>何派のどこからの経済理論?
現実の経済社会がどうであるかが問題で、何派なのかといった問い掛けは意味がない。
あなたも、自分の言葉で論理を具体的に語ればいいこと。
[ぐじゃぐちゃ書かれている内容について]
先のレスへのご理解がないようで、話がズレてしまっている。
>親が食事を作るのは何なんだ?
GDPとは無関係の活動。
>保育園は何なんだ?
>子供が老親の面倒見る介護は?
>それは、自分が楽して、奢侈にするためだけのサービスか?
>保育園がなければ、女性は働くことが出来ないし、介護事業がなければ、家庭介護の
>悲劇が繰り返されるか、孤老の衰弱死が蔓延するだけだ。
>保育も外食も介護も、必需品だ。
親の一方に就労機会がなく、就労しているほうの可処分所得が少なくても、保育園は利用できない(利用しない)。
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はなはだしい勘違いなのか無理解なのか投稿者 あっしら 日時 2003 年 12 月 13 日
その家族に余裕の可処分所得がなければ介護サービスを受けられないから、身内が面倒を見るか、ほっとくことになる。
「保育も外食も介護も、必需品だ」は政治的スローガンとしてはまっとうでも、経済論理を考えるときには意味がない。
両親ともに就業機会がなければ保育園は使わない(所得が少なければ使えない)し、可処分所得が少なければしたくても外食は避け自炊することになり、介護も余裕のお金があればこそ受けられるものである。
>そんなものより、50インチの薄型プラズマテレビのほうが、よっぽど奢侈財だ。
そうじゃないとは一言も言っていないし、そう思う人は多いと思っている。
機械制大工業の固定資本比率の高さとデフレの関連を説明しただけで、サービスが無用で、財が有用だと説明したわけではない。
>集金のかわりに、銀行振り込みを利用したり、自動引き落としを徹底することは?
>配達の代わりに運送会社に配送を委託することは?
>警備員を採用する代わりに、警備会社に機会警備を委託するのは?
>金融も警備も物流もサービスだ。
>医療も教育も行政もサービスだという意味が理解できるか?
>これらは、すべて必需サービスだ。
必需サービスだと叫んでも、タダではなくお金の支出が伴うものである。
だから、可処分所得が減少すれば、自分の手でできることは自分でやるようになると説明した。
企業も、売上と利益が減少すれば、自前でやるか外注するかを損得勘定で真剣に考える。
>社会の高度化、機能分化が進み、生活の質的向上がはかられると言うことの意味を理解するべきだろう。
勘違いされているようだが、それがずるずると崩れていっているのが日本の現状だから、先のようなレスを書いたのである。
↑じゃあ政府の経済統計部門に無駄な経費をかけるなと言えばいい投稿者 あっしら」 日時 2003 年 12 月 13 日
>ものとサービスを分ける必要など何の意味もない
「何の意味もない」と叫んでいる“ものとサービス”が経済統計指標などで区分されて扱われている意味を考えてみよう。
財の取り引きと活動力の取り引きを分けることは意味がある。
まず、GDPに占める財生産部門とサービス部門の実績や構成比の変動は、その国民経済全体の生産力や経済特性を窺うデータとなる。
財は輸出入になじむが、サービスは輸出入になじまいものである。
商業と金融業で満ちた世界経済社会は夢想であるが、商業と金融業が存在しない世界経済社会は可能である。
>>生存維持に必要な“必需財”・より楽に生活するための“利便財”・快楽や見栄を満たすための“奢侈財”と大まかに区分できる。
>>そして、サービスは、“利便財”や“奢侈財”に相当するものである。
>>機械制大工業の固定資本比率の高さとデフレの関連を説明しただけで、サービスが無用で、財が有用だと説明したわけではない。
>2つの文章の意味していることの整合性がとれていない。
あなたの理解による部分的な切り出しを並べて整合性があるのないのといっても仕方がない。
そして、整合性がないと言うだけではなく、どのように整合性がとれていないかを説明しなければならない。
上のものは、可処分所得変動と消費動向の関わりを説明するための消費の概念的区分であり、可処分所得が増加すれば“必需財”→“利便財”→“奢侈財”という傾向で消費が拡大し、可処分所得が減少すれば、“奢侈財”→“利便財”→“必需財”という傾向で消費が縮小するという説明をしたものである。
サービスは、“利便財”や“奢侈財”に相当するから、可処分所得が減少していけば、“必需財”(日々の暮らしにどうしても必要なもの)より先に除外されるものである。
下のものは、あなたが「サービス必需論」を持ち出したので、サービスを無用のものと言っているわけではなく、デフレ問題とりわけ過剰債務問題と固定資本の関連を説明したものと反論したものである。
(賃貸ではなく不動産取得は固定資本の増大につながるものであり、それを借り入れで賄ったときには、商業部門も同じ問題を抱える。そして、輸出という逃げ場がない小売商業部門は産業部門以上の打撃を受けることもある)
※ 参照書き込み
「
日本が基準とかそうではないといった問題ではない」
異なる事象について説明していることを、何の根拠も示さずに、「整合性がとれていない」と批判するのは頓珍漢である。
>>必需サービスだと叫んでも、タダではなくお金の支出が伴うものである。
>サービスも市場から購入する。当たり前のことを説明している。
>ものとサービスを分ける必要など何の意味もない。
ひとの説明を1行だけ抜き出して、「当たり前のことを説明している」といってもなんの足しにもならない。
上述の説明の繰り返しになるから、簡単に...
戦後高度成長期のはじめ頃までの日本は、もの(財)の購入にウエイトが置かれ、ワイシャツのアイロン掛けの自宅で、衣類の補修も自宅で、家族揃っての外食は年の数度のイベントというものだったのである。
実質可処分所得がさらに増加していったり、夫婦共稼ぎ(所得の増加と家事ができる時間の減少)が増えることで、穴があいた靴下の廃棄・ファミリーレストランの利用増加・大掃除代行など、“ものからサービス”へと消費構造が変わって言ったのである。
このようなことをことさら持ち出すのは、この間の日本が低中所得者の実質可処分所得を減らしているからである。
必需サービスだといくら叫んでも、無い袖は振れない。
保育所の利用にしても、保育所利用料金と就労で得られる実質所得の比較がなされ、お金のための就労であれば、保育所利用料金>就労実質所得のときは就労が断念される(同時に保育所の利用も断念)ことになるだろう。
>>親の一方に就労機会がなく、就労しているほうの可処分所得が少なくても、保育園は利用できない(利用しない)。
>>その家族に余裕の可処分所得がなければ介護サービスを受けられないから、身内が面倒を見るか、ほっとくことになる。
>>だから、可処分所得が減少すれば、自分の手でできることは自分でやるようになると説明した。
>生活水準の低下だね。
その通りである。
低中所得者の実質可処分所得が低下する傾向にある現実の日本は、それらの層の生活水準を低下させているのである。
「自分手で出来ることであっても市場からサービスを調達することによって、自分の働く時間を確保し、収入を得たり、増やしたりすることは経済学の教科書に載っている「機会費用」のこと」と言っても、将来不安を抱えながら自分の家族の生活をなんとか維持しようと頑張っている層は、そういう理屈でお金を使うわけにはいかないのである。
もっとリアルに言えば、月に10万円の可処分所得であれば、自分でできることは自分でして、自分でつくれないものを手に入れるという消費行動をせざるをえないのである。

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