晴耕雨読

淡々と日々の暮らしを立てるために働き続け、木々の緑、雨音、枯れ枝に架かる雪を密かに楽しむ。
老いては老いを楽しみ、若者の成長に目を細め、良い人生だったと感謝しつつ旅立つ。
こんな当たり前の人生が許されない世にはして欲しくありません。

 

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投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その82byにいのり
その意味で、「文学(文藝)の価値」の増進に寄与するどころか、その時代錯誤化と価値の減退にしか寄与しない出版社が、会社名に「文藝」の名を冠しているのは文藝全般にとって迷惑この上ないのだからもうやめたほうが良いと言っておくべきだろう。
この出版社がどれほど異常かつ異様なのかと言えば、例えば私がまさに標題にしている件について、然るべき報道によれば『文藝春秋が新潮社に謝罪したことが7日、分かった』とのことなのだそうだ、そう、やっと今ごろになって、どこまでも恥知らずなことに。
それだけで、察しの良い方には深く首肯もしくは溜息をついていただけるはずなのだが、その然るべき報道じたいが、そも誰がどうしたから『分かった』状態に至ったのか、本当のところはまるで分からないのだが(笑)。
まぁ、本来なら謝罪をした上で出版・情報界の面汚しとして延々と土下座会見でも開いてみせ、「オレたちだって眠っちゃいねぇんだ」ぐらいのヤクザな台詞を引き出してみせるぐらいが日本社会のうらめしくもしみったらしいスタンダードなのではなかったのかとも思うのだが、少なくとも自分たちは人様にそのような事を暗に強いて来た側であるのは確かだろうに。
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その81byにいのり
あるいは【「米韓合同軍事演習」(というそれ自体確かに性悪な軍事的挑発行為にはちがいなかろうが)のさなかに出来損ないの「日朝合同スペクタクルショー(スペシャルミサイルショー)」を実行してみせる両政府の怪しさと危うさに、国際社会が気付いていないとでも思っているのだろうか、その2】
そういう問いが『言語にとって美とは何か』という氏独特の問い方となり、探究の世界につながってゆく。同書において吉本は、「文学の価値」というものについて、以下のごとく、ある意味あっけなく定義してみせている。
『自己表現からみられた言語表現の全体の構造の展開を文学の価値とよぶ』と。(角川文庫版、U巻、273頁)
一読しただけでは、ちょっと何を言っているのか分かりがたい。だが、このように定義されるがゆえに、文学の価値は"通俗的な"倫理道徳や政治や法や約束事や常識を越えて「通俗性に耐え得る」のである。
すなわち、仮に表記として目を背けたくなるような俗語が次から次へと押し寄せるようなものであっても、またそれとは正反対のものであっても、どちらも『自己表現からみられた言語表現』として適切であればそれでよしという以外の意味/価値を持たないという事だろう。
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その80byにいのり
【あるいは、「米韓合同軍事演習」(という確かにそれ自体性悪な軍事的挑発行為にはちがいなかろうが)のさなかに「日朝合同スペクタクルショー(スペシャルミサイルショー)」を実行してみせる日朝両政府の怪しさと危うさに、国際社会が気付いていないとでも思っているのだろうか。その1】
知識人士(?)の間で「ポピュリズム」なる言葉が一人歩きを始めている状況に危惧を覚えるなら、俗悪にもまた単なる印象論にも陥らない「通俗論」…吉本隆明が『マスイメージ論』で試みたもののコンテンポラリー版のようなものが書かれる必要性を感じる。
自分自身は、残念ながらそうしたものをものにするだけの力量の不足しているのをひしひしと感じざるを得ないがゆえに人様に期待するほかないのだが、
思えば吉本隆明という日本に数少ない本格的な思想家だった人物が手を変え品を変え人々に訴えかけていたのは、「通俗(尊重)論」あるいは「大衆(尊重)論」だったのだなと改めて思う。
そもそも人間にとって言語、つまり言葉というのは、基本的に日常的なツールなのであり、その意味で「これ以上通俗的な媒体はない」。そういう"通俗物"が、「美」を表現できたり、あるいは「美そのもの」と感じられたりする場合があるのは何故か。
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その79byにいのり
ここで即興の文学論を展開するつもりはないし、そんな力量も十分にはないのだが、その程度の人間ですら分かっている「小説(近代小説)」というジャンルの死について正面から向き合おうせずに、おかしな権威主義的共同体を形成して恥もしない牢名主による新入りの品定めみたいなものが、
その分野に関して特別の義理も人情も義務も責任も有していない一般人にしてみれば、
何が起きようと『対岸の火事』であり
いい加減どうでもいい『他人事』であり
耐えがたいほど『退屈』なものであるのは、
冷静に考えてみれば当然の事であり、
そういう当然さに気づく感性も喪っているのに、虚飾に満ちた不遜のパウダーを振りかけて、客に「ほら味わえ」とか何とか言って出したって、"金持ち"喧嘩せずとも、さすがに足を遠ざけ見向きもしなくなる事、必定と言うべきだろう。
少なくとも、ノーベル賞の選考委員らは、そういう危機感を抱いていたがゆえのボブ・ディランの選出だったというのは明らかで、「低俗」にまみれず「通俗」に耐え、なおかつ今日的な文学的営為とみなしておくべきものは何か、ディランがいるではないか、となったのは意外ではあっても心外ではなかったという事になる。
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その78byにいのり
学業上は文学畑でしたと、遠い目をしながらいうしかない私のような人間にしてみても、もはや
『対岸の火事であって』
『他人事』で
『退屈』な
(正直、もうやってる意味ないよねと思っている)文学賞選考イベントなのに、
その選考委員である宮本輝なる作家が、何を思ったか
いちおう最終選考に残った温又柔という人の「真ん中の子どもたち」という
『日本人と台湾人のあいだに生まれた主人公が中国本土に語学留学する話』
を選出しない理由として
『これは、当事者たちには深刻なアイデンティティと向き合うテーマかもしれないが、日本人の読み手にとっては対岸の火事であって、同調しにくい。なるほど、そういう問題も起こるのであろうという程度で、他人事を延々と読まされて退屈だった』
と評し、ネット雀の間でどうやらそれなりに"炎上中"らしい。
(以上、『』内は引用)
温氏の作品の出来が悪いと思ったなら、単にそう評すれば良かったのに、ただの「通俗作家」が何を思い上がっちゃったのか知らないが、いよいよもって「低俗」で「俗悪」な本性をさらけ出してしまったのかと思うと、誠に文藝春秋社の今を表象する上で時宜を得た事態だと評するしかないではないか。
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その77byにいのり
私は経営コンサルタントでも何でもないので、私のような意見をどこかの経営者が何かで耳にし、本気で参考にしてしまったなら、もしかしたら破綻への道が短縮化されるだけかも知れない(笑)。だが同じ身上つぶすなら(笑)、訳の分からない俗悪にして邪悪なコンサルなどにいいように振り回されて、身も心も消耗し切って崩壊するよりは、「惜しむ心」を持っている人たちから厚情が得られる内に店を畳むというのも一つの方法だろうなとは思う。
最も恐ろしいのは、あぁ分かっちゃいないな、てんで駄目だという無能な味方や、用もないはずなのに「文春砲さすがですねぇ」とか言いながら、持て囃しとおべんちゃらを言いに近寄って来る意味不明な連中だろう…商売の世界でも政治の世界でも同じではなかろうか。
だが、不思議な事に、苦境の度合いが深化し、ヤキが回り始めたような時に限って、身内からもブットビ君/トンデモちゃんがなぜかしゃしゃり出て来てしまうのも、安倍内閣の前防衛相をみるまでもない世の倣いというものなのかも知れない。
月刊の「文藝春秋」の方では、もはやお笑い芸人にでも賞を取らせなければ大して話題にもならなくなった恒例の文学賞の発表が行われたらしい。
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その76byにいのり
こうしてみてくると、最も相手にしてはならない類いの連中に「文春砲」などともてはやされてやに下がった…いかにもだらしない"脊椎"なき自堕落さ…(私もリアルタイムで知っている訳ではないが)日本の映画界が活況を呈していた時代、独特の作品群でそれなりの地位を築いていた『日活』が、業界の斜陽化にともないロマンポルノなるものに活路を見出だしたのは良いが(その大胆な路線から実は貴重な人材が何人も生まれてはいるのだが)、結局は「文春砲」などと無責任に囃し立てるのと丁度同じ類いの連中に取り囲まれて映画会社としての末路を迎える事になったように、あるいは、それなりの富裕層さえいれば商売が成立したはずの江戸以来の老舗「三越」ですらまさかの苦境に陥るような流通革命の荒波があるとしても、「権威」の源泉自体が胡散臭い"経済/商理論家"どもが、ゾンビのごとくわらわらと群がり寄って来ては、それ「日銀砲」だ、やれ「アベノミクス」だなんだかんだと騒ぎ立て、「適正規模」の商売というものがこの世にあってはならないかのごとく、「成長しない即悪」であるかのごとく、脅し、すかし、騒ぎ立て、浮き足立たせて、「実業」と呼ばれるものの「実」の部分をぼろぼろにしてしまう。
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その75byにいのり
ところが現実は、文藝春秋社、とりわけいわゆるドル箱たる『週刊文春』においては、堅持すべきだった「通俗(良俗)」性というものも、恐らく営業的要請によって「下俗」や「低俗」性への変換を余儀なくされて来たとみなして良いだろう。
これは一見殆んど区別のつかない意匠の週刊誌で、表紙から来るイメージとは裏腹の暗く/昏く、下種な/下衆な"内臓"に満ち満ちた『週刊新潮』を抱える新潮社の事情とは似ているようでいてまるで非なる事情と言って良いだろう。
というのも、新潮社は仮に『週刊新潮』を失なおうと、文学出版社として細々と持続し得る"脊椎"は一応確保されているのに比し、文藝春秋社というのは、結局、月刊/週刊の二誌がなければ、なくなっても殆んど惜しくもない"脊椎"すらない「鵺」のようなド三流出版社という評価しか得られないだろうから。
この会社の二大文学賞は、なるほど持続性の高いヒット企画だったとは言えようが、今では形骸化著しく、仮になくすのが惜しければ、「流行語大賞」とやらが良くは知らないがどこからかどこかへと引き継がれたように、主宰者を変えて残せばどうという事はあるまい。
それこそ新潮社にでも引き継いでもらえば良い(笑)
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その74byにいのり
しかも良く分からない事に、その手の"正式さ"というもののいかがわしさについて、雑誌業界等、排除された側が異議申し立てをするでもなく(そのキャンペーンに自分たちの媒体を活用するでもなく)、不正ではないが"非正な"(?)媒体として自らを位置付けたあげく、逆にそこに商機/勝機を見出だし、学校のクラスの不良が皆からバカにされ疎まれながらも妙な実権のようなものを握ってみせるがごとき珍妙な立ち位置を確保し、そういうものが岩盤規制ならぬ岩盤体制になって今日まで持続してしまい、仕舞いにはソリューションの糸口すら見つけられなくなってしまうというのだから、これはもう大したたまげた超常現象の一種だろうかと目を丸くするしかない。
それでも少なくとも単に醜聞暴露というような目的ではなく、"正式な媒体"では扱いにくい問題提起/注意喚起型の記事等を、既定事項/既定路線としての"正規・正式"なものしか容認しようとしない根は胡散臭い堅物どもの喉元に突きつけてみせるのなら、"不良"の存在価値も十分あったはずであり、似非近代制の虚妄を保守の側から衝いてみせるという点において、文藝春秋社というのは歴史的使命なり責任なりを負っていたはずなのである。
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その73byにいのり
その結果、内閣官房長官の有難き情報提供を何の疑念も懐疑も抱かぬまま一言一句聞き漏らさずにタイピングし、そのままお茶の間に横流しするのが「正式な媒体による正式な報道」なのであって、その"正式さ"を担保するものこそ各「記者クラブ」なのであり、それ以外はまぁ民主主義の世の中だから禁制にはしないが、邪道報道、面白おかしさを中心にした信用するに足らない報道(機関/媒体)だとみなす"公式見解"が発生することとなる。
こういう、どこから湧き出てきたのか本当のところは不明な(正統性に疑義のある)所与の集団主義というものが、我が国の(無能すぎるゆえに似非に見えてしまう)エリートの頭脳を支配しているのは実におぞましいことだろう。
彼らの、何の疑問も持たず所与の状況にコミットし、それゆえ状況に埋没している事に関してのある意味では無邪気とさえ形容したくなる無自覚性と、物理化学など科学的な学問の厳密さに対する止み難い劣等感という最悪なものの組み合わせによって、我が国のエリートの溜まり場には忠誠競争によって流れる『無知の涙』ならぬ「非知の涙」や「忖度の涙」によってじめじめと湿気った演歌的世界が辺り一面に広がっているように見える。
(つづく)
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