岡崎氏は、「事の善悪を捨象してでも米英(アングロサクソン)に付き従うのが日本の国益だ」と言い切る人である。
もっともらしい理屈を付けて米国の外交政策を正当化する“正統親米派”よりは、筋が通っているし議論を絞り込みやすいと言えるだろう。
国益を「近代的経済利益の極大化」と理解すれば、それを実現するためには米国に追随すべき(確固たる同盟を維持すべき)という主張である。
「近代的経済利益の極大化」が国民多数派の利益かどうかはとりあえず脇において、岡崎氏の主張が目的に合致するかを検討する。
岡崎氏はアングロサクソンの覇権はあと50年は続くから日米同盟が重要と説く。
未来の話はわからないことだから、それはそうだという仮定でいいだろう。
問題は、米英は、岡崎氏以上に「近代的経済利益の極大化」を追求するために外交を実行する国家である。
であるならば、米国の「近代的経済利益の極大化」と日本の「近代的経済利益の極大化」が合致する限り“自然と”日米同盟が固くなるが、それが乖離するようになれば、日米同盟は阻害とは言わないまでもプライオリティが低いものになるということである。
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“確信親米派”は好きです(笑)投稿者 あっしら 日時 2003 年 2 月 05 日
戦後、日本の「近代的経済利益の極大化」であった経済再建が米国の「近代的経済利益の極大化」に資するものでもあったことは間違いない。
米国の経常収支が赤字になり財政赤字も増大した85年以降も、貿易で稼ぐ日本からのドル還流が米国経済を支え、日本も、それによって対米輸出を維持することができた。
さらに、90年代の“米国の繁栄”も、バブル崩壊で経済的苦境に陥った日本の余剰資金が対米投資に回ることで支えられた。これも、余剰資金の運用や輸出の維持というかたちで日本の国益に貢献した。
この意味で、戦後から2000年のバブル崩壊までの日米の「近代的経済利益の極大化」は合致したと言えるかもしれない。
しかし、冷静に考えれば、日本は、米国に貸し出しをしたり証券投資をすることで、対米輸出を維持してきたのだから、もしも米国が借金を踏み倒したり米国株価の暴落が起きたら、自分のお金で自分の財を買っていたということになる。
竹下内閣以降、米国の世界戦略のアジア拠点である日本の基地は、「思いやり予算」で支えられるようになった。
80年以降の日米関係は表面的な持たれ合いとは違って、基層的部分では利害が対立するようになっているのである。
中国をめぐる問題でも、米国にしてみれば、日本からだと100ドルの財が、まったく同じ物で中国から80ドルで輸入できるのは膨大な貿易収支の赤字という状況ではありがたいことだ。(日本企業が中国で生産しているのだから機能・品質は同等だ)
社会保障や軍事支出の増大が現実化している米国政権は、コストが安いだけではなく人民元が安値でドルにペッグしている中国に日本からの輸入品をシフトしていきたいと考えるはずだ。それが「近代的経済利益の極大化」に基づく判断である。
また、そのような貿易構造の変化は、日本の貿易収支を悪化させ、日本からのドル還流が当てにならなくなることでもある。そして、その代わりに中国からの還流を期待することになる。
米国企業にしても、日本は金融のみがおいしい標的となっている。そして、金融を抑えてしまえば、日本は収奪だけの対象になり、痩せ細っていく存在になる。
一方、中国は、沿海部だけを考えれば、おいしく太っていく存在である。
それでも、米国政権は、日本を立てるような外交を採るだろうか?
さらに言えば、今焦点になっている中東に関しても、日本は中東産原油に75%を依存しているのに対し、米国は10%ほどの依存である。(それも、ロシア産にシフトしようとしている)
このような現状で、日本は米国の中東戦略に乗っかることが賢明な選択だと言えるのか?
岡崎氏や岡崎氏の論にシンパシーを感じる人に言いたいのは、アングロサクソンの覇権が続くとしても、そして、日本がアングロサクソンに思い入れをもって擦り寄っていったとしても、米英が日本を重要なパートナーと判断するかは別の話だということである。
擦り寄るために資金の供与や外交に対する支持を与えれば、米英は無碍にはしないだろうが、それが日本の「近代的経済利益の極大化」を実現する政策に結びつくとは限らない。
醜女の深情け(失礼!)ですがっていき、いいようにしゃぶられたあとで捨てられる可能性もあるということを念頭において外交が考えるべきである。
米英の支配層はしたたかなので、一方的に思い入れている日本は、捨てられても、しばらくしないと捨てられたことさえわからないだろう。
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米国のイラク攻撃批判に思う
国民の利益を最大限に守るのが肝要 岡崎久彦
(産経新聞「正論」2003年1月31日掲載)
<「反米は人畜無害」なり>
一月に東京に降ったボタ雪は忽ち消えてしまったが、年初に頂いた年賀状に次の一句があった。
―――反米は人畜無害、春の雪―――
たしかに旧社会党の村山首相までが「安保堅持」を明言し、いかなる反米論者も日米同盟に代る代案を持たない現状では、反米論は無害であろう。あたかも日本のサラリーマンが仕事後一杯飲みながら会社や上司の悪口を言いつつも翌朝は善良な社員として会社や家族のために働くように、日本国民が、今後長い将来にわたる日米同盟の重要性の認識を失わないかぎり、何も心配することはないのであろう。
ただ今のところ心配なのは、アメリカのイラク攻撃に際して、一部に対米批判があり、それだけならば何という事はないが、それが政府の姿勢に影響を与えるようになると、日米同盟の信頼関係に影をさすおそれがある事である。
現在アメリカの同盟国では、ドイツとフランスがイラク攻撃に反対しているが、NATOの中では、英国をはじめ、イタリア、スペインの南欧諸国、ポーランド等の中東欧諸国は米国支持である。
ドイツの場合は日本にとって参考にならない。冷戦後の欧州では多くの左翼中道政権が生まれた。それらは社会主義イデオロギーは当然捨てねばならず、またそうでなければ政権は取れなかったのであるが、ミサイル防衛反対、原発反対などに旧野党時代の尻尾を引きずり、反米ムードもそのまま残っている。
<近代国際社会の原則>
とくにドイツは、多数連立政権を作るために緑の党と連立した。たとえて言えば、村山政権が、自民党との連立でなく、野党を糾合し、外相は左派反体制派から起用したような政権であり、ドイツ外務省も内心は困り果てているようである。
フランスは、ドゴール以来の伝統的自主独立路線であるが、反対の理由はもっぱら法的手続論であり、安保理決議さえあれば攻撃にも参加する余地もある姿勢である。
シラク大統領の発言を見ても、サダム・フセイン政権は邪悪な政権であり、イラク国民にとってもその地域世界にとっても有害だ、と日本の政治家が誰もそこまでいう勇気のないような認識をはっきり示した上で、十七世紀以来の国際社会のルールの上から国連決議なしの行動に疑念を示している。
実は問題の深い本質はここにある。一七世紀中葉、宗教戦争を終らせたウェストファリア条約以降近代国民国家が成立した。信仰は各国自由、主権は平等となった。
<秩序を守るのが大国の宿命>
「悪の枢軸」のように、国には善い国と悪い国があるという考え方、悪い国が先に攻撃して来る前に先制攻撃をしても良いという考え方、これが近代国際社会の原則に反するというのである。
もちろんこれに対して法的にも是非の論はある。国際法といってもそんなに確立した法でもないし、右の原則にしても、近代世界でこれが守られた例よりこれに反した例の方が圧倒的に多いであろう。
また、ウエストファリア条約以来三世紀半、国際関係の基礎構造は、列強の、最後には米ソの、力関係の上に構築されて来た、現状の米国のように一国がずば抜けた力を持った例は一度もなかったし、また、デモクラシーのような特定の価値観が独り勝ちしてしまった例もない。
たしかに国際社会の基礎構造は変質したのであろう。状況が変わったということならば、日本としては一九世紀に開国して以来習い覚えて来た国際規範に固執するよりも、状況の成り行きを冷静に見極め、その中で国民の利益を最大限に守る方策を見失わないことが肝要であろう。
最後にフォーリン・アフェアーズ最新号巻頭のアジヤミ博士の論文を抜粋紹介する。
博士は、米国はアラブの心を掴めるとか、戦争の正当性を納得させられるとか、甘い期待を持つべきでないと、冷静かつ厳しく警告を発しつつ、にもかかわらず、アラブ世界のひがみ、甘え、後進性を脱却しようとしている心あるアラブ人は米国の介入に期待していると述べた上、そして更に、たしかに戦争が引き起こす惨苦は甚大なものがあろうが、ここで攻撃を中止しサダム独裁の継続を許すことのもたらす恐るべき結果と較べれば、それさえも卑小なものであり、力の行使そのものに対する非難を甘受しつつ、世界の秩序を力で守るのが大国の宿命だと結んでいる。(了)
以上岡崎研究所HP

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