●西洋文明の無責任な押しつけ
多様性を認めない文明は、世界中の文明を否定して、自分の常識を押しつけてきた。植民地時代には強制的に従わせ、第二次大戦後は、ラジオとテレビがその役割を担った。とくにテレビの影響力を熟知していたからだ。
テレビの情報伝達能力は、脅威的だった。テレビが普及すると同時に、新しい西洋文明の常識が、一気にお茶の間に流れ込んだ。その結果、生活様式から習慣まで、かなりの部分が西洋文明の常識で均一化されていった。近年になり急速に世界が文明化したのも、テレビの普及と深い関係がある。
同じ西洋文明化でも、異文明では、制度面の変更が先行した。あくまで表面的な欧米化だったが、それでもまったく違う文明の制度を取り入れるとなると、大変な努力が必要だった。基本的な価値観が違うのだから、生半可なことではない。
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さまざまな苦労を重ねた結果、世界は驚くぐらい変わったが、それでもいまだに文句をいわれる。「どうして違うんだ」と嘆くさまは、我々には異様に映るがその気持ちもわからないではない。何せ、自分たちがやっていることが、すべてにおいて正しいと信じ込んでいるからだ。
だからといって、欧米のいうことにいちいち従ったとしても文句が絶えることはない。たとえ欧米を見習って、完全に文明化してもだめなのだ。なぜなら、西洋文明の常識は、あたかも流行のように変わっていくからだ。
そのため、すべての西洋文明の常識を受け入れたとしても、また変わるたびに文句をいわれるのがオチである。信じられないほど身勝手な文明のせいで、流行遅れになった国がいつもひどい目にあっていた。
少し前の話しだが、シンガポールで罪を侵したアメリカ人少年の刑罰で、国際問題にまで発展した事件があった。シンガポールの刑罰であるムチ打ちの判決が出ると、ビル=クリントン大統領は、それを野蛮だと非難した。その後、同じくイランのムチ打ちでも、野蛮呼ばわりした。
既に述べたが、ムチ打ちは、欧米が長年使っていた刑罰である。犯罪者だけでなく、親や教師が子供に対して、日常的に使っていたお仕置き道具である。ついこの間まで西洋文明の常識だったムチ打ちを、野蛮だとののしったのだ。
これがもし欧米では「昔からムチ打ちは野蛮だった」というなら、まだ理解もできる。実際は、自分たちがついこの間までやっていたはずの刑罰を野蛮呼ばわりしたのだから、非常識極まりない発言である。
それにも関わらず、世界の国々は、西洋文明の常識に従わされている。その文明では自分が作った常識が都合悪くなったり、不要になったりすると、簡単に変更したり捨ててしまうのにである。
ファッションなどの流行が変わっていく話しなら、興味がなければ無視していればいい。だが、一般常識までが頻繁に変ってしまうとなると、大問題である。
西洋文明の常識に合わせることが、いかに大変で、いかに意味のないことなのかに気づくべきだろう。
西洋文明は、変わる文明である。とりわけ、近年のすさまじい変わりようは、尋常ではない。我々の文明では、百年たっても基本的に何も変わらなかったが、西洋文明は、たった百年で何から何まで様変わりしてしまった。
我々の文明が変わらなかったことを、西洋文明は「停滞」と呼んで軽蔑したが本当は「安定」していた。安定していたからこそ、変わる必要がなかった。いつも同じことを「くり返す」ことで、悪い点が減っていき、次第に「洗練」されていった。だから過去に学ぶべき点が多いのである。
一方、欧米は、あまりに変わり過ぎるため、これまで築いた実績がまったく蓄積されていない薄っぺらな文明である。ひとつ悪い点が解決されても、その頃には何倍もの悪い点が生まれているのだから、お話にもならない。
いつも新しいことばかりやっているので、過去に学ぶべき点がほとんどない。すべてが新しいので、今後どうなるのか見当さえつかない。恐ろしいことに、日常生活をギャンブル(実験)で生きているのだ。
西洋文明は、変わることを「進歩」と呼んでいるが、これは自殺行為である。
絶えず変わることは、非常に不安定であり、危険なことを意味している。欧米は変わることで、滅びの道を突き進んでいるのである。
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西洋文明の常識 森川 明氏著
本論文は以前ホームページ上で公開されていました。
大幅に加筆されたものが工学社によって出版されています。
西洋文明の常識
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