“多くの人を結集させ(でき)れば”の部分は、具体的な方法がイメージ湧きません。
現在の大企業が、数千人の労働者を雇用するのみならず下請け孫請けという構造で、ある財の生産のために多くの人の活動力を使っていることそのものをイメージしていただければいいものです。
■ 貨幣の問題
まさちゃん:
貨幣と言うのは、それなりに便利な道具です(吉本隆明に言わせれば「人類の無意識の作り出した傑作」だったかな)。利子取得(と退蔵)さえ禁じれば、貨幣と言う仕組みは「開かれた地域共同体」でも生き残ってもいいのではないでしょうか?
おそらく、その時、あっしら様によれば「貨幣は労働証書(活動証書でしたっけ?)と本質的に変わらなくなる」のでしたよね。
まず、貨幣から利息取得と蓄蔵の機能を取り除けば、貨幣ではなく「活動証書(労働証書)」になります。
「活動証書」とは、貨幣が持つ交換機能のみが生きているものです。
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利息取得ほどではないが貨幣蓄蔵も共同体に害悪をもたらす投稿者 あっしら 日時 2003 年 12 月 16 日
提示された問題は「貨幣の設計」ではなく「活動の設計」によって解消されるもの投稿者 あっしら 日時 2003 年 12 月 17 日
あっしら様のイメージでは、大資本を必要とする集積産業を実現するにはこの「労働証書(活動証書)」の活用だけで十分なのでしょうか?
上述の内容ですから、「活動証書」だけで十分です。
あらゆる財の生産は、自然に対する人々の活動に還元できます。
私は、あっしら様が利子取得の害毒の面を強調されるあまり、貨幣の持つ退蔵性(蓄えて量的に収蔵できること)をも否定されるのは正直いかがなものかと思います。貨幣を退蔵して大資本を形成する・・・そのメカニズムは人類の知恵の内に入らないのでしょうか?
利息取得ほどではありませんが、貨幣の蓄蔵も経済社会(共同体)を歪めるものだと考えています。
なぜなら、人の活動力は保存できないものであるのに、その証である貨幣や「活動証書」を保存する行為だからです。
人の活動力の交換に使われる「活動証書」ないし貨幣が蓄蔵されることになれば、ある部分の活動力がムダになります。
趣味や贈与など交換を求めない活動の意義は大いに認めています。
蓄蔵は、活動力を交換するための「活動証書」ないし貨幣を手に入れる活動のある部分が交換されないままになるということを意味します。
これまでの「近代」でそれが見えにくいのは、「信用創造」という詐欺や赤字財政支出という先延ばし政策が行われているからです。
大資本は貨幣の退蔵によって形成されるわけではありません。
膨大な貨幣を使うことで形成されるものです。
■ 生産と消費
サービスの享受は生産と消費の同時性が高いもので、財の消費は生産と消費のタイムラグが生じるものです。
ちなみに、食糧の代表である穀物を考えれば、年に数度収穫する米や麦を毎日分散して消費しています。
日々費やす活動力は少ないとしても生産過程が長く、消費期間も分散的で長いというのが穀物という財の特性です。
(野菜や果物は、生産過程は長くても、冷凍や冷蔵という保存方法はあるとしても消費過程は短いものです)
このようなことから、基礎的な食糧は家族で賄う自営農民を基礎とした「開かれた地域共同体」を好ましいものだと思っています。
貨幣という「発明品」の素晴らしいところ(?)は、実際は“保存できない”“人の活動力”を一時的に保存して持ち運べるようにする点にあるのではないでしょうか?
結局は、各人が保有を許される活動証書の上限問題や活動証書の受け取りから支払いに至るタイムラグをどう制御するかと言う問題は“開かれた地域共同体”においても残ると思うのです。(これが私の考える「貨幣の設計」ということの意味です。)
「そんなタイムラグや小額の蓄蔵など問題ではない」のかも知れませんが、1人が財布に活動証書を10枚入れて歩いているのと100枚入れて歩いているのとでは、共同体レベルでは流通する活動証書の量が大幅に異なることになるでしょう」と書かれているので、大きな食い違いがあるとは思っていませんが、上述の生産と消費の問題に関わることです。
財のなかには、衣服や耐久消費財のように長期に渡って保存できるものもあります。
しかし、それを生産する活動に従事している人は、その活動の証をもって日々の生活を営むことになります。
ですから、その活動成果が消費されない(買い求められない)で保存されたままであれば、新たな生産活動を行う必要性がなくなり、活動機会を失うことになります。
この問題を解消する方法は、
● 生産を計画的に行って保存(在庫)される財をできるだけ少なくする
● あるときに集中的に生産して、他の期間は別の活動に従事する
というものです。
(望ましい解消方法は、人々に多様な活動の場をもたらす後者だと考えています)
これによって、リーゾナブルな期間を超えた蓄蔵(保存)が起きないようにすることができます。
「10枚入れて歩いている」のは良しとしても、「100枚入れて歩いている」のはまずいということです。
提示された問題は、「貨幣の設計」ではなく、「活動の設計」によって是正されるものです。
金融活動はそのように言えますが、それ以外の交換で持ち運ばなければならないものは、活動力の成果である財であって、貨幣ではありません。
貨幣で貨幣を稼ぐ取り引きは、貨幣を蓄蔵しそれを運ぶ必要もありますが、
■ 活動証書の保存
また、1人が1枚の活動証書を使うのに1日しかかけないのと、1週間思案してから使うのとでは、これまた共同体レベルで見れば活動証書の流通速度が大幅に異なることになります。
この問題も「活動の設計」に関わるものです。
1週間でも1ヶ月でも思案したのち欲しいと思ったら、その時点でその財の生産活動をはじめるというシステムでも構わないのです。
日々の生存必需品はそうはいかないはずです。
それとも、“開かれた地域共同体”では貨幣(活動証書)は、たとえ極々小額でも、たとえ極々短期でも、全く保有は許されない、と言うことなのでしょうか?
そんなことはありません。
前に書いたことですが、保有よりも借り入れのシステムのほうが重要だと思っています。
例えば、住宅の入手です。
5人が3ヶ月かけて建てる住宅を一人で手に入れるとしたら、15ヶ月分の活動証書を蓄蔵していなければなりません。
その15ヶ月のあいだには生存必需品の購入も必要ですから、その数倍の期間を要して活動証書を蓄蔵することになります。
この問題に対応するためには、共同体ないし国家が信用を供与する借り入れが望ましいと思っています。
もちろんそれは無利息で、月々の活動証書から長期に渡って返済することになります。
公的機関が、住宅を建設する5人の3ヶ月分の活動証書を立て替え、購入者が長期に渡って返済するという仕組みです。
最初の文章に戻りますが、人の活動力を物象化して一時的に保存させるのが貨幣と言う道具の役目であって、微塵も蓄蔵を許さない貨幣なんて、なんの役に立つのでしょう(と言うより実現不可能ですよね)?
貨幣は、交換に使われるまで保存できればいいだけで、いわゆる蓄蔵(貨幣資本化)の機能は不要です。

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