摂理に逆らう行動である。全体のバランスを考えていないから、今度は増え過ぎてしまい、そのせいでさらに生態系を破壊する過ちを犯している。
西洋文明が自然を失ったのは、人間と自然のつながりを切り放したせいである。
あくまで人間中心の文明だったため、自然とは力でねじ伏せるもので、共に生きようなどとは考えてもいなかった。いまでも「生き延びるために自然と闘う」姿勢は変わっていないのである。
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西洋文明の常識 森川 明氏著
本論文は以前ホームページ上で公開されていました。
大幅に加筆されたものが工学社によって出版されています。
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