【世界経済を認識する基礎】マックス・ヴェーバーとヴェルナー・ゾンバルトそしてアジア的価値観 《国民経済と経済主体の対立》 下 から続きます。
グローバリズム=ボーダレス社会の行き着く処を想像したい。
行き着くところ、世界は均質化しうるのでしょうか?
世代を重ねれば、ある程度、均質化すると想像できるし均質化に向かっているように見えます。
その場合、労働価値が、正しく評価され、国民経済が評価どおりの労働価値の増減を繰り返す前提が必要条件と思います。
平均した国民経済は、現在余剰がある所から、ない所へ。
豊かなところから、貧しいところへ富が流れて行くのが自然な流れと考え本当にいいのでしょうか。
結局のところ、労働価値は正しく評価増減交換されないのが現実と考えた方が自然だと思います。
労働価値の評価の増減が、必ずしも為替に評価されないという事実も障害です。
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グローバリズムについて 投稿者 Ddog 日時 2002 年 8 月 07 日
例えば、為替のペッグ制がある限り、日本と中国では労働価値の増減が適切に評価されていないと、わたしは考えます。
真のグローバリズムは達成しえない可能性が高い。
その代わり、偽りのグローバリズムは、その美名の名のもとに、あっしら氏の主張どおり、世界経済を侵食していくのかもしれませんね。
ちょっと話は逸れますが、サミット名物のNGO諸君の反グローバリズム運動は、皮肉な結果にはならないでしょうか?
真にグローバリズムが進み、正しく労働価値が評価され、均質化が進んだ場合、先進諸国民は、グローバル化により貧困にあえぐことになる、反グローバリズム運動は、後進諸国民の擁護でなく、実質は先進諸国民の権利擁護運動をやっている結果になるとことになるのでしょうか。
それでも、いまのところ偽りのグローバル化は、あっしら氏の指摘するところの、経済主体(多国籍企業)が反国民的経済略取を行なう論理ではありますので、彼らは、反対されているのでしょうけどね。
グローバル化過程での英国経済と経済主体(露骨にロスチャイルド家ですか?)の分離で説明してよろしいのでしょうか。
没落する経済主体(農園基盤の貴族階級)もあれば、アイルランド(戦前は英国領)の貧しい農民の末裔が、米国保守本流の一部を形成している。
そのことを鑑みると、グローバリズム経済の説明としては、結果論にすぎないような感じがします。
分離して論じることにより、ユダヤ陰謀論と同根の考えに思われてしまう。
真のグローバリズムの最終形は、もしかしたら、江戸鎖国社会の地球拡大版であるような気がします。
論理的根拠には少々乏しいのですが、面白いと思いませんか。
グローバル化が進むと、外の世界が消失して、地球という閉じた社会が出現するわけです。
その時だれが士農工商の役割を演じるか、高度なリサイクル社会の実現は可能かどうかを研究し、正しく政策を策定さできれば、日本の方向性は見えてくるような予感がします。
日本の国家戦略を、高度リサイクルシステム(牛乳パックのリサイクルとかの次元でなくもっと高度な地球生態系維持を旗印にしたとでもぶち上げましょうか。)の構築という、地球江戸時代化計画とでもしてみるのも一考だと思いませんか。
(半分本気です。)
そうすれば、日本人に欠乏している要素、ナショナリズム、希望目標を取り戻すことができる。
経済的動機が始動し、この閉塞した社会が打破できるかもしれないと考えています。
そして、真のグローバル社会の達成できることでしょう。
話が飛躍してしまいました。稚拙な戯言でしょうか?
資本主義の精神について、アジアにおいて、真の資本主義精神は構築できない、など主張したいが、管理通貨制度についてのレスも、また後日書こうと思います。

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