一つだけ前から思っていたことは、ある期間溜め込んだもの(お金)も、全部とは言いませんが、その一部は、村なり、家族なりのために、パーっと大盤振る 舞いをして、使ってしまえばええのではないかと思っています。
溜め込むのが、アホらしいという感覚は、日本人は持っているような気がいたします。
(このあたりも、すごく感覚的な発言だと自覚しております)
この辺りの感覚が、私の「庶民」と呼んでいる感覚です(もちろん、ほめ言葉です)。
お祭りなんかと同じですよね。
「たまったものをパーッと使う」というのは人間の生理にあった感覚です。
私はこれ大事だと思っています。
原理的に言えば、この消費感覚をお金持ちほど深く味わえるのが現在の資本制システムのはずですが、単純にそうとも言えないところに問題の急所があるようです。
たとえば、なんでいまデフレかを簡単に言ってしまえば、使われるべき金が世の中に出回っていない、もっとわかりやすく言うと金持ちがケチで大盤振る舞いしなくなったからです。
なんでケチなのかといえば、2つ大きな原因がありそうです。
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Re: 「タナトス」の「エロス」支配投稿者 まっくす 日時 2004 年 4 月 06 日
1つは構造的な問題です。
いまは金のある国ほど、ものが余っていて使い先がなくなってきています。
積極的に社会資本に投資したり、企業を育てたりという意識が希薄化しつつあると同時に、消費者レベルでも買いたいものがない、欲しいものがないという状態が定着しつつあります。
もう1つは一部の人類の「性癖」が地球全体に蔓延した事態です。
金持ちってだいたいは、子々孫々自分の財産を温存し、資産を増やしながら永久に勢力をのばしたいという拡大志向の人々です。拡大って何かといえば、自分は(仮想的に)「未来に生きたい」という願望といえます。
「未来」のためにいまを我慢するということは、「現在」をどんどん先へ繰り延べる発想です。受験勉強、住宅ローン、すべては決済を繰り延べする方向へ人間を引っ張ります。要するに「いまを生きていない」わけで、もっと言うと「人生という時間をお金に譲り渡している」ことになります。
極論すれば、こういう「性癖」をもつ人たちがパワーを持ち、他の人にもそれを強制しているのが現在の資本制社会です。
私はこれを「タナトス」(=死への情動)と呼んでいます。
未来志向って「現在」を生きないという意味で「死んでいる」ので、社会全体が死への情動にドライブされている感覚です。
この感覚は"彼ら"(世界支配層)に特に強いんだろと思うんです。
「唯一神」志向というのはスタティックで完成形を求めますから、人間にとってそれは「死」に一番近い観念です。
だからこそ、"彼ら"は他人の死をいとわない。
デフレで膠着した世界を切り盛りするために「戦争」を起こしたりします。
「唯一神」信仰を担保にして「タナトス」を最大限に解放することで、新たな「需要」を作り出す行為なのです。
もちろん日本人の中にも「タナトス」は入っていると思います。
けれど、それに倍する「エロス」(=生への情動)が生きていて、そういう感覚が、ぴかりんさんの「村なり、家族なりのために、パーっと大盤振る舞いをして、使ってしまえばええのではないか」というコメントに表れるわけです。
私は、この「タナトス」による「エロス」の抑圧状態を解き放つには、イデオロギーや政治のレベルでは解決不能だろうと思っています。技術的レベルの解決=貨幣の変更が最も文句の出ないところだろう、と。
この辺の部分を、「マイナス族」「インフレ志向」など別の表現で言っている投稿がありますので、よければ参照してください。
「世界はもはや「インフレ指向」を必要としない」
言われてまた理解が進んだと、嬉しく思っているのですが、貨幣の蓄蔵性には、少なからず違和感がありました。頭の中では、もともとのお金の裏打ちがお米なり、芋なりの、劣化するものであるならば、貨幣もそうあるべきというのはわかりますが、腐らずにとっておけるお金は、現実の中では便利です。
ただ、今一度「どうして便利だと思うのか?」と問い直してみれば、実のところ、「持ってると安心」という、何とも説明のしようもない理屈にからめとられていると思いました。でも、どうしたら現実の感覚(=あると安心)から、なくても安心な貨幣に移行できるのかというのは、よくわかりません。
ここで仰っている感覚もよくわかります。
資本制の経済システムは、ぴかりんさんの仰る「便利だ」「溜まる」「なくなっていくと不安になる」という気持ちをすべて逆手にとって、運営されています。
「便利」だから欲しい、「溜まる」から所有したい、「不安」だから働く・・・・・
基本はすべて人間に「足りない」と「怖い」と思わせるところにあります。
これは、「マイナス族」の"彼ら"だからなしえた現代の統治原則です。
我々の不幸は、産み落とされたその瞬間から、この「欠乏」と「恐怖」で統治されている世界へ強制的に参加させられ、競争に駆り立てられる点にあります。
金持ちの方でも「欠乏」と「恐怖」の原則を免れているわけではないと思います。
それは"彼ら"の行動を見ているとわかります。
この点は重要です。ここを見誤ると、"彼ら"をやみくもに敵対視し、感情的に戦争撲滅を叫ぶような、"彼ら"にとって実に扱いやすい人間になってしまいます。
考えてみてください。
"彼ら"だって個体として存在する人間に過ぎません。
閨閥や門閥、コングロマリットや利権・・・・ありとあらゆる手段でスクラムを組んでいるでしょうが、「時間」だけはコントロールできないからです。
どういうことか?
人間は、どんなに富を得ても、将来どうなっていくかは誰にもわかりません。
だから、逆説的な言い方になりますが、一生食うに困らない財産を保有している人々ほど、お金が減ることを恐れるのです。
とりわけ「他者を手段として」生きている富裕層は、いざとなったら生きていく術を実は一番持っていない人々です。「働かない」ことによって罰を受けているといってもいいかもしれません。
そこで"彼ら"は、あまっている金に「働かせる」ことを思いつきました。
「時間差」が富を自動的に生む方法です。これが利子です。
利子を複利方式にすれば、累乗的な速度で元金は膨れ上がっていきます。
リッチな人は「国家」そのものに金を貸して、「目減りの恐怖」から解放されます。
金持ちはますます富み、貧乏人はますます欠乏するおなじみのサイクルが人々を駆り立てます。
「自由競争」、「市場原理」、「適者生存」、「創造的破壊」・・・・・これらの呪文は、ただひとえに、このような「他人の時間の搾取」を正当化し、人々を「欠乏」と「恐怖」によって、あるいは「サクセス」や「功名心」によって、"彼ら"の術中に陥れるための「方便」に過ぎません。
しかし、今日のようにあまりに富の一極集中が進むと、金持ち側でも金を使いたくても使えない事態が出現します。大量に使えば一気にインフレが加速し、せっかく蓄蔵したお金の価値が目減りしてしまうからです(思い出してください、"彼ら"は基本的に貧乏性なのです)。こうして、あっしらさん言うところのフローが停滞し、誰もたいした利潤を手にできない「利潤なき経済社会」が常態化していきます。
おそらく、これは私の勘ぐりですが「環境問題」や「エコロジー」も消費を罪悪視させ、フローを停滞させたまま、"彼ら"の安泰を守るひとつの「方便」であるかもしれません。
もちろん、それだけでは不十分です。"彼ら"の「経営者」意識は具体的な行動となって現れます。それが「対テロ戦争」だろうと思います。
ちょっと長くなりましたが、私が言いたかったことは、世界情勢と個人の生活はお金を介して直結しているということです。別々に解決することはできません。
そして、もっと言いたかったのは、"彼ら"も実は困っているという視点で考えることの重要性です。陰謀論を唱えるのもいいのですが、"彼ら"を憎んでも何も変わりません。
人類の不幸は、"彼ら"の「責任感」が「戦争」として表現されざるを得ないような、「タナトス」による「エロス」抑圧の構造にあるというのが私の見解です。

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