晴耕雨読

淡々と日々の暮らしを立てるために働き続け、木々の緑、雨音、枯れ枝に架かる雪を密かに楽しむ。
老いては老いを楽しみ、若者の成長に目を細め、良い人生だったと感謝しつつ旅立つ。
こんな当たり前の人生が許されない世にはして欲しくありません。

 

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投稿者:【私たちは、"政治が出来る"ことを望んでいるのではなく、"生活が出来る"ことを望んでいるはずです。いったい為政者(含む行政官)側に、本当にそれが分かっている人間がどれだけいることか】その4byにいのり
"極右"候補者本人が、未来型の独立精神に仮に目覚めたとしたとしても、取り巻きや支援者は相変わらずの差別主義者、暴力的排斥主義者ばかりかも知れない。いや、その確率の方がはるかに高かろう。
だから、全く楽観視はできないのだが、その一方でサルコジなる人物を大統領に選出して以降のフランスの凋落は甚だし過ぎ、その「凋落の速度」は「極右の台頭」よりも遥かに危険度が高いとみなすべきではないのか。
だからこそ、サルコジ時代には辛うじて漂っていたフランスの戦後レジーム、あるいはより長期の(残念ながら欺瞞的な)近代レジームは、今度の大統領選でフランス国民によって断頭台に上らされたのではなかろうか。
「左」だとか「右」だとかいう普通名詞を、政治的言説の体系に組み込むきっかけを作ったフランス近代のレジームは、ついにこの度の大統領選によって「極右」と「極金」しか残らなかったという時点で、もはや完全に葬られたのだ。
少なくもフランスの言論界ともあろうものが、そう論ずべきはずだと思うのに、名だたる名門新聞の記者や編集者やらも、結局、既得権の井戸の中で酔っ払っているイカれた連中になりおおせているのだろう、まともな論がなかなか聞こえて来ないのは、いかにも残念だ。
(終)
投稿者:【私たちは、"政治が出来る"ことを望んでいるのではなく、"生活が出来る"ことを望んでいるはずです。いったい為政者(含む行政官)側に、本当にそれが分かっている人間がどれだけいることか】その3byにいのり
にもかかわらず、繰り返すがよほど後ろめたいのだろう、一方が「極右」なら、もう一方はなんと「中道」なのだという。
それとも最近の言説の体系にあっては、「八方美人」や「マーケティングに基づく広告コピーライティング」を「中道」と呼ぶようになったのか。
どう好意的に解釈しようとしても、今日の先進社会にあっては、「新聞」や「TV」といった「大資本」というものと親和性の高いメディア、一般的にマスメディアと呼ばれているものを構成し運営している集団や構成員は、その存在様態が、「社会的発達障害の系」に入り込んでいるとみなす以外、合理的な解釈は困難だ。
思い出してもみよう。
イスラムを侮辱して見せることがあたかも「自由の証」とでもいうかのような倒錯した不遜と傲慢の中にのめり込んで行った連中と、そんな連中を「守る」と言ってみせた為政者ら。
彼らの奇妙なポリティカルなコレクトネスが全世界に知れ渡ったその瞬間から、「自由」は彼らを見放し、みしろ"極右"候補が"真の"「自由」の獲得のために党を離脱し国民の代表たらん事を志向する事態にいたっているではないか。
勿論、所詮、極右は極右に過ぎないかも知れず、きちんと見極め、検証していくのを怠るべきではない。
投稿者:【私たちは、"政治が出来る"ことを望んでいるのではなく、"生活が出来る"ことを望んでいるはずです。いったい為政者(含む行政官)側に、本当にそれが分かっている人間がどれだけいることか】その2byにいのり
ところが、既存の言説体系の中にいつまでも安住し、その体系からしたたる乳だかワインだか蜜だか何だか知らないがそういうヨコシマなものを、いつまでも吸っていたい間抜けでのろまで姑息な「社会的発達障害者集団」とでも呼ぶべき連中は、いつまでもその事に正面から対峙しようとはしない。
なるほど、ルペンとは、フランスの戦後レジームの価値体系に照らせば、確かに「極右」と呼ぶべき存在であるのかも知れない。だが、そんなルペンの主張がそのフランス社会においてすらリアリティを帯びつつあるのは、(マスメディアが言うような)「フランス社会(国民)の右傾化」によるものだろうか、それとも「ポピュリズム」とやらに由来するものと言うべきなのだろうか。
一方、「中道」とやらのマクロンは、評者によっては、露骨なまでにグローバリスト、新自由主義者の特徴を備えているとみなせるようだが、間抜けで姑息なマスメディアの連中は、マクロンのそのような面には一切触れようとはしない。
よほど後ろめたいところがあるのだろう。
仮に公平な言説体系の中に組み込むのなら、もし一方が「極右」なら、一方は「金融パラノイア」とか、あるいは「極金」といった一瞬意味不明の造語をあてがわれるべきおぞましい存在ではなかろうか。
投稿者:【私たちは、"政治が出来る"ことを望んでいるのではなく、"生活が出来る"ことを望んでいるはずです。いったい為政者(含む行政官)側に、本当にそれが分かっている人間がどれだけいることか】その1byにいのり
フランスの大統領選が実施され、多数の候補者の中から2名が絞り込まれ、近日中に決選投票が行われる運びとなった模様です。
洋の東西を問わず、「間抜け」の代名詞になりつつあるマスメディアの連中は、古色蒼然とした「政治的言説体系」に基づき、一方の候補者を「極右」、もう一方を「中道」とラベリングし、私たち日本人には投票権などないのに、それを忘れたなら罰金でも支払う約束でもしているかのように、どんな時でもラベルと固有名詞をペアにして語り続けている。
その上で、何を言うのかと思えば「極右と中道が残ったのなら、中道で決まりだ」と…。
こういう間抜けでのろまな人々に「言説の体系」をこのまま占拠/独占させておいて良いのでしょうか。
良いはずがないと、実は多くの人が思い始めている証拠に、最近の先進国の"普通選挙"では、そういう既存の「言説体系の檻」から抜け出した/解き放たれた人物を選出しようとするモチーフを多くの人が所有し始めていると強く感じさせられるものになりつつある点に注目すべきだろう。
投稿者:【「種子法撤廃策定」というタイミングにおける例えば「銃剣道の科目化」というようなものは、東京で空襲が始まっている最中に竹槍教練をしていたのと同レベルのお花畑右翼、右翼お花畑精神主義の敗北宣言のようなものだろう2】byにいのり
すなわち、米国のアンチポピュリズムにしてポリティカルなコレクトネスとは、米国大統領とはそのように振る舞うべきものなのだという事を象徴化するエピステーメーを強固化させるために組織化されていると知る事が重要なのだ。
なるほど、一旦、自分たちで生み出したモノを「兵器(破壊器)」として用いるのもまた、叡智とは呼べないものの、実に人間らしい、人間にしか生じ得ない現象には違いなかろうが、この現象は、「言語使用」においても「(物理的な)道具使用」においても生じており、構造的には同型であると認識することこそ肝心ということだ。
政治マニアになった/させられた人々は、「新型兵器」のプレゼンテーションともなれば目の色を変えて賞賛してみせるが、その同じ人々が「我々は美しい精神の持ち主である」としきりに強調してみせる…。口先で「愛国」を語りながら種子における権利放棄という「売国」を平然と実行に移す/移せる精神性とはそのようなものなのだろう。
マニアのマニアたる視野狭窄性はしかし、そのような事実を一切問題にしようとはしない。自己欺瞞の本質を自ら解決/解体せんと乗り出すなら、辛うじて保たれていた怪しく危うい精神の均衡が、瞬く間に崩壊の危機に瀕するからに相違あるまい。
投稿者:【「種子法撤廃策定」というタイミングにおける例えば「銃剣道の科目化」というようなものは、東京で空襲が始まっている最中に竹槍教練をしていたのと同レベルのお花畑右翼、右翼お花畑精神主義の敗北宣言のようなものだろう1】byにいのり
(現に自身用いており、それゆえ痛感し、その度に自己嫌悪に苛まれながらも才能の欠如ゆえにまたぞろ用いているのが実状なのだが)哀れにも言語は政治マニア諸氏により、「右」だとか「左」だとか、更には「お花畑」という本来なら人間らしい叡智を作用させる事なしには存続させることのかなわない環境を指す単語ですらも、穢い汚れた精神によって「侮蔑語」に変換され、「政治的な言説の体系」に組み込まれて行く。
ミシェル・フーコーが「エピステーメー」というようなことで絶えず警句的に語っていた事とはそのような事だったと思うのだが、杜撰で乱雑で野蛮な頭脳と精神を有する政治マニアみたいな連中(もちろん自戒的に)によって、言語の、すなわち人間精神の豊かな可能性は、戦争という行為以前に戦争同然の悲惨さにおいて次々と既に摘み取られ刈り取られて行くのが実態なのだ。
ゆえに例えば米国の自称良識は、トランプがナショナリスティックに聞こえるが実際には無害の言辞を弄んでいる内は「トランプはろくでなしの人種差別主義者だ」と非難し、彼が現実に"異人種"に対して爆撃を加えると「トランプは米国の良識を実行に移した」と賞賛してみせる。こういう言説の体系に対して米国の"良心"とやらは見事なまでに無力だ。
投稿者:【(ファシストにしてみれば)セレブチックでアイドルチックな"人道主義者"や"自由主義者"、"民主主義者"を味方につけるのは恥だが役に立つ】byにいのり
国際情報分析家の田中宇氏が「トランプ革命」と呼ぶほどにのめり込んだ米国の政治的ダイナミズムの発露は、しかし、"反革命勢力"によって頓挫させられそうな気配が濃厚に漂って来ました。
私は、田中氏の(一部願望も込めた)情勢分析は正しかったと思っていますし、それは、オリバー・ストーンらの認識と共通するところがあるのは、ほぼ間違いない。
「危なっかしい橋」であっても、セレブやアイドルがキラキラ踊るフロアの地下では残酷な拷問システムが「経済システム」と呼ばれてしまうようなグロテスクさより遥かにマシだと言わざるを得ないのは、(とっても残念で不都合かも知れないが)認めざるを得ない"真実"と言うべきではなかろうか。
"アンチポピュリスト"たちは、ポピュラーな、余りにポピュラーなセレブやアイドルたちに「アンチポピュリズム」を語らせて/騙らせてご満悦の体だ。
まさに日本にあるような"悪徳芸能プロダクション"さながら、「アイドルを使うは恥だが役に立つ」経済原則に従順な冷血動物の皆様。
一方、"プロテスト"ソングの旗手にして、ノーベル文学賞受賞者のディランは、自作ではない米国の古き良きスタンダードに(小声で、しかし力強く)こだわってみせる。
簡単には"政治化"されない良心や徳のあり方を探っているのは明らかだろう。
投稿者:【トランプはポピュリストなどと言いながら彼を政治的に排除したがっていたご立派な人道主義の皆さま方は、彼の今回のシリア爆撃命令をどう評価するのだろうか】byにいのり
(タイトルは勿論、皮肉としての疑問形ですけれど…)
さて、アサドが反対勢力殲滅のためにサリンのような神経ガスを用いたという情報が流れ、それに反応し、米トランプ大統領がシリア政権側の軍事施設に巡航ミサイルによる攻撃命令を下したとのこと。
常識的に考えれば、アサドという人物が突如として自暴自棄にでもならない限り、この情勢下で化学兵器を使うはずがないのですが、いったん米国の敵対勢力に指定されてしまうと、誰もが常識的な判断力や分析力を失ってしまうほど瞬く間に劣化してしまうもののようだ。
そうとでも考えない限り、理解に苦しむ現象ではなかろうか。
そういう不思議な現象に関する情報に触れて尚、情報に真実味を覚える者にしてみれば、アサドは非道な独裁者なんだからやるに決まっているという事なのかも知れません。
しかし仮に地球のどこかに非道な独裁者の支配する国家があり、彼が反対勢力を非人道的な方法で排除しようとしていたとして、彼及び彼の政府(彼の一味)にそれをやめさせる手段として(国連の機能不全を良いことに?)、巡航ミサイルを何十発も撃ち込むというのがベストのやり方なのかどうか、同じく人道的な観点から大いに議論の余地ありと言うべきでしょう。
投稿者:下記から続きとなります。byにいのり
なぜアベシンゾー一味や「日本会議」一味が、ヤクザ同然の集団だと感じるのか。
何か事が起きた時、彼らの反応や対処の仕方を観察していれば、本当は天皇制のみならず、日本の伝統やら歴史やらも、ひいては現に生きて日本国を構成している民衆/国民も(そういう、実際にはややこしく、大変な重荷でありネガティブな要素に事欠かない存在については)どうでも良い、どころか迷惑にすら思っている事が明瞭に「忖度」可能だからだ。
一事が万事、アベシンゾー一味は、先に言及したとおり「首相夫人というものは私人と認識すべきもの」というような閣議決定をしておきながら、その舌の根も乾かぬ内に「教育勅語を教材として用いることは妨げられるものではない」みたいな閣議決定もしたとのこと。
内閣法制局は既に陥落済みだか籠絡済みだからか知らないが、統合が失調しているとしか思えない支離滅裂な"決定"を、自己都合と自己満足と自己欺瞞のためだけに手当たり次第に繰り出してみせて平気だ。
まさに、手持ちの玩具を部屋中にばら蒔いてはしゃぐ乳児レベルを越え、もはや「悪」のレベルに達しているのであり、仮に一千億万が一に内心において善意に満ちていようと「ヤクザとはそうしたもの」だろう。
投稿者:【どんな世界/分野/業界にもマニアな人々が棲息するのは理解できるのですが、"経済現象"として見たとき、マニアに乗せられおだてられあるいはほだされた上で商取引するのは、消費被害直結事例となりやすいとみるべきでしょ(含む寄付行為)】その1byにいのり
私が「マニア」云々にかこつけて現政情に向けて言ってみたいのは次のような事です。
すなわち、政治マニアでもないのに「日本会議」なる異様なマニア集団などに関わって、何か少しは良いことがあるんじゃないかという、言っては悪いですが、さもしい気持ちを起こしてしまっている神社関係者や神職に携わっている方々は、お考え直しの契機が訪れているのではないのですか、という事です。
「日本会議」会員(?)の中には、アベシンゾーなる人物やその一味に過剰な期待や幻想を抱いている方もおられるでしょうし、同様に、市井の方の中にも、「日本会議」なるマニア集団に、過剰な幻想や思い込みを抱いている方もおられるのでしょう。
他者を不当に排除したり酷使したり、ましてや、あやめたり、という事がない限りにおいて、人がどのような思想を抱こうと自由たるべきだろうと私は考えていて、尚且つ、人は他者に極力寛容たるべきだという、謂わば"甘いリベラリスト"のような事を真剣に考えている人間ではありますが、前項でも言及したような「思想的消費被害」のようなものに遭わぬよう、私たちは警戒して生きるべきだと。
「他人の困難や欲望」につけこみ、つけ入るというのはヤクザの常套手段なんだから。
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