●家庭を守らなかったツケ
家庭の仕事の中で、一番大変なのは子育てだろう。ちょっと考えてみても、自分では何ひとつできない泣いてばかりの動物を、言葉の話し方からものの考え方、さらには、人間社会で生きていくためのしつけやモラルまで教え込み、ひとりの人間にまで育てあげなければならないからだ。これを子育てというたったひと言ですましてしまっては、失礼ではないかと思うぐらいである。
この大事業をいとも簡単にやってのけていたのは、先祖代々、母系で伝えられてきた子育ての文化があったお陰である。女性運動家たちは、女性が文明を底辺から支えてきた事実を顧みず、ただ男女平等を叫んで、従来の社会制度や文化を問答無用でぶち壊したのである。
西洋文明では、元々自己犠牲を嫌う傾向があった。他人のために何かをつくすことを極めて宗教的な行為、つまり聖職者がするような行為と見なし、一般の人間がすることではないと考えていた。
子育てが軽視されたのも、やはり子供のために、自分の人生を犠牲にすることと考えたため、あまり子供を大事にしない歴史的な背景があった。
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経済的に余裕のある家庭なら、大抵メイド任せ(昔は乳母)にして、自分で育てない場合が多い。さらに金持ちの子女になると、すぐに寄宿舎や寮に預け面倒な子供を放ったらかしにするのである。
すぐに親離れさせることを、日本では子供の自主性を育てるためだとか、好意的に解釈しているが、現実には放任しているだけだった。
子供のことをかわいがっているように見えても、子供を人形扱いして、着飾らせているだけのことも多い。人形遊びをするとき、人形の気持ちなど考えずに一方的に遊ぶと思うが、それと同じことを子供にするのである。
大人社会の文明では、子供は大人の理屈に従うことを強いられる。子供には人格が認められていないので、認められるためにも必死になって大人ぶろうとする。
小さいくせに妙にませた子供が多いのは、そのせいである。
子宝といって、子供を大事にしてきた文明では、わけを聞いてもなかなか理解できないのではないかと思う。
自由と平等のほかに博愛というものがある。博愛は、キリスト教の教えにある隣人愛に基づいたものだが、なぜかこれだけはあまり叫ばれない。そのわけは、博愛を信じている人間など、ほとんどいなくなってしまったからだ。自分の子供さえ気をかけない人間が、赤の他人など愛せるだろうか。
近年になると、人種を越えた人類愛を訴えるようになった。もう一度、基本に立ち返ろうとする姿勢はわからないでもないが、それを主張する文明は、隣人を愛すどころか虐殺して財産を奪ってきた。二千年かけてできなかったことが、どうしていまになったらできると思うのだろう。馬鹿げた理想をいう前に、まず自分の子供から愛して欲しいものだ。
西洋文明は、面倒な子育てをしたくなかったため、昔から色々な手段を使って逃れてきた。そして最後に、平等の大義名分を使って完全に逃れた。女性が子供を捨て家事を捨ててしまったため、ついに家庭が崩壊し、機能しなくなってしまった。
その影響で、子供のモラルやしつけそして教育までが、極端に低下した。放任された子供たちの情報源は、ほとんどがテレビか映画であり、それらが厳格なモラルを悪と見立て、それを壊すことを楽しむ番組(欧米には実に多い)を垂れ流すため、わずかに残っていたかけらさえ奪われてしまうのである。
実は、ジャズ・エージと呼ばれた一九二〇年代にも、一九六〇年代に良く似たモラルの低下がおきていた。第一次大戦後、婦人参政権の拡大により、少しずつではあるが、女性にも権利が認められるようになったからだ。
いまからは想像もつかないが、欧米は女性に厳しいモラルを強いてきた文明だった。文明のモラルを最後の一線で保っていたのが、女性だった。ところが、女性の発言力が増すと、堕落した男性を諭すどころか、自分たちだけがモラルを強いられるのは不平等だと考え、男性と同じように放棄してしまうのである。そのせいで女性が権利を手にすると、文明全体のモラルが一気に低下してしまうのだ。
一九二〇年代以降の世代から生まれ、成人したのが、一九六〇年代の女性である。一九七〇年代に、旧来の価値観が大きく変化したのは、子育てをする女性が大きく変わっていたせいだった。
このリベラルの改革に、真っ向から反対したのが保守勢力である。保守勢力とは、強いもの、すなわち金持ちを優遇する政党である。昔の価値観を擁護する保守は、一見家庭を重視しているように思えるが、少数の金持ちのために、多数の弱者を切り捨てる現実を見れば、むしろ逆であることがわかるだろう。
保守勢力は強いアメリカを合い言葉に、強者優先の政策を押し進めた。その結果、巨額な財政赤字と急速な産業の空洞化を生み、いまではアメリカの労働者の七十%以上がサービス産業に従事している。しかも、ほとんどが技術を必要としない単純労働のため、労働者の平均年収は年々低下している。
既に述べたが、経営者は、労働者の首を切ることを何とも思っていないので、人々の生活は非常に不安定である。それに強者優先の政策が追い打ちをかけたため、貧富の差が一層拡大し、共働きをしなければ暮らしていけない低所得者層が激増した。
平均的な家庭では、共働きをしないと貧困層に陥るのだから、選択の余地などない。昔のように、働きたいから働いているのではなくなった。そのせいで、好むと好まざるとに関わらず、子供を保育所やベビーシッター任せにしなければならなくなっている。
家庭の崩壊にとどめをさしたのが、教育の質の低下だった。財政難を理由に、民主主義では絶対に必要なはずの教育予算が削減されたからだ。公立学校では、満足に先生も雇えなくなり、優先度の低い音楽や美術の授業がカットされた。教育の崩壊は、子供にしつけをする最後の砦が崩壊したことを意味している。
かなりの時間が経過した後、ようやく反省の風潮がおこり、学校や家庭が見直されるようになった。とはいえリベラルが失敗したので保守化し、保守が失敗したので、またリベラルにするといういい加減さでは、家庭を救えるはずもなかった。
アメリカの最大の問題は、どちらに転んでも、家庭の崩壊が止められないことにあった。リベラルと保守が、政権を交代するたびに両極端な政策を続けたため社会を保つ基盤が滅茶苦茶に破壊されてしまったが、どちらの政党も、この問題を真剣に修復しようとはしなかった。
現実問題として、いまアメリカで問われていることは、家庭の崩壊を止めることではなく、崩壊してしまった家庭をどう救ったらいいかである。たとえ家庭がなくても、子供は大きくなる。それを放置してきたため、子供が大人になり家庭を持ったいま、問題が顕著になったからだ。
いまのアメリカには、自分さえよければいい自分勝手な人間が驚くぐらい増えた。他人が迷惑していようが、気にもしない。個人の自由が横行し、だれもが好き勝手にやる風潮が社会を蝕んでいる。
義務こそなかった自由だが、自分のおこないには、責任があった。自由を手にする代わりに、それ相当の責任をとる。それが社会の決まりだった。それもいまでは、みな「自分は悪くない」と何をやっても自分の責任を否定するようになった。
モラルやしつけが身についていない大人が増えたため、最低限のモラルさえ持たない子供(大人)が急増した。街中では、犯罪が絶えない。何せ、人を殺すことに何の感情も持たない人間が存在するのだから、この種の犯罪を一般の犯罪と同列に並べても良いのかと疑問にさえなる。
いくら逮捕したところで、刑務所はどこも満杯である。だれかが入れば、だれかが出てきてしまう。たとえ重犯罪を犯した人間でも、仮釈放などで減刑され、数年で社会へ舞い戻ってくる。そのため、仮釈放された凶悪犯が、また凶悪な犯罪を引きおこす悲劇的な事件が多発している。
すべての社会秩序が破壊されてしまったアメリカでは、もう何がおきても不思議ではなくなった。都市部では日常生活がサバイバルゲームであり、明日自分が生きていることさえ保証できない状況にある。
問題の深刻さは、犯罪の年齢層が年々低下していることからも、明らかである。
子供に未来を託すどころか、世代ごとに悪くなっていく社会に、どんな未来があるというのだろうか。
これがアメリカが求めた、自由と平等の結果である。そして、これが西洋文明の常識でもある。欧米はいつも新しいことばかりやろうとするが、新しいことを試みるとき、それがもたらす負の面をまったく顧慮しないのだ。
新しいことをするのが、すべて悪いわけではない。問題は、新しいことをするとき、古いものをすべて否定して、捨て去ってしまうことだ。古いものでも、何らかの形で引き継がなければならないものがある。
たとえば、「女性が家庭を見捨てたら、だれが家庭を守るのか」である。
日本では、女性に家計を一任して、財政面での実質的な権限を与えることで、専業主婦に関しては、日本なりの男女平等を達成した。
一方、欧米は、すべての秩序を破壊して、女性でも男性と同じことができる決まりを作っただけだった。驚いたことに、それを男女平等と呼んでいるのである。
だから、現実の世界をのぞくと、ほとんどの男性は家事をやらないので、結局は女性がやっている。社会へは出たが、仕事に家事、さらには子育てまでこなす重労働を強いられたため、それが嫌な女性は家庭を放り出してしまった。
何でも平等にしろといっても、口でいうほど簡単ではない。共稼ぎでも家庭が保たれている場合は、大抵、女性がスーパー・ウーマンになっているはずである。男性が家事に協力する理想的な家庭など、現実には少数しかなかった。
西洋文明は、目先の欲望だけで、新しいものを際限なく取り込む文明である。
とにかく古いものをぶち壊せば、未来が開けるだろうというぐらいしか考えていないから失敗する。自分のことしか考えない文明は、後のことまで考えたりはしないのである。
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西洋文明の常識 森川 明氏著
本論文は以前ホームページ上で公開されていました。
大幅に加筆されたものが工学社によって出版されています。
西洋文明の常識
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