金融調節・量的緩和からの続です。
簡潔な反論 投稿者 匿名希望
日本経済の現状を良く分析されており、大変感銘を受けました。
やや正統派経済学とは異なる考え方も散見されましたが、共鳴できる点も多々ありました。
一方で異論のある点もあり、論拠とデータを基に直ちに反論したいところですが、あくまでも私的な立場で投稿している身ですので、使用可能なデータの吟味などに少々お時間を頂戴したいと思います。
公開可能データの選択の煩雑さ、本サイトの投稿様式、閲覧諸氏のニーズ等の諸制約のため、極力専門性を排し概略的な反論を試みることに致しました。
貴殿のご主張をごく簡単にまとめると次のようになると思います(誤認があればご指摘下さい)。
日本経済の低迷と財政の危機的状況を抜け出すには、デフレの克服(インフレの招来)が不可欠である。そのためにはデフレ・ギャップの解消が必要であり、これは個人消費の増大によりなされる。この個人消費の増大は、税負担を高所得者層に相対的に重くする事(中低所得者層の可処分所得の増大)によって実現する。
この結果、公定歩合引き上げなど諸金利引き上げに向けた体制が整い、デフレがマイルドなインフレへと転換してゆく。
この考え方に対しやや刺激的な言い方をしますと、「この程度の事で今の難問が解決するなら、すぐにも必要な法案を成立させますよ。」ということになろうかと思います。
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想定しておられるのは、所得税の累進税率の変更と思いますが、確かに累進カーブをきつくしてやることによって、現在よりは個人消費が若干高まる事は間違いないでしょう(所得階層ごとに限界消費性向が異なるのは自明ですから)。
ただ、現在の日本の経済や財政が抱えた問題のマグニチュードからして、その効果は全く不充分と言わざるを得ません(それこそ焼け石に水です)。
84年の税制改正以前よりもさらにきつい累進性や低所得層へのマイナスの所得税(つまりは補助金ですね)といった社会主義的な累進課税まで想定しておられるとしたら、民主主義国家体制下における法案成立の難しさもさることながら、活力減退や脱税の横行など別の弊害も発生します。
貴殿の仰る微温的な(と、私は判断しました)政策は効果を発揮しないばかりか、90年代の先送り政策を別の形で踏襲するものに過ぎないというのが率直な感想です。つまり、そのような政策ではデフレは止まらず、いたずらに低迷を長引かせるだけだ、ということです。
ただ、財政支出の使途の見直し等、貴殿のご指摘になられた多くの点で同意できることがあったことを申し添えておきます。
90年代の日本を指して「第二の敗戦」と呼んだ文芸評論家がおりました。
これからの日本は過去の延長線上にはないのだ、という決意を新たにする意味で、この言葉の重みを味わう必要があります。
日本のあらゆる組織や制度が、新たな時代に対応した文字通りの意味でのリストラクチャリングの洗礼を早急に浴びる必要があるのだと思います。
財政も身の丈に合った時代の要請に合う構造に急いで作り変えて行く必要があります。
貴殿のアイデアも排除する必要はありません。少しでも現状の改善に貢献するなら現実の政策に反映してゆくべきだと思います。
ただ前述の通り、残念ながらそれはone of themに過ぎず、個人消費を劇的に改善させ、GDPの伸びをリードするほどの力はありません。
日本経済の底力を信じつつ、たとえデフレ圧力を一時的には増やすと分かっていても、財政建て直しに着手する必要があるのです。
言葉は悪いですが、もはやここまで来たら観念すべきです。
小手先の如何なるビホウ策も通用しません。
最低限のセーフティ・ネットは行政で確保しつつ、どんな苦境にも耐えて見せる、という国民一丸となった対応をしたいものです。
盲腸が痛いと言って薬で散らすことを続けるのではなく、外科手術を断行し、病巣そのものを抉り出すのが回復への早道です。
手術をいつまでも避けると腹膜炎に発展し、最後には命を落とします。
デフレ・スパイラルを恐れる言説もいまだに見かけますが、これは外科手術の失敗を恐れるのと同じです。
しかし、いずれにしても手術は避けられないのであれば、早ければ早いほど手術成功の確率が高まります。
最後に金融の量的緩和について一言触れると、現実が正しく証明している通り、残念ながらこの政策に経済をインフレに導く効果はありません。
規模を拡大しても同じ事です。
問題は銀行の信用創造機能が崩壊の危機に瀕しているところにあるのであって、日銀のマネー供給に問題があるのではないからです。
以上 簡潔な反論 投稿者 匿名希望 日時 2002 年 7 月 27 日
“微温的政策”は「デフレ不況」克服の出発点だと考えています 投稿者 あっしら 日時 2002 年 7 月 27 日
反論ありがとうございます。
自説の政策の問題は後述することにして、貴殿の日本経済に対する大局的認識についてまず反論します。
言葉は悪いですが、もはやここまで来たら観念すべきです。小手先の如何なるビホウ策も通用しません。最低限のセーフティ・ネットは行政で確保しつつ、どんな苦境にも耐えて見せる、という国民一丸となった対応をしたいものです。
「最低限のセーフティ・ネットは行政で確保しつつ、どんな苦境にも耐えて見せる、という国民一丸となった対応」は、精神的態度としてとても重要なものだと思っていますが、経済論理的には誤ったものです。
平均的国民生活の切り下げ(総需要減)は即国民経済の低落に結びつき、それがさらなる平均的国民生活の切り下げ(総需要減)を招来するという悪循環に陥るだけの話です。
日本が現在と異なる経済的諸条件であれば、そうであっても、国民一丸となって耐えなければならないと私も考えます。
しかし、年間8兆円もの貿易収支黒字と10兆円超もの経常収支黒字を計上している国民経済が、たかだか(ことさらこう言いますが)、5.5%失業率・30兆円?の銀行不良債権・750兆円の政府債務が覆い被さっているからと言って、観念してしまう必要はありません。
10兆円の経常収支黒字ということは、資本収支がプラマイ0であれば、毎年10兆円の通貨が増加しているということになります。
世界中の国民経済で通貨余剰(価値がある通貨で)というのは日本くらいなのです。
(個々の経済主体ではなく、国民経済レベルの話です)
断言しますが、米国や発展途上国のような通貨不足に陥ってはいない日本経済は、政策的に打つ手があります。
通貨事象から言えば、95年から00年にかけて本来ならば資本化されるべき通貨が40兆円も“不胎化”されていることが、国民経済に「デフレ不況」をもたらしているのです。
(資本収支がプラマイ0であれば資本化されていない通貨量は同時期で96兆円になりますが、それは日本の輸出維持にある程度貢献しているということで対象から除外します)
最後に金融の量的緩和について一言触れると、現実が正しく証明している通り、残念ながらこの政策に経済をインフレに導く効果はありません。規模を拡大しても同じ事です。問題は銀行の信用創造機能が崩壊の危機に瀕しているところにあるのであって、日銀のマネー供給に問題があるのではないからです。
言われるようなことからも、クルーグマン教授が提唱している「インフレターゲット論」の有効性を認めていません。
金融システムに関しては、「銀行の信用創造機能が崩壊の危機に瀕している」というレベルを超えて、“銀行の自立的存続自体が危機に瀕している”と考えています。
現在の経済状況が続く限り、銀行は、自己の存続維持を図るのが精一杯で、信用創造機能の回復を図ることはできません。
財政当局の方にこう言うのは気が引けますが、銀行は、政府と同じように過剰債務=過剰不良債権を抱えてのたうち回り、中長期の合理的判断で経済事象を見れなくなっています。
(過剰債務というのは不良債権の元になった貸し出しに使った預金のことです。バブル形成に貸し込みを行ってとんでもないしっぺ返しを受けたのですから、銀行経営者は、以前から合理的判断能力を失っていたとも言えますが...)
「金融システム」という視点では、優先株購入というかたちではなく返済する必要がない通貨を銀行に投入するかどうかという重大な岐路に立っているのです。
これは、一時的か長期的かは別として、80年代から続いている民営化の流れに真っ向から逆らう“銀行国有化”を実施するかどうかということを意味します。
今では部局のみならず省庁レベルで違う政府機構の担当分野ですが、「デフレ不況」から脱却するためには、「銀行の一時国有化」政策を実施すべきだと考えていますがいかがでしょうか?
現時点の“過剰”不良債権に見合う額なのか、自己資本比率を充足させるために必要な額なのかは別として、国費を使って返済する必要がないかたちでの増資を大規模に行うことでしか、金融システムの正常化は実現できません。
銀行名や経営陣は、大きな問題がないのなら、そのままでもいいのです。
(合併が有効だと考えるのなら合併させてもいいし、経営陣に問題があれば変えればいいのです)
「金融システム」が安定したら、過日の公的資金を編成してもらうと共に政府保有株式を徐々に売却して国費を回収するという過程を踏むもよし、それ以外の政治的判断をしてもよしというふうに考えています。
対銀行については、このような政策を採らない限り、「デフレ不況」も克服できず、投入した公的資金も戻ってくることがないばかりか、再度、再再度の公的資金投入が必要になります。
(「金融システム」や不良債権処理についても、魔法の政策はありませんからね)
7/1/6

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