地方の疲弊は甚だしく、自治体は再建の道を見失い自信を喪失している様に見えます。歳出の抑制、小さな政府の実現によっては財政再建を計ろうとしている様では有ります。
しかし、今後とるべき政策は、地域における資金循環を活発化させ、遊休している資源を可能な限り活用した上で、新産業の振興支援、公共サービスの質の向上を図るという、ごく基本的な政策であり、財政の再建はその自然な帰結として得られるものであると考えられます。
此処では江戸末期に福井藩の財政を立て直し、維新時には太政官符を発行することで明治国家の礎を築いた由利 公正(三岡八郎)の手法を見て行きます。
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由利 公正(1829〜1909)と言う人物は、福井藩士の子として生まれました。藩同様家計もあまり楽ではなかったそうです。そんな中で、公正は倹約に長けた母を助けながら武芸に励みました。
嘉永4年(1851)には熊本藩士である横井小楠が来福します。”経世済民“に共鳴した公正は、小楠に師事。安政年間には藩主松平春嶽の命を受け、財政難の福井藩を再建します。
藩政で見せた公正の才覚に目をつけたのが、幕末の志士坂本竜馬で、福井に公正を訪ねた竜馬は、新政府の参与に公正を推挙します。「御用金穀取扱方」、今で言う大蔵大臣に初めて公正が就任しました。倒幕を果 たした新政府財政も、以前の福井藩同様苦しいものでしたが、公正は政府初の紙幣(銀行券では無く太政官符という政府紙幣)を発行し、財政再建をはかります。
又、明治元年(1868年)三月十四日、新政府は五箇条からなる国家の基本方針を公布しました。これが世に言う「五箇条の御誓文」です。 この「広く会議を興し万機公論に決すべし」で始まる誓文の原型となったのが、公正が著した「議事之体大意」です
「広く会議を興し万機公論に決すべし」の精神は、活発な議論を繰り返した福井藩での体験が生きています。明治4年(1871)、初代東京府知事に就任。同7年には『民選議院設立建白書』に署名し国会開設を主導しました。
公正は東京府知事就任後、大火災に遭った東京の都市計画も手掛けました。随一の繁華街・銀座通 りの一角に、今も公正の業績を讃える記念碑が残っています。
では、藩財政再建に見せた公正の手腕を見てみましょう。
以下
地域における資金循環の活性化戦略 -幕末の先進事例に学ぶ より引用
由利はまず安政6年(1859年)に藩札を5万両発行した。そのためには、信用の根拠となる正貨を準備する必要があるが、これは藩内の富裕な農民や商人に資金を拠出させた。この藩札を養蚕・生糸などの有望な殖産事業に貸し付け、その生産力を高め、良質品の生産を可能とした。これらの商品を、横浜・長崎に建てた蔵屋敷を通じてオランダ商館に売り込み、大量の正貨収入を得た。入手正貨が3万両に達した頃から、藩札の兌換を始めて回収を進め、わずか3年にして50万両の金銀備蓄を達成した。これにより、藩財政は立ちなおり、当然、失業も大きく減少したと考えられる。
藩札の発行はなにも福井藩の専売特許であったわけでない。江戸初期にもっとも早く藩札を発行したのは福山藩であったと言われているが、その後各地で藩札発行は進められ、幕末までに244の藩(全体の80%に相当)において藩札が発行された。しかし、多くの藩札がハイパーインフレーションを起こし、失敗に終わった中で、幕末における由利の政策は数少ない成功例として記録されることになる。
この藩札発行の失敗と成功を分けたものはなんであろうか。当然、個別の藩ごとの事情はあろうが、一つの要因として、多くの藩が財政の苦境を乗り切ることを政策の第一目的としたため、過剰な藩札発行に陥ったのに対し、由利の政策は民力、すなわち労働資源の有効活用に主眼を置いたものであったことが考えられる。また、養蚕・製糸といった外貨獲得の有望運用先に的確かつ重点的に投資した戦略が大きい。さらには、由利に対する地元富裕商人らの厚い信頼により、藩札がスムーズに引き受けられたことも見逃せない。こうした様々なポイントを押さえた政策であったからこそ、藩札による経済再生が可能であったのであろう。
略
ところで、我が国では「地域通貨」についての関心が高まっている。 そもそも通貨の機能は、交換手段・価値尺度・貯蔵手段の大きく三つだと言われているが、価値観が共有できるコミュニティの範囲で、その交換手段として経済活動を円滑かつ活発にする役割をとくに期待された仕組みが地域通貨である。このため、小規模なコミュニティ・レベルにおける、限定的な取り組みが多い。これをより積極的に地域経済の活性化に活用するためには、たとえば一定の兌換性を持たせた地域通貨(失業者など一部の兌換性を必要とする人に対しては地域通貨を換金する、あるいは地域の商店などの協力を得て、生活物資と交換できるようにする、など)を発行し、コミュニティ・ファイナンスに活用していく、といった工夫も考えられよう。地域通貨に関しては、まだ小規模なコミュニティ・レベルにおける限定された取り組みが多いが、今後はこうした草の根的な取り組みを発展させ、地域活性化のためのツールとして積極的に活かしていくことが期待される。
コミュニティ・ファイナンスはあくまでそのためのツールであり、その導入がそのまま問題の解決に結びつくわけではない。上述した幕末の事例に見られるように、調達した資金をどのように運用するか、それが雇用の創出に結びつくか、さらには地域内の資金提供者からの信用をどのように高めていけるかといった点が、ファイナンスの成否を決めることになる。ツールの導入だけにとどまらない、本質的な処方箋を、先人たちの成功、失敗事例から謙虚に学んでいく姿勢が求められる。
引用終
参考:
地域における資金循環の活性化戦略 -幕末の先進事例に学ぶ
三菱総合研究所

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