●欧米型民主主義のはじまり
現在の民主主義は、ギリシャのアテネではじまった制度である。民主主義を語るなら、やはり原点に立ち返って、民主主義の興りから学ぶべきだろう。
ギリシャの民主政治が、現代ともっとも異なる点は、直接民主制だったことである。ギリシャ人はあまり大きなことを好まず、国家を作ろうとしなかった。
直接民主制が生まれたのも、ポリスに住む市民が少数だったからだ。
ギリシャの民主政治は、さまざまな変化を遂げていったが、最終的には、ペリクレスという有能な指導者によって完成された。ギリシャでも、徳を持った指導者がその能力を発揮することに行き着いていた。
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これは明らかに徳治政治であり、我々の文明と同じ結論に達していた。欧米型民主主義の基礎となる多数決は、指導者が独裁者にならないための単なる予防策に過ぎなかった。
実はアメリカでも、初期にはこの理想がうたわれていた。西洋文明の理想主義国家として生まれたお陰であるが、いつも理想はビジネスにねじ曲げられ、ほとんど理想で終わってしまうのが現実である。
もし議会制民主主義をするなら、徳の高い指導者と、国民投票による直接民主制をうまく併用させる必要があった。ところが、利権がらみの政治家が実権を握るために、自分たちにもっとも都合のいい多数決偏重と議会偏重の制度に作りかえてしまった。
だから、いまの民主主義は、わずかでも過半数を上回っていると、正しいことにされてしまうのだ。たとえ、どれだけモラルに反しても、多数決の数の論理で決められた法律によって正当化できるからだ。民主主義の幾多の矛盾は、はじめからその方向性が間違っていたからだ。
ギリシャの民主主義は、とても万人のためのものとはいえず、単純に現代と比較することはできない。とはいえ、たくさんの意見が飛び交う民主主義では、全体をまとめる統率力を備えた良識のある指導者の存在が不可欠であることは間違いないだろう。
アメリカでは、全体をまとめる指導者の役割として、大統領制を採用した。大統領が、現在のような強大な権限を持ったのは、フランクリン=ルーズベルト以降である。これは世界大恐慌や第二次大戦といった時代の難局を乗り切るために大統領に強力な権限が与えられたからだ。それ以降、アメリカの大統領には、強いリーダーシップが求められるようになった。
指導者の存在は大切だったが、残念なことにアメリカの大統領は、徳をともなった徳治主義ではなく、西洋文明の常識である国益主義(利益至上主義)を基本にしている。欧米の首脳は、ほとんどがマキャベリストであり、目的(利益)のためなら手段を選ばない支配者なのだ。
利益を第一とする文明では、昔から政治はビジネス(個人の利益)で動かされるのが常識だったが、それでも建て前らしきものはあった。ときには、ビジネスより建て前が勝つこともあった。それもいまではすべて利益優先になり、金儲けと政治がほとんど一体化してしまったようだ。
いまのアメリカの政治家を見ると、昔のような遠回しではなく、直接支持団体の利権にからむ代弁しかいわなくなってしまった。民主党の寄付金の額により、政府高官と話しができる特典に至っては、絶句するしかない。恥も外聞もないとは、このことをいうだろうか。アメリカの政治腐敗は、行き着くところまできたといえよう。
冷戦が崩壊した影響で、従来の政治の建て前が消滅し、確かにリベラル(民主党)と保守(共和党)の垣根は低くなった。とはいえそれは、違いを際立たせていた時代から、受け狙いの人気取りに走るようになったせいだ。政党間の違いがなくなっても、すべてが金儲けと直結する政治では、民衆のためになるわけがないのはいうまでもないだろう。
西洋文明の民主主義は、進むべき方向が間違っていた。支配の基本からして、誤っていた。それにも関わらず、世界中に誤った民主主義を押しつけてきた。そのために世界で何がおこったのだろうか。ぜひ、目を背けず、真実を直視して欲しい。
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西洋文明の常識 森川 明氏著
本論文は以前ホームページ上で公開されていました。
大幅に加筆されたものが工学社によって出版されています。
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