●ほとんどの植民地が味わった悲劇
「歴史は、勝者が作るもの」である。ヨーロッパの熾烈な競争に、最後まで勝ち残ったのが大英帝国だった。
イギリスは、スペイン、オランダ、フランスなどの列強国をなぎ倒して、最後まで勝ち残った国だけのことはあった。金儲けのためなら手段を問わず、自国民を含め世界中の人々を不幸に陥れることで繁栄した国だったからだ。
その一方で、自分に不都合な悪事は巧みに隠し、外部に広まらないよう努めた。
だから世界各地で一番悪事をやったのに、イギリスの悪行はほとんど表に出てこないのだ。
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巧みな宣伝のせいか、「西洋文明が植民地で善政していた」とかいう作り話を本気で信じている人が意外と多い。その真相は、植民地支配をする前に抵抗した現地の英雄を、とくに支配者層を皆殺しにして、反乱の芽を徹底的に摘んでいたため、表だった抵抗運動がなかっただけなのだ。
とはいえ、世界が体験した植民地の歴史を少しでもひもとけば、いかに残酷で容赦のない支配を受けていたかがわかるだろう。
イギリスの植民地になった国のひとつで、代表的な国がインドである。インドは長らく世界の最貧国に甘んじてきたが、ほんの二百五十年ほど前は、経済的、文化的に発展したとても豊かな国だった。インドが貧困に喘いでいたのは、イギリスが豊かな富を強奪して、インド経済を徹底的に破壊したせいだった。
当時のインドは、木綿産業を筆頭にさまざまな産業が発展していた。もちろん西洋文明では、インドからの輸入品がとても珍重されていた。ヨーロッパの東インド会社は、インド貿易の中でも、とりわけ人気の高かった木綿(キャラコ)や香料の買いつけで、利益をあげていた。
しかし当時のヨーロッパには、まだまともな産業がなく、インドに輸出できるだけの優れた産物がなかった。そのためインドの産物を仕入れるには、直接、銀で買うしか方法がなかった。もちろん、買いつけるだけの銀を持っていたのは、アメリカ文明から略奪してきた多量の金銀財宝があったからにほかならない。
ヨーロッパとインドの関係は、一八世紀中頃に激変した。フランスに勝利したイギリスは、さらにインド連合軍を敗ってベンガル地方の徴税権を手に入れるとイギリスの一方的な略奪と搾取と破壊へと変わったからだ。
イギリスは、インドの木綿製品を捨て値ほどの安さで、しかも、強制的に買い上げた。略奪と搾取は容赦なく続き、豊かなベンガル地方が大飢饉に見舞われるほど、人々は抑圧された。
一八世紀後半にはじまった産業革命の発端は、人気の高かったインド木綿が輸入されると、イギリス国内の毛織物産業が圧迫されてしまうためだった。そこで、本国でも大量生産すべく、木綿産業の機械化が試みられたのである。
もっとわかりやすくいうなら「アジアの優れた産業に、自国の産業が押しつぶされそうになったため、アジアに勝る産業を作り出す必要に駆られた」のである。どうしてあれほど産業革命を重要視するのかも、理由がわかれば簡単なことなのだ。
産業の機械化とは、最大のコストである人件費を減らすことである。イギリスは、徹底した合理主義を貫き、自国の労働者を切り捨てて、さまざまな工作機械を導入したため、次第に生産性が上がってくると、卑劣にもそれまで強制的に買い上げていたインドへ売りつけたのである。
イギリスはインド木綿を駆逐するため、木綿産業を弾圧すると共に、機械化で安価になったイギリス木綿をさらにダンピングして売った。これによりインド木綿は壊滅的な打撃を受けたが、それでも飽きたりず、最後には産業全体を禁止にして息の根まで止めた。インドの木綿産業は、イギリスに二度殺されたのである。
インドといえば、ほとんどの人は、マハトマ=ガンジーを思い出すだろう。しかし、近代インド史のほとんどが、ガンジーからはじまり、ガンジーで終わってしまうのは、おかしな話しである。まるでインド人はガンジーしかいないと錯覚してしまいそうになる。
どうして、ガンジーとは直接関係ない歴史が、語られないのだろうか。ガンジーが糸を紡ぐことで訴えていても、それが木綿産業と結びつけて語られることはほとんどない。まるでガンジーの名前だけを有名にすることで、歴史の視点を固定化させ、真実を隠そうとしているかのようだ。
なぜなら、イギリスのすさまじい搾取で、どん底に突き落とされ、飢えと、病と、弾圧に苦しみながら、幾多の戦争に徴用され、ありとあらゆることに利用されたあげく、民族まで分断され、何ひとつ約束を守られずに殺された、数え切れないほどのインド人の姿がどこにも見えないからだ。
だが、インドは、特殊な例ではなかった。インドのような悲劇は、世界各地で引きおこされたことであり、決して珍しい話しではなかった。たとえば、南アジアにのびたイギリスの魔の手は、東アジアにも向けられていた。
奴隷貿易の次が、第二次三角貿易と呼ばれるアヘン貿易、つまり麻薬貿易である。イギリスは、インドと中国とイギリスを結ぶ、新たな極悪非道貿易を作りあげたのである。
当初は、中国とも貿易関係を保っていたが、ここでも売る産物がなかったため銀で買いつけるしか方法がなかった。インドでもそうだが、この関係はいかにアジアの産業が発展していたかの証明でもある。
イギリスは銀の流出を止めるために、中国の国力が衰えてくると、それに乗じてインドに「アヘン」を作らせ、それを中国に売って、本国へは「茶」「絹織物」「陶磁器」などを送り、本国からインドへは、例の「イギリス製木綿製品」を売りつけて大儲けした。
もちろん中国は、イギリスの麻薬貿易を取り締まろうとしたが、それにいいがかりをつけたイギリスは、一八四〇年、アヘン戦争をおこした。結果は圧倒的な軍事力の前に中国は完敗し、南京条約が結ばれたが、驚いたことに、アヘンの損失まで賠償させる暴挙に出た。イギリスの歴史では、これが単なる貿易上のトラブルで片づけられている。世界中の麻薬マフィアも、イギリスにだけは脱帽するだろう。
そしてこの南京条約を皮切りに、中国の植民地化が押し進められた。ちなみにこのイギリスが、制限選挙ながら素晴らしい民主主義国家だったとは、実に皮肉な話しである。
アジア、アメリカ、アフリカ大陸の文明は、西洋文明とは異なり、おとなしくて親切で信じやすかった。ほとんどの場合、見知らぬ文明の来訪者を快く受け入れた。まさか、それらの人々が、略奪前の偵察部隊だと疑うはずもなかったからだ。
人々が寛容で実直だったため、手の内をすっかり読まれ、だまし討ちや陰謀を容易にさせ、悪行を増長させる結果となった。金儲けがすべてである文明に、寛容の精神で接しても、寛容で返すどころかスキさえあればつけ込んでくる。そのようにして、つけ込まれたのが、先のガンジーである。
ガンジーは、醜悪な文明に寛容で返したばかりに、大きな過ちを犯した。ガンジーの徳が、イギリスに伝わることなどなかった。世界中でくり返された幾多の失敗からもわかるように、西洋文明が利益至上主義を捨てない限り、これは決して忘れてはならない教訓である。
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西洋文明の常識 森川 明氏著
本論文は以前ホームページ上で公開されていました。
大幅に加筆されたものが工学社によって出版されています。
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