榊原論文を評す[現状認識編]
榊原論文を評す[歴史的アナロジー編]
に続くものです。
脈絡として先にこの二つをお読みいただくことをお奨めします。
■ 榊原氏の政策提言基礎
榊原氏の政策提言の基礎になっているのは、
「急激な技術革新、金融・資本分野での規制の緩和、そして強力な新しいプレイヤーたちの世界経済への参加は二十一世紀を新しい成長とデフレの時代にしてきているのではないだろうか。
それは、おそらく一〇〇年に一度の構造変化であり、二十一世紀を、二十世紀、特に二十世紀後半とは全く異なった時代にしていく可能性がある。
二十一世紀は歴史上、どちらかというと、一八七〇〜一九一三年のパックス・ブリタニカの時代と類似した、「構造的」デフレの時代ではないかというのが筆者の仮説である。
もし、この仮説が正しいとすれば、緩やかなインフレの時代に確立してきた企業のビジネス・モデルも、政府の政策レジームも抜本的に変えられていかなくてはならない。」
(P.126)という認識である。
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『中央公論』7月号掲載の榊原論文を評す [現状認識&政策編] 投稿者 あっしら 日時 2002 年 8 月 23 日
榊原氏は、政策というものの在り方について、
「青木昌彦流にいえば、制度とはゲームの均衡である(青木昌彦『比較制度分析に向けて』NTT出版、二〇〇一年六月)つまり、制度、あるいはゲームの均衡という概念を導入して考えると、政策にもまた制約があり、制度破壊、均衡の安定をもたらすことなく、極端な政策をとることはできない。
しかし、もちろんこのことは、政策を大きく変える必要がないとか、極端な政策をとるべきではないということではない。制度をとりまく、あるいは、構成する外生的要因が大きく変化した場合には、つまり、筆者がいうような「構造変化」が起こっている場合には、均衡を維持するために、あるいは、新しい安定的な均衡に達するために、政策または政策レジームを大きく変化させなければならない。しかし、筆者のいう「構造変化」を認めないで、二十世紀後半の制度や構造を前提にした理論や経験則に基づいて政策を実行しても意味がない。新しい現実、新しい構造は、当然のことながら、新しい理論と新しい政策を要求する。もちろん、歴史が、ある程度は繰り返すこともまた事実なのだから、過去の歴史に学びながら、新しい現実に対応しなくてはならないことも、また当然である。」
(P.128)と述べている。
※ 青木昌彦氏は、スタンフォード大学教授(経済学)で、かつて姫岡玲治の名で共産党東大細胞(社学同)→共産同の理論家として鳴らした人。最後までマルクス主義者であった故広松渉東大教授(哲学)も、同時期同じ組織において門松暁鐘の名で活躍していた。
(一応生まれてはいたが、榊原氏も無関係ではなかった60年安保闘争や新左翼運動の勃興という大昔の出来事にまつわる話です(笑))
“構造的大変化”が起きた(起きている)のなら理論も政策も一新されなければならないという主張についてはまさにその通りで、理論や政策が一新されるためには、現実として従来とは異質な構造的大変化が起きているという認識が幅広く共有されるようにならなければならない。
しかし、[現状認識編]で批判したように、榊原氏の提示した現状認識では、理論や政策の一新に向けて多くの人が動き始めることにはならないだろう。
「匿名希望」氏が榊原論文について「この論文に対する世の反応を見ると、いわば黙殺されたような格好になっている」と感想を書かれているが、そうであるのもやむなしと思われる。
19世紀末以降100年間の「近代経済システム」は、軌道修正をしながらも発展を続けたのだから、それと同じ状況にあるからと言って何の心配があるというのかというのが榊原論文を読んだ人たちの率直な思いではないかと忖度する。
榊原氏が、「もちろん、歴史が、ある程度は繰り返すこともまた事実なのだから、過去の歴史に学びながら、新しい現実に対応しなくてはならないことも、また当然である」と自覚しているのなら、“ある程度”の内容と“新しい現実”の内容をより詳細に示す必要がある。
そうでなければ、「均衡を維持するために、あるいは、新しい安定的な均衡に達するために、政策または政策レジームを大きく変化させ」るために、統治者や識者が活動を始めることはないと思われる。
■ 90年代政策問題
榊原氏は、P.128以降で、米国の「大恐慌」と日本の「バブル崩壊」を、資産デフレと債務残高(政府+民間)の関係をもとに考察し、
「日本の一九八〇年代末から九〇年代にかけてのバブルは、一九二〇年代のアメリカに比べれば小さかったのだから、財政・金融政策で景気を底支えする間に、物価と資産価格が逆転し、インフレに転じれば、不良債権=過剰債務問題は解消し、経済はふたたび成長軌道に乗るはずであった。事実、政策当局、銀行、企業ともに価格の逆転を期待し、いわゆる先送り政策を実行したのだった。」
(P.130)と述懐している。
このような総括に対しては、80年代後半に形成された資産バブルが、「日本列島改造政策」や固定資本過剰状況を呈し始めた70年代以降の“地価・株価だらだらバブル過程”の上に築かれたものであることの認識が欠けていると指摘しておきたい。
地価は一般物価や家計の可処分所得の伸びを上回る勢いで上昇し、「バブル形成」以前から、東京圏であれば、許容できる通勤時間の範囲で集合住宅を購入できる層は限られ、“通勤地獄”を我慢して購入した住宅であっても、“ローン地獄”のなかで30年もかけて返済していくような価格レベルにあった。
株式も、“持ち合い”によって市場で取り引きされる株数が少ないなかで値を上げてきたものである。
財の価格はともかく、資産価格が90年代前半の経済状況や経済政策で逆転するという淡い期待を抱いていたとしたら、統治者の一員としては適格性を欠くと言わざるを得ない。
(株式市場については、民営化政策によるNTT・JR・JTの株式が放出されたことや新規市場の開設で、供給増加による株価下押し圧力も存在している)
資産価格はさらに下落するのが合理的という見通しの上で、財や用役の価格をどうやって上昇させるかを考え、それを通じて資産の名目価格が下げ渋るようにするというのが政策立案者の立場でなければならない。
このような認識の欠如が、現在に至るまでの「デフレ不況」を生みだし、効果性のない財政出動につながったのである。
そして、デフレが深刻化している今なお、贈与税や相続税を巡る論議や“PKO”を見ればわかるように、資産価格をなんとか回復させようという考えが根強く残っている。
「デフレ不況」下で経済論理価格を上回っている資産価格は、通貨ベースでの供給の増加を通じた財や用役の価格上昇を通じてでしか、下支えをすることもできなければ、反転させることもできない。
榊原氏は、淡い期待に沿った政策の批判者としてインフレ・ターゲット論者(伊藤隆敏氏)を提示し、争点として、「デフレを構造的と考えるのか」(榊原氏)それとも「インフレは金融政策によって必ず起こすことができるものと考えるのか」(伊藤氏)とまとめている。
そして、
「問題は、多くの財の価格が構造的に低下する傾向があるとき、通貨供給量を増大し、平均価格を上げようとすれば、価格構造に大きな歪みが生じ、制度の安定性、あるいは、ゲームの均衡が破壊されてしまうのではないかということである。」
(P.131)と反論し、
「デフレの構造的要因が存在する場合、たとえ、最終的には、平均価格が通貨供給量によって増大するにしても、そのプロセスは決して連続的ではない可能性が高い。つまり、流動性の罠、為替レートの部分的管理による硬直性によって、通貨供給量の増大にもかかわらず、当初はデフレが継続し、通貨供給量の増大がある臨界点を超えたところで、ハイパー・インフレに、円の暴落等が惹起され、一度、起こると政策によってこれを、少なくとも短期間で逆転させることが不可能になるという事態が想定される」
(P.131)と補強している。
これについては、とりわけ前半部の説明でどういう歪みが発生しどう均衡が破壊されるのかという具体的な説明もなく、後半部も抽象的な説明に終始しているので、とりあえずその通りだとしておく。
インフレ・ターゲット論については、債務をベースとした固定資本が債務返済を可能にするレベルにおいてさえ稼働しない状況において、中央銀行がいくら通貨発行量を増加させる政策を採っても、商業銀行から一般の経済主体への貸し出しが増加することはないという問題を解決していないことに最大の誤りがあると考えている。
名目GDPが縮小しているのだから、余裕資金を保有していたり債務に苦しんではいない経済主体も、追加的に固定資本を形成することはない。
現状において資金が欲しい経済主体は、苦境のなかでなんとか存続を図りたいところであり、そういう経済主体に貸し出しを行えば、「デフレ不況」が続く限り、銀行の不良債権がさらに増えるだけである。そういう融資は、銀行のほうが実行しない。
借り入れ金利がたとえ0%でも、1%を超えるデフレであれば、実質金利はデフレ率と同じになる。固定資本(生産設備)が通貨ベースでまともに稼働していない状況での新たな借り入れは、経済主体にとって負担の積み上げになるだけである。
(デフレ傾向であれば、過去に形成した固定資本は相対的に高価格のものとなる。また、国際競争財で最高度の競争力を誇る日本企業には、競争的に強いられる設備更新という外的圧力も少ない。これが後に大きな痛手になる可能性が高い)
また、通貨供給量を増加するために日銀が銀行保有の国債や債券を買い取ることで困るのは、安定的な利息収入源を奪われる銀行である。日銀券をただ保有しているだけでは利息は得られないのである。
さらに言えば、経済主体は、中央銀行がいくらインフレ率目標を掲げようとも、現実がそういう動きを見せてから動くものである。
中央銀行がインフレ・ターゲット数値を示して宣言しながら、それが現実化しなかったときにもたらされる弊害のほうがずっと大きいと言わざるを得ない。
これまで日銀が採ってきた金融政策は、インフレターゲット政策によってデフレが解消できないことを示したものである。
続きます。
7/1/19

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