晴耕雨読

淡々と日々の暮らしを立てるために働き続け、木々の緑、雨音、枯れ枝に架かる雪を密かに楽しむ。
老いては老いを楽しみ、若者の成長に目を細め、良い人生だったと感謝しつつ旅立つ。
こんな当たり前の人生が許されない世にはして欲しくありません。

 

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投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その91byにいのり
自動車開発のレベルでみなすならやっと時速30`越えして「マラソンランナーに勝った勝った!」と欣喜雀躍している段階でしかない。
勿論、テクノロジーの発展速度というのは、わたしたち外野の想定を越えて来たのも確かだろうし、自動車なら時速30`でノロノロやっている段階から時速300`でレースが可能になるまであっという間だったかも知れない。
だが、10秒で時速300`に達しヘアピンを60`で曲がる日常生活を私たちは今までもこれからも送るつもりはあるまい。
つまり、[特定のテクノロジーで可能な夢のような事]は、人間のごく日常的な身体性を越えてしまった領域にあっては、例えば自動車ならサーキットという名の特殊な空間で「見世物」として営まれる他ないのだ。
この辺りの事情…まだ購入したばかりでこれから読むのだが(笑)、『サピエンス全史』(河出書房新社)の上巻「書記体系の発明」のところで、著者は、「思考」の実態について次のような象徴的な言い方をしているのが目についた。
(常人には読解しがたい相対性理論の煩雑な式を示しておいて)『彼ら(※数学者や物理学者ら)の思考過程のうち、決定的に重要な部分は頭の中ではなく、コンピューターの中や教室の黒板の表面で展開する』(168頁欄外)
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その90byにいのり
恐らくAIなら、文字通り血も涙も不倫もなく(すなわち自ら非線形のカオスに耐えるという苦痛を引き受けることもなく)"最適解"を導き出すために"不純な"要素については容赦なく切り捨てに走ってくれる事だろう。
AIを生み出す真っ当な開発者的視点では、それこそがAIの"限界"だと認識して苦悩するのに、AIを利用/悪用したい側や振り回されて悲鳴を上げてしまう側は、それをAIの凄さ、凄みなどと賛嘆してみせる。
その点で、新進気鋭の中学生プロ棋士の登場で話題の将棋界だが、程度の低いAIの神格化に協力させられてしまったのは痛かった。
というのも、人間が諸力の特定の「力」を特化する事に成功した機械というものは、だからこそ「人力」も「馬力」も当初の段階から凌駕する形で存在を開始している訳で、蒸気機関車から電卓まで「飛脚よりも速い!そろばん名人よりも速い!」と言って大騒ぎしても詮のない事なのだ。
最中にルールが変更される事が絶対にないチェスや将棋のようなゲームにあっては、それゆえにこそ、「計算機」の延長であるAIとやらが、「将棋名人」に勝利するのはむしろ当然であり、それどころか、私たちは「やっとそのレベルなのか」と嘲笑すべきですらあるだろう。
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その89byにいのり
これは偏見の謗りを受けるだろうと思いながらもあえて言うのだが、やれ「政治」だ「法」だ「経済」だと、いわゆる「社会=科学」なるコンプレックスにまみれた学問を振り回す連中というのは、こうした事情にとんと無自覚、無頓着で、あるいはそもそも理解できる感性や頭脳を所持していそうにない点で、きちんとした理学を専攻し自分の頭で考える能力を獲得した者も含め多くの人間を苛立たせる。
そして、苦笑せざるを得ないのは、「政治家」であるはずの女性代議士とその"不倫"相手とされている人物との関係性の方がむしろ"文藝"的であり、「文藝」の名を冠した出版社の発行する週刊誌の記事の方が、とことんまで"政治的"だという逆説的状況だろう。
なにしろ後者は、『この記事で幹事長撤回』と、「政治/政局の一部」と化した事に御満悦の体なのだから始末に負えない。
いったい、わたしたちは、「政治家」なる存在に、人間性(を含めた全体性)を求めているのか、それとも市場万能主義者らが信奉しがちな社会の自動調節機能を粛々と実行し得る機能性と効率性のみを求めているのか。
後者なら、なるほど、わたしたちは、AIとやらに問題解決も裁定も全て委託、委嘱すべきなのだろう。
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その88byにいのり
(以下、引用)
語彙の多様化と明晰化とは、言語の内的な構造を分裂させ、一方では、幻想性はますます言語の内部で、この機能化と能率化に疎外された本質を抽出してゆく。はじめは、言語を自己表出と指示表出の構造をもった球面として想定できるとすれば、この言語の現在性は、自己表出と指示表出との分裂した歪みとして想定することができる。
産業語・事務語・論理の言葉、そして日常生活のある部分で、言語が機能化してゆけばゆくほど、わたしたちの心的な状態のなかで、じぶんが心の奥底にもっている思いは、とうてい言葉ではいいあらわせないという意識はつよくなる。言葉が機能から遠ざかり、沈黙しようとするのだ。
(引用終わり)
[角川文庫『言語にとって美とは何か』U巻、250頁]
この部分は、ポリティカル・コレクトネスといったそれなりに熟考された明晰な"良識"の蓄積が、なぜ、その意図するところとは裏腹に、社会の住みやすさや豊かさや寛容さの実現にうまく接続していかないのかの、言語レベルの秘密を自ずと解き明かしているとも言える。
(すなわち、それら機能化と効率化に予め支配された言語使用法を内奥でわたしたちは拒否しているのだ)
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その86byにいのり
私のような不見識な人間は、このような珍走、暴走しかする事がなくなり、暇潰しをこじらせた恥さらし集団を指して、〈ペンでダーツを始めるキ印集団〉とでも形容してあげるしかないのだが、勿論、そのような輩というのは左右だの、保守革新だのを問わず出現するのだ。
それは、〈近代〉あるいは〈現代〉という時代を特徴づける産業上、経済上の要請、またはそうした要請に応えようとして歪み、醜悪化する/ヘドロ化する環境型の問題、公的なレベルで解決を模索すべきという意味である種の「公害問題」であり、ある意味では「メンタルヘルス」あるいは民間療法的エネルギーの噴出としての「新興宗教/カルト宗教」上の問題でもあり、そういう"諸問題"に言論が侵食を受けている状況として観察すべきなのだ。
そして、このようなことは米国において、メディアというものそれ自体が政策対象にならざるを得なくなっているのと通底している。
こういう"言論"、すなわち「言語の用い方」が、言語にとっての美あるいは価値であるものからどんどん遠ざからざるを得ない様相というものを吉本隆明は、次のように記述してみせる。
未だに新鮮さを失わないという意味で、刮目すべきではなかろうか。
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その85byにいのり
こういう連中の始末に負えなさというものは、これ以上ない程の決定的証拠写真を突きつけられてもシラを切り、盗人猛々しくも反論かまして虚勢をはりつつも、とっとと頬かむりを決め込み、そんな危機的状況下にあるにも関わらず、ヤクザと付き合っていた訳でもない(それほどの実績をまだ残した訳でもない)女性議員をストーキングしパパラッチング(?)した"経緯"を自称"スクープ"に仕立て上げ、やれ「日銀砲」だそれ「文春砲」だと囃し立てては猿を木に上らせその気にさせ、社会全体の急進的劣化を目論む囃し屋集団相手にガッツポーズを決め込むという度しがたき恥さらし行為をしてまるで無自覚、平気の平左な点にある。
この連中の恥ずかしさというものは、こういう触れたこっちが赤面の余り顔を覆いたくなるほどに無自覚この上ない点にあり、この度の女性代議士の"不倫"報道をするにあたっても、(恐らく編集部がつけたのであろうサブタイトルに)『この記事で幹事長撤回』などと書いてしまうほど、政局に影響を与え得る記事である事を自信満々に"告白"して御満悦の体なのだ。
当人らは、間違いなくこの手の記事を「スクープ」だとあられもなく思い込んでいるのだろう。(かわいそうに)
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その84byにいのり
そういう自動車事故における「殺され損」同様、情報流布における「報道され損」も、不可視下に沈殿しつつも疼き続ける怨嗟のエネルギーのようなものを社会的に退蔵する契機になりがちなのであり、そのようなエネルギーは時として思いもよらぬ捌け口を求めてあらぬ方向に噴出する場合がある。
そうなると「業務上過失」という概念のみで済むなら済ましておいた方がゆるやかな秩序維持には好都合だったはずなのに、一部の素人じみた暴走行為しか出来ない(寸止めの珍走行為すら出来ない無軌道な)一種の病的傾向を帯びた破滅型の連中を"取り締まる"新たな概念を発生させざるを得ない呼び水として機能してしまうことにもなる。
もっとも「週刊文春」なる煽り煽られの中に出現するホログラムのような事象自体が、その手の捌け口を求めるエネルギーの具象化とも言い得る訳であり、不健全極まりなく、簡単に朱に染まる読者らに手招きするのもほどほどにしておけと言いたくなるのも当然だろう。
誰が「言論の自由」という状況を逆手にとって、「言論の自由」という概念を脅かしているのか、このように説明すれば少しは分かりやすくなっているのではなかろうか。
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その83byにいのり
この出版社(の少なくとも週刊誌部門)が長年ぐるみでやって来た(まともな集団ならその一端が発覚しただけでとても世間様には顔向け出来ないという決心にいたるほかない)はしたない"情報スリ、情報万引き、情報出歯亀"は、いわゆる"不倫"同様、必ずしも法に触れるものではないかも知れないが、いったい、では、当事者相手の謝罪のみで済ませてしまって良いものなのかどうか、詳細を知れば知るほど誰もが納得しがたいものを感じるにちがいあるまい。
それに、いわゆる"不倫"が、誰がどこで決めたのか知らないが、"世間の皆様をお騒がせする"大変な行為であるとするなら、この徒党のやって来た事は、出版の仁義にもとる世間の皆様を驚天動地にいたらせる"大不倫"ではないのか。
「道交法」において、なぜ「危険運転」という概念が発生して来たのか、「業務上過失運転」なる秩序維持のための忖度がかえって秩序破壊の嚆矢となるかのような、ともすれば変な縁故主義の臭いのようなものさえ漂ってくる法的概念を適用するには、傍目からは自暴自棄としか見えないような、余りにあくどく凶暴な運転で人様を傷つけたり殺めたりして平気な輩が続出する事によってだった。
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その82byにいのり
その意味で、「文学(文藝)の価値」の増進に寄与するどころか、その時代錯誤化と価値の減退にしか寄与しない出版社が、会社名に「文藝」の名を冠しているのは文藝全般にとって迷惑この上ないのだからもうやめたほうが良いと言っておくべきだろう。
この出版社がどれほど異常かつ異様なのかと言えば、例えば私がまさに標題にしている件について、然るべき報道によれば『文藝春秋が新潮社に謝罪したことが7日、分かった』とのことなのだそうだ、そう、やっと今ごろになって、どこまでも恥知らずなことに。
それだけで、察しの良い方には深く首肯もしくは溜息をついていただけるはずなのだが、その然るべき報道じたいが、そも誰がどうしたから『分かった』状態に至ったのか、本当のところはまるで分からないのだが(笑)。
まぁ、本来なら謝罪をした上で出版・情報界の面汚しとして延々と土下座会見でも開いてみせ、「オレたちだって眠っちゃいねぇんだ」ぐらいのヤクザな台詞を引き出してみせるぐらいが日本社会のうらめしくもしみったらしいスタンダードなのではなかったのかとも思うのだが、少なくとも自分たちは人様にそのような事を暗に強いて来た側であるのは確かだろうに。
(つづく)
投稿者:【『週刊文春』編集長の絶望的にむなしい言い訳と、メジャーな出版社としてまともな経営方針の見つからない株式会社文藝春秋の始末に負えない通俗のDNA】その81byにいのり
あるいは【「米韓合同軍事演習」(というそれ自体確かに性悪な軍事的挑発行為にはちがいなかろうが)のさなかに出来損ないの「日朝合同スペクタクルショー(スペシャルミサイルショー)」を実行してみせる両政府の怪しさと危うさに、国際社会が気付いていないとでも思っているのだろうか、その2】
そういう問いが『言語にとって美とは何か』という氏独特の問い方となり、探究の世界につながってゆく。同書において吉本は、「文学の価値」というものについて、以下のごとく、ある意味あっけなく定義してみせている。
『自己表現からみられた言語表現の全体の構造の展開を文学の価値とよぶ』と。(角川文庫版、U巻、273頁)
一読しただけでは、ちょっと何を言っているのか分かりがたい。だが、このように定義されるがゆえに、文学の価値は"通俗的な"倫理道徳や政治や法や約束事や常識を越えて「通俗性に耐え得る」のである。
すなわち、仮に表記として目を背けたくなるような俗語が次から次へと押し寄せるようなものであっても、またそれとは正反対のものであっても、どちらも『自己表現からみられた言語表現』として適切であればそれでよしという以外の意味/価値を持たないという事だろう。
(つづく)
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