『十字軍』と『魔女裁判』は今なお進行している現実のものである ー3
■ 『魔女狩り』の前哨戦としての「武力的異端者排撃」
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カソリックは世界性・普遍性を主張する宗派であり、ローマ法皇を主権者とし、法皇庁を中央政府とする宗教的政治的組織でもある。
閣僚である枢機卿の下に多くの官吏がおり、世界各地に司教が存在し、法皇の使節が大使として派遣される。
カソリック世界では、宗教上の儀典だけではなく、法律・財政・学問・芸術などありとあらゆるものが法皇庁の政策によって支配されようとした。
近代国家は、その選任方法や政教分離政策を別とすれば、基本的にローマ法皇庁と同じ権力(支配)構造である。
中世の西欧世界は、法皇庁が、法皇を君主とした「世界国家」を築き、法皇庁を「世界政府」にしようと追求した時代だったと言える。
ローマ法皇庁は、俗世界の王権と激しく争いながら、西欧世界で聖と俗の両方をなんとか支配しようとしたのである。
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宗派である限り、教義的純粋性と組織的統一性を保つために、その方法は別として、異端者を排除するのは当然だろう。
ローマカソリックも、成立から教義論争(神学論争)が何度も繰り返されたし、異端の教義を唱える者は破門というかたちで排除してきた。
政治党派にも同じことが言える。異端者が、除名で済むのか、殺害されるのかは、その党派の思想性と活動環境によって規定されることになる。
ローマ法皇庁の場合は、政治的機能と宗教的機能を同時に志向した組織だから、異端者の存在にはより過敏になったはずだ。
異端者は、信仰的異物という存在にとどまらず、国家を転覆する「革命家」となる可能性が高いからである。
このようなことから、カソリックの「異端問題」も、三位一体説など純教義的な範囲で収まっていたときは、論争を通じての勝利者側による「異端者」の破門で済むことだった。
しかし、十字軍遠征が始まってから生じた「異端者」は、カソリックの組織そのものをターゲットにするまでになってきたのである。
『魔女狩り』の前哨戦といえる「武力的異端者排撃」が始まる13世紀の聖職者達は、腐敗と堕落にまみれていた。
霊魂の救済は金銭的取引によって行われ、儀典も形骸化していた。
聖職売買は当たり前のように行われ、聖職者は情婦を持ち、懺悔室は女をたらし込む密室となり、尼僧院は売春窟となっていたという。
そして、このような情況を浄化したいと願った修道団も、大きくなると教会と同じように堕落したという。
(現在のローマ法皇庁は、小児性愛などの問題を引き起こす司祭が多いことから、神学校に精神科医を派遣して予防すると発表した。おいおい、精神科医以下の精神性しかない人を聖職者にしているのかって、余計なお世話だけど言いたいね)
法皇権が最高度に達したと言われている法皇インノケンティウス三世(在位1198〜1216年)の時代に、12世紀から続いていたフランス南部での異端運動が激化した。
12世紀に起きた異端運動発祥の地の代表的な領主が、第1次十字軍の4人の指揮官の一人トゥールーズのレーモン・ド・サンジル伯であった。
異端運動発祥の地は、まさに、第1次十字軍の主力部隊を送りだした地域だったのである。
フランス南部では、領主そのものが異端者だった。
カソリック組織が企んだ十字軍活動を通じてビザンチン帝国やイスラム世界と接触したことで、フランス南部の人々の間で「意識改革」=反カソリックが沸き起こってしまったのである。
東方世界の聖職者(キリスト教)や宗教指導者(イスラム)そして政治的指導者のみならず敬虔な信仰者たち(キリスト教徒・ムスリム・ユダヤ教徒)の生き様を目の当たりにした人々は、従来の自らの信仰を恥じるとともに、カソリック聖職者の姿に絶望したのである。
そして、東方世界を目の当たりにしていない人々にも、カソリック組織の欺瞞性を説き始めた。
このような説教に共鳴する人たちは急速に膨れ上がっていった。フランス南部から南ドイツ・ボヘミア・北イタリア・スペインへと異端者が広がっていったのである。
フランス南部の異端者=アルビ派は、形骸化した儀典を否定し、キリストの人性や化体説を否定し、幼児洗礼も否定した。聖堂は不要なもので破壊すべきであり、「神の教会」は建物の中にあるのではなく、信徒の交わりの中にあるとした。十字架はキリストを虐殺した道具であり焼き捨てるべきだと主張し、聖職者を畏敬することをやめ、教会維持税を納めることも拒んだ。
リヨンでも「リヨンの貧者」という改革運動が起きた。
その指導者であったヴァルドー(資産家であった)は、カソリック世界のどこにもキリストが望んだような生活が見あたらないという事実に気がついた。
説教は平信徒でも女性でも行えるとし、死者へのミサや祈り、布施などの典礼は無意味であり、煉獄は存在しないと主張した。懺悔は、司祭だけではなく、平信徒も聴聞できると主張した。
(西欧史学者は12世紀から起きた「異端運動」と十字軍の関係をほとんど無視しているようだが、「異端者」の主張が、東方世界のキリスト教やイスラムの影響を強く受けた結果であることは自明である)
法皇庁から派遣された異端審問官も、ヴァルドー派について、
「異端者たちはその服装と言葉でわかる。謙虚で節度正しい。彼らは、いつわりを避けるために商売に手を出さず、職人として生計を立て、富を蓄えず、最低生活で満足する。彼らは潔癖で肉を食わず酒を飲まない。絶えず働き、絶えず教え、よく学ぶ。従って、彼らには祈る暇はあまりない・・・」と記述している。
このような異端者たちに立ち向かおうとした聖ベルナールでさえ、トゥールーズの異端者を改宗させることができず、侮辱されてしまう始末だった。
聖ドミニクスが登場したが、それでもうまくいかなかった。
そのため、法皇は、異端討伐の軍隊を結成した。そして、それは、『アルビ十字軍』と呼ばれたという。
それは、まさに『十字軍』と同じで、異端者の領地と財産をその討伐者の私有に供するというかたちで進められたのである。
第4回十字軍でコンスタンチノーブルを征服して帰ってきたシモン・ド・モンフォールの部隊が進撃し、異端者の町を次々と陥落させるともに大量虐殺をいたるところで行った。
人口3万のペジエ(フランス)では2万人が殺されたという。
ペジエでは、正統的なカソリック信者も少なくなかったが、騎士から異端者との区別はどうすればわかるのかと問われたシトーの僧院長アルノーは、「みんな殺せ。その判別はあの世で神様がなしたもうであろう」と答えたという。
略奪はいたる所で行われた。裕福な異端者はとくに攻撃の的になった。
この『アルビ十字軍』から「異端審問」という名の新たな十字軍が生まれたのである。
領主ぐるみの異端運動は、20年間の凄惨な戦いで一応鎮圧できたが、個々の異端者までを根絶できたわけではなかった。
トマス・アクィナスは、「教会は異端者を死の危険から救う必要はない」(『神学大全』)と主張した。
近代的価値観の祖とも言われている「ルネサンス」は、まさにこれから大旋風となって吹き荒れる『魔女狩り』と並行して進んだものである。
ケプラーも、ニュートンも、フランシス・ベーコンも、ウィリアム・ハーヴィも、『魔女狩り』の反対者ではなかったという。
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6/12/22

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