(笹川と変わり身の早さ)
世界基督教統一心霊協会(文鮮明)はCIAの管理下にありました。
原理運動の最初の拠点は、渋谷区南平台の岸信介の自宅にありました。
岸は用心深い人です。 なにしろ首を吊られそうになったんですから。
諜報機関の指令は絶対なのです。
首を吊られなかった人間は、首に紐と鈴とを付けられて出所したのでした。
昭和38年、笹川は原理運動の家紋に就任しました。
笹川は国際勝共連合の会長にも就任しています。
ところが、昭和47年、笹川は、突然、反共との絶縁を宣言します。
反米右翼(昭和20年まで): 親米反共(台湾支持)右翼(昭和20〜47年)、反共と台湾と右翼を放棄して国際主義者へ(昭和47年以降)
とても分かりやすいですね。
彼への指令は、比較的高位から出ていることが分かります。
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笹川−児玉−田中角栄−そして中曽根−小泉投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 8 月 23 日
モーターボートレース関係は省略。
(田中角栄潰し)
田中角栄は、後藤田正治を船舶振興会に送り込み、乗っ取ろうとしたといわれています。
しかし後藤田を送り込むことは失敗しました。
そこで田中は、笹川の古文である糸山英太郎の選挙違反を徹底的に取り調べて反攻しました。
しかし船舶振興会の乗っ取りにはけっきょく失敗したようです。
ジェローム・コーエンがロッキード事件の全貌を笹川にリークしました。
昭和50年、笹川はニューヨークのホテルで、コーエンと会談しました。
その直後、コーエンはロッキード社の情報をチャーチ委員会に持ち込みました。
スキャンダルの炸裂以降、笹川はマスコミに頻繁に登場し、田中と児玉と小佐野をコキおろしました。
このあたりのことは周知かな。
やはり諜報機関が透けて見えます。
このとき児玉の枕元に大西滝治郎中将が立ちます。
児玉はこのときに謀略の全貌を悟ったのかもしれません。
気の毒な人生だった。
後はおまけだね。
「保守本流」は雑多な因子を抱え込みながらも、諜報機関の管理下にありました。
してみると、田中角栄が権力を掌握したことが、どんなに異常なことだったか、よく分かります。
また、笹川が「忠実にして鋭敏」であること、児玉がちょっとオマヌケであることも良く分かりますね。
1973年近辺に世界構造が変質しました。
笹川はそれに真っ先に対応しています。
この時期に日本国は唯一の独立派−角栄を失ったみたいです。
角栄の後継者は裏切り、創政会は目的を失って利権のみに走り、衰退していきます。
この派閥は、小渕首相に至って完全親米路線となり、手打ちをしております。
だから今私たちの目前にあるのは、ただのゾンビです。
現在、その断末魔を見ることができます(橋本派のことだよ)。
中曽根はもちろん保守本流ラインから更に親米的要素を純粋培養したものですね。 海軍だしな。
小泉は、このラインから選抜された人間です。
彼の個人的資質と家系とが、目的から見てぴったりだったから選ばれたのです。
もちろん小泉は中曽根の忠実な子分だよ。
この話は退屈だからこれで良いかな。
笹川と児玉の軌跡を追う−A級戦犯への「志願」
私は彼ら自身には興味がありませんが、そのエージェントとしての行動から、もっと大きな策謀が透けて見えるという点で便利な存在です。
笹川と児玉は、当時死刑必至と噂されていた巣鴨プリズンに「志願」して入るという奇怪な行動をとりました。
比較的陳腐な話なのですが、簡単に整理してみましょう。
笹川−児玉と山本との関係は書いてきたのですが、二つ補足します。
1. 一機一艦撃滅主義を山本五十六に説いたといって自慢しているのは笹川本人です。
山本は、部下の大西滝治郎にこれを伝えたものと推定されます。
大西は、航空機戦略論者であり、山本の指令を受けて真珠湾攻撃を検討させられた人です。
昭和20年8月16日、大西中将は自決します。
「我死をもって旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす」
これは大西中将の遺書です。 悲痛です。
このとき児玉は大西と心中しようとしましたが、大西に止められてしまいました(なお、児玉がいかに海軍と関係が深いか良く分かりますね)。
児玉がロッキード事件に巻き込まれたときに、大西中将が夢枕に立ったと伝えられています。
これは怖い。
太平洋戦争が終わると、当時の政界、財界、軍部は、一斉に責任逃れのための策謀を始めました。
8月28日、首相は一億総懺悔論を展開し、9月4日、臨時国会で総懺悔論は了承されました。
ここで天皇が防御ラインであることが明らかになりました。
天皇に責任が及ぶと、戦時中の全指導者達も一人残らず責任を逃れることはできません。
日本共産党は天皇を戦争犯罪人として指弾しました。
笹川は直ちに国粋大衆党の残党を集め、全国勤労者同盟を設立しました(メンバーが同一なのが笑いを誘います)。
笹川は鳩山自由党に結党資金を提供し、結党式にテキ屋集団を動員します。
そして反共の看板を掲げることになります。
A級戦犯というのは基本的に政治指導者レベルの話です。
小政党の党首(笹川)、スパイ(児玉)が該当するわけはありません。
ところが、東条が逮捕された直後から、笹川は「戦犯を志願する」と公表し、大阪で太平洋戦争肯定論を披露する演説会を数十回も開きます(もちろんGHQ関係者の前です)。
笹川は目的どおり巣鴨プリズンに収監されますが、このときブラスバンドと横断幕で笹川を歓送してパレードを行ったそうです。
パレードを実行したのは日本天狗党でした(新興暴力組織です)。
巣鴨では、児玉は東条に余計なことを言わないように説得しましたが、この説得に失敗するか、あるいは児玉が説得を拒絶する可能性もありました。
このときのスペアとして、脛の傷を持つ政治家が笹川を巣鴨プリズンに送り込んだのでしょう。
笹川がこれを受けたのは、山本の計画を知っていたか、あるいはうすうす勘づいていたからに違いありません。
もしそうであれば、連合国が、危険な統帥−海軍−山本関係の裁判に深入りすることはなく、適当なスケープゴートに全責任を問わせて絞首台に送り込むことが読めていたはずですね。
だから笹川は喜んで巣鴨プリズンに入れたのです。
児玉は少し違います。
12月23日に東条等が処刑された翌日、児玉が笹川に依頼を行いました。
「先生、私は中国の略奪のことでビリに残るかもしれません。出られたら、あの辻嘉六にあっていただいて、彼に渡してあるいろんな大事なものを取り上げて欲しいんです。」
しかし、当時、笹川と児玉は一緒に釈放されてしまいました。
この大事なものとは、児玉機関の物資の一部でした。
児玉は、首を吊られるかもしれないと覚悟していたみたいです(身に覚えもありますしね)。
従って、謀略の全体像が読めていなかったことが分かります。
6/12/27

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