晴耕雨読

淡々と日々の暮らしを立てるために働き続け、木々の緑、雨音、枯れ枝に架かる雪を密かに楽しむ。
老いては老いを楽しみ、若者の成長に目を細め、良い人生だったと感謝しつつ旅立つ。
こんな当たり前の人生が許されない世にはして欲しくありません。

 

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投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その121byにいのり
そして、構造的に見ればこれは「原子力発電問題/原子力問題一般」と同等であり、あらゆる事象はコントローラブルであるかのような誇大妄想にしたがって野放図なやり方を続けて来てしまったがゆえに誤魔化しきれない断崖絶壁の手前まで来ているという認識を私たち知性ある大衆が持たなければ、いよいよ専門家側というのは「メルトダウンは起こりません、たとえそれに近い現象が起きてもそれは直ちに健康に悪影響をもたらすものではありません」という(3割の確信に7割のフェイクを混ぜた)「なだめ役をする人」として人前に出て来る以外仕方がなくなりつつあるという事だ。
だから、仮にメディアが、無意識あるいは無知無能ゆえのフェイクニュースを垂れ流したくないのであれば、「専門家の見解は?」などと最初の質問するそばから誤魔化すのではなく、呼んだメンバーに応じて、「なだめ役の貴兄の見解は?そちらのごまかし役の方は如何?言い訳役の貴方は?煽り役の君は?」というふうに、これまた都度正直に、包み隠さず内実を披瀝していくべきなのだ。
逆にそのぐらいのつもりでいないと、いざというときに「既成メディア」は、「信用崩壊」の一翼を担った集団として十二分に攻撃の対象とならざるを得まい。
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その120byにいのり
残念な事に「彼ら」は、世界の人々に絶えざる精神的苦痛をもたらしている事に無頓着なのだ。
このように考えてくると、今日の経済学上の理論的な争いなどというものも、幾重にも波紋化し波状化している「不都合な真実」について、波が到達する都度の対症療法的な弥縫策上の対立に過ぎず、そんな議論に逆に素人(といったって各々専門分野はあるんだよ)の側がいちいち信託やお墨付きを与えることの方が現象的には異常だということになる。
金融政策も財政政策も景気対策もどれもこれも全く無駄という事はあるまい。
だが、自称「法則」が大して役に立たない限りにおいて、経験知/経験値に基づく試行錯誤を延々と続けていくしかないのだという事をまずは行政側が正直に認めるべきなのだし、同時に「伝統的経済政策」が効かないレベルにまで(主要因としては投薬ミスのレベルで)、病状が悪化している事を認めるべきで「説明責任」とはそこに発生している。
「不都合な真実」の根底にあるのは「扱い難きものを扱えるかのように装ってしまっている」という万能感、全能感の過剰演出にあり、わずかながらにも知性のある存在の多くを辟易させるのに十分なレベルにまで達している。
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その119byにいのり
「ダイバーシティ」などと無邪気に宣う人々に本能的な警戒心を抱いてしまうのも、「唯一神の審判に叶ったものだけが多様性の内の一」とみなすべきでそれ以外は一切容認しないとする強迫観念が不可視の領域には横たわっているのではないかということを十分に想定させるからだ。
これではとてもではないが「ダイバーシティ」などと呼べる代物ではないのだが、「暴力」において比較劣位の側が声を封じられるという事が未だに常識的レベルにあろう。
事実、「好意の第三者」でありたいと思っている者からしても、「好意」の持って行きようがなくなってしまうユダヤーキリスト教圏とイスラム圏との間で繰り広げられる「多様性」などという気の利いた概念などどこかに吹っ飛んでしまう軋轢と諍い。
「神の名」さえ口にすれば、無条件に「正義」の側に立てるかのようなファンダメンタリストらの確信が、「ダイバーシティ」どころか終わりなき同族嫌悪として世界に迷惑と困惑とを与え続けている。
「ポピュリズム批判」を口にする者たちの発想の淵源には"排除のファンダメンタルズ"が組み込まれているのではないかとの皮肉や嫌みの一つや二つ口にしても、彼らからもたらされる精神的苦痛より遥かに軽いものだと言っておかなければなるまい。
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その118byにいのり
私たち素人が、ご立派な学問体系に異論をさしはさみたくなり、声を上げること……一体、それは、例の「ポピュリズム」というやつなのか?
素人はだまって専門家の「御託宣」を受け入れていれば良いのであって余計な異論をさしはさむな(答えられないんだから(笑))ということなのか?
そういうところに必ず顔を出す(当人らはあまり頭の回転がよろしくないので無意識に近い)まさに「排除の論理」について考えてみよう。
私は、今、意図的に「御託宣」という言葉を「 」付きで用いたのだが、「御託宣」の辞書的な意味を引くと次のようにある。
御託宣…1神のお告げ。御宣託。2他人の言葉や意見を冗談めかしていう語。
もちろん私は、派生的な2の意味を込めてこの語を選択したのだが、当然、伝統的に唯一神を信仰される方々のコミュニケーションパターンへの皮肉としても用いている。
唯一神信仰におけるファンダメンタリストらによる「近代的な見方からは根拠の薄弱性を指摘しなければならない点」を、彼らはいかにも無神経に「神の名」を唱える事で「倫理問題」に転化してごり押ししてくる。
そういう"常套手段"を、私たちは「経済学」や中東情勢の情報に接する事によって知らざるを得ない事となった。
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その117byにいのり
エコノミストを称する(あるいはまたエコノミストと称する所詮は商人の手下なんでしょというのが丸分かりの)連中が、既成メディアの連中に「専門家の見解をどうぞ」などと言われ、「経済のファンダメンタルズは悪くない」などと「さもオレは経済の秘密を知っている」とでも言いたげな訳知り顔さらしながら宣明したりしている事があるが、そもそも「経済学の教科書執筆者(笑)」は、「経済のファンダメンタルズ」に「天候」や「エネルギー(需給)」(欲を言えば「人間の際限なき欲望」や「人間の想定外の愚かさ」)といった項目は入れなかったのだろうか。
もしそうだとすれば、それは何故か。
「日銀」の黒田なる総裁が、「物価(を上げる)」ということに異様な執着を見せたことによって、私のような素人にも「経済学」の間抜けさとでも言うべきか、「転倒した論理の有り様」が如実に見えて来てしまった。
「にわとり-たまご論争」というのは様々な分野で見られるものだが、「物価」にしろ「雇用」にしろ「生産」にしろ、人間の基礎的経済活動の末の反映であって、人為的に物価を上げたからといって「さぁ経済のファンダメンタルズが改善したので今後は良くなりますよ」とかそういうもんじゃないだろうというのは多くの人が感じたのではなかろうか。
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その116byにいのり
「経済学」のいかがわしさとは、現行の日銀の委員らを見るまでもなく、自分たちの計算や想定や自称"理論"に現実が沿ってくれないと、それは「現実の方がおかしいからだ」と、恥も外聞もなく言明出来るような連中によって支えられている点にある。
「日銀」の連中は、物価が自分たちの想定通りに上がらない理由を外部要因とやらに求め、「やれ石油価格がどうした」から始まり「天候がどうした」に終わる繰り言を何度繰り返してみせたことやら。
(そもそも、「天候がーー」などと冷や汗かきながら嘆いているのを見れば一瞬笑いそうにはなるのだが、考えてみれば天候とは生命にとって致命的な内的というか基礎的要因であり、天候を外的要因にする経済理論などそれだけで詐欺とみなして構うまい。天候が問題でないのなら、先物取引など連中の大好きな取引上のイノベーションとやらもけっして生じなかったはずであり、想定通りに行かない事が多いからこそ工夫に工夫を重ねてきたのが人間ではなかったのか。そして、その苦心惨憺の末の「工夫」もやり過ぎる余り、自分の方に向かってくる刃になったりもする訳で、さしずめ、あの金融工学のナントカ理論などその典型だった。
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その115byにいのり
この「万里の隔たり」というものを、「経済学」とやらは決して捕捉出来まい。というのも「経済現象」として見る限りにおいては、そこに差違を見出だすのは困難だから。
「経済行為」それ自体の「価値」というものについて、「経済学」的には、付帯的サービス(付加価値)がどうのとか理屈をこねて「価格」に反映されるという事にしてしまうのだろうが、実際には「価格」とは直接関係性のない人間の「内面」の相互作用が現実/環界に作用していると解するべきであり、そこにこそ「経済行為」上の「価値の違い」が生じていると見るべきだし、だからと言って「価格」を変える必要も感じていないという事を私たちが自覚すべきなのだ。
「経済学」としては、あらゆる「価値」は、「価格(貨幣量)」に置き換え可能だ、計量化可能だとしておかなければ、何かにつけていろいろと「都合が悪い」のだろう。
だが、「現実」とは「経済学」を成り立たすために動いている訳ではない、当然の事ながら…あまりに当然の事ながら。
とはいえ、実際には、こういう事をあえて口にしなければならないほど、人間というのは観念の中に逃げ込んだまま平気で出て来なくなることがあるという事も私たちは知っておくべきなのだろう。
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その114byにいのり
例えば、より具体的には(女衒みたいな烏賊臭い猪豚みたいな連中にプロデュースされた)子ども集団が、同じ子どもや(実質的)中年童貞からカネを巻き上げ続ける薄汚い吐き気のするような商売とはまるで異なる現場から、白鳥(しらとり)のように飛翔した(ビジュアル的にはその子ども集団の一員かと一瞬見紛うような)上原ひろみというピアニストがいる。
具体的企業名としての「ヤマハ音楽教室」の内実を知悉しているわけではないので手放しの賞賛は自重しようと思うが、上原ひろみというピアニストはその音楽教室を足掛かりに(妙なしがらみにまといつかれる暇もなく)一気に世界に羽ばたいた本物のスーパーヒロインだ。
彼女を輩出した音楽教室の、少なくとも現場の多くが子どもから大人まで素晴らしい音楽文化は一緒に共有してもいいんだよ、一緒に真剣に楽しんでいいんだよという理念を、それこそ共有しているのではないかと想像するのは彼女を見ている限り難くない。
仮に同じ商売だとしても、消費者から、掠め取り奪い取り巻き上げようとしているのか、シェアしたいという欲求を第一義に提供したものからの対価を得るのか、表面的・現象的には大差なかろうと実質的には万里の隔たりがある。
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その113byにいのり
「古ぼけたテーマパーク」…と形容するより「ロートルアイドルグループ」といった方がより的確かな。
そうとでも呼ぶしかないような者たちを前面に押し出す「セイカイ」なる業界があって、その関係者(?)の皆さんというのは、日頃から角を突き合わせながら、それでも業界全体が活性化しないといつまでもデカいツラ出来ないという点で運命共同体のようなものを形成している。
その意味では「マスコミ」なるもう一つのしけた業界もまた同様で、以前はそれなりの神通力を持っていたようだがそれも今は昔、今では「ロートルアイドルグループ」と互いにもたれあっては訳の分からない「騒ぎ」を繰り返して耳目をひきつける下らない毎日。
消費対象者は国民全体のはずなのだが、実質的な消費者の半数かそれ以上は「いや、その何とかアイドルグループとかいうの?何の興味もないし、不快だし迷惑なので、できればもうやめてくれないかな」と(グラデーションはあろうとも)常に感じている。
消費者の半数かそれ以上が、「ですからね、変な子どもの性欲みたいなレベルではなくて、自分たちで奏で、自分たちで楽しめる、まともなポピュラー音楽、大衆音楽の世界を真面目に楽しく追求しつつシェアしようよ」と思っている。
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その112byにいのり
そういう意味では、今般の選挙で「アベの選挙区」から無所属で立候補する(加計問題を当の地元で追及し続けて来たという)黒川氏という方のインタビュー記事を読む機会を持ったが、言葉の選択が真っ当であり、異論を差し挟む余地が殆んどない。
みょうちきりんな反権力系のサイトなどを眺めていると、結局は「取り巻き系」の言論が主流をなしていて、「只今は」権力を握っていないだけで、一端権力を握ったらそりゃあもう党派メンバー以外は排除し弾圧させてもらいまっせ的な連中でむんむん(笑)している。
日頃「日本凄い!」はやめるべきだなどと言いながら、選挙ともなると「オレたちって凄い!」的自画自賛で投稿が埋まる。
いや、本当に凄いのなら評価するのもやぶさかならずだが、そうじゃないところが何とも情けない。
今回、刮目すべき政治運動(しかもあくまでも正統的かつ合法的)があるとすれば、それは黒川氏という一般的には無名ながらも「アベの選挙区」に果敢に挑んでいるその動きだ。
氏の政治活動は、「加計問題」というシングルイシューから始まっているようだが、インタビューを読む限りにおいて、明日からちょっとした党派を率いられる程度の網羅的政策はきちんと用意しているようだ。
(つづく)
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