経済体制は生産財の所有形態(私有か公有か)とその調整原理(市場か計画か)によって、これまで資本主義(私有−市場)と社会主義(公有−計画)に二分されてきました。
しかし、現実には、中間的な混合経済体制が広く行われてきました。
ソ連の崩壊以後社会主義(公有−計画)は説得力をもたず、グローバリズムの名の下での過度の資本主義への傾斜は様々な問題を引き起こしています。
これからの地球社会は従来の思考法では説明も対応もできません。人類の歴史過程自体から再考されるべき時を迎えています。
図は電脳経済学からの引用ですが、今後の経済体制として図C協議経済の領域が考えられます。生産財を社会化し協議によって経済の運営を計ろうというものです。
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過疎を克服し地方が生き延びる道
続 過疎を克服し地方が生き延びる道
で地方の問題を見てきました。
その際「内発的発展」が鍵であることが明らかになりました。
中村氏は、現代社会を象徴する2大システム、「市場システム」と、「計画システム」の進展によって、もたらされた弊害を克服するための第三のシステムとして「協議経済システム」を提唱しています。
この協議経済システムとは、文字通り「協議」による資源配分を理想とするものであり、「価格」や「企画」に規定されたシステムとは一線を画したものとなっています。いわば、人格的な相互依存関係がその基軸をなす、「友愛」の理念と結びついた経済システムといえるでしょう。
また、この協議経済システムは、にネルファンが示した「水平的かつ網の目状の関係」をそのモデルとしており、各経済主体が水平かつ網の目状の関係の中で、相互に自主的な協議を行うことを理想としています。
(出典)中村尚司『地域自立の経済学第2版』日本評論社、1998年、P127。
現代日本社会は、経済的利害関係の支配力が強く、それが人々の生活過程を著しく狭いものとしてきました。市場原理は同質化・普遍化をもたらし、地域生活の循環性、多様性、および関係性を解体する作用を持っています。
言い換えれば、市場における商品化の展開は、地域性そのものを解体する作用を内包していると言えるでしょう。
これはまさに、生活や生命といった非経済過程の解体過程そのものであり、経済過程を全て市場と計画に委ねてきた当然の帰結なのです。
こうした私的部門(私企業)と公的部門(公権力)における経済活動の組織化が、人間生活の自然過程を脅かす状態となった現在、これに対抗できる経済主体は果たしてありうるのでしょうか。
この究極の命題について中村氏は、その可能性を持つ唯一の主体として「生活の本拠をともにする地域住民の共同体」を挙げています。
この地域住民の共同体こそ、生活の本拠を共にする者の協力関係であり、これらが「共同部門の経済過程」を組織する協業(=地域共同体による協議経済)を築くことによってはじめて、本当の意味での「地域自立」が達成されるとしているのです。
こうした協議経済システムの考え方は、先述の内発的発展論の考え方と多くの点で符号しているのです。
まず、共に「地域」をベースとして捉えている点があげられるでしょう。
近代化論は、全体社会(国民国家と境界を一つにする)を単位として組み立てられた社会変動論ですが、内発的発展論、そしてこの協議経済システム論は、自然生態系や集積された社会構造および精神構造の伝統を重視することから、それら諸条件を充たす空間としての「地域」を一つの単位として理論が組み立てられています。
それゆえ中村氏は、この協議経済システムの核心を「生命系の経済学」にあるとしており、とりわけ「経済活動の循環性」が重要な評価基準になるとしているのです。
これによって、物的な生産活動を、天然資源の利用から廃物・廃熱による環境の負担まで一貫して「循環」として捉えることが出来るようになり、生命活動への長期的な展望を持つことが可能となるのです。
これは、内発的発展論の主張するところの「持続可能な発展」に通ずるものがあります。
また、内発的発展論においては、その指向する問題解決の糸口を、地域住民の積み重ねてきた文化遺産、すなわち伝統の要素や地域資源を現在に作り替えて使うこと(=伝統の再創造)に見出せるとしていますが、協議経済システムにおいても、この地域資源の捉え方が重要なポイントとなっています。
つまり、この場合の地域資源とは、従来のような地域に内在する天然資源一般といった人間活動の対象的自然のみを指すのではなく、その地域における物的な生活(経済生活)を営む人々の社会関係そのもの(=地域住民の社会関係)と捉えられているのです。
具体的には、土地所有、労働力、信用といった社会関係の基本的な性格を規定するような要素がこれに該当するでしょう。
こうした近代の市場経済において主要な生産要素とみなされる土地所有、労働力および信用は、もともと人間と人間との社会的な関係に他ならず、商品として売買することは不可能であり、まさに地域内部で共同利用すべき「地域資源」そのものなのです。
例えば、日本では土地所有の商品化が急激に進展した結果、地価水準が異常なまでの高まりを見せていますが、このような地価は、たまたま土地所有について市場システムを採用しているから成立しているにすぎず、こうした土地所有の商品化に代わるシステムを導入すれば、たちまち瓦解する性質のものです。
したがって、土地所有を市場の商品とせず、生活の本拠をおく住民主体の協議に委ねることで、地域住民の必要に応じた利用と管理を実現することが可能となるでしょう。
具体的には、無目的の土地所有を排除し、全ての土地を目的別に分類、さらにはそれら土地の利用計画を地域住民自らが作成することで、所有関係を徐々に社会化していく。
そしてそのためには、当該土地の所有権と利用権を分離、二重化し、うち利用権を社会化して、自主管理的な経営主体に委ねることが必要となります。
これによって、単一の排他的な土地所有関係が解体され、商品としての土地所有に代わる、直接的かつ人格的な社会関係が創出されるでしょう。
さらには、地域の経済活動が土地所有関係に制約されなくなることから、自主管理的な協同組合経営へと展開することも容易となってくるのです。
また、労働力についても同様で、労働力を市場の商品にせず、生活の本拠を共にする人々が生産活動を担い、さらには地域的な自主管理を導入することで、労働主体が文字どおりの「主体」となるでしょう。
いわば「労働力の地域化」です。
地域社会を構成する住民が自主管理企業(=労働者であることがそのまま経営者であることと重なるような経営体)を構築することによって、誰もが自由に事業活動に参加することができ、しかも参加する程度に応じて平等に参画できる協同組合経営が実現するのです。
こうした利潤原理ではなく、相互扶助という生活原理がベースとなる協同組合は、まさに生活の本拠である「地域」に根をおろした自主管理企業といえるでしょう。
さらに、こうした経済活動を進めていく上で必要な資金の地域内循環を図ることも重要ですが、そのためには「信用」もまた地域化されなければなりません。
信用を脱商品化することで、人格的な信頼関係を取り戻すのです。
具体的には、地域住民によって設立されるコミュニティ銀行的な組織が、地域内の資金循環を担うことが理想でしょう。
このように、地域の経済的な自立が再建されるためには、信じあえる人々が相互に信頼関係を強化する制度を生み出す必要があります。
そのためには、上述した3つの主要な地域資源を規定する所有関係のあり方が決定的な重要性を持ってきます。
すなわち、地域に生活の本拠をおく人々は、これらの基本的な社会関係を地域化することによって初めて、対象的自然の循環性、多様性および関係性を発展させることができるのです。
協議経済システムは、効率や統合という点において、既存の市場や計画システムに劣ります。これは生産の効率を上げるのに必要な地域資源が商品化されていないため、外部の経済諸力と競争した場合、勝ち抜くことが非常に困難なためです。
でも、当該システムを採用することによって、自立した経済単位が相互に対等な関係を維持することが可能となるでしょう。
競争に勝つことを第一の目的とせず、地域における循環性の永続、多様性の展開および関係性の創出を何よりも重視するシステムだけに、定常的な条件の下では強い持続力を発揮するのです。
また中村氏によれば、この地域自立という視点から見た場合の「地域産業」は、「おもに地域の資源を活用し、地域住民によって経営されて、しかも地域内における消費を域外への販売よりも優先する産業である」とされていますが、これは先述の「内発型産業」の定義とほぼ合致しています。
余剰生産物が売られた歴史は長いですが、もっぱら販売するために生産が行われるようになったのは近代に入ってからの現象であり、その意味からすると、中村氏の主張する「地場生産・地場消費」という形態に最も適した地域産業は、伝統的な広義の「農業」といえるでしょう。
「地域資源を用いて地場消費のために生産が行われる地域産業でも、余剰があれば、域外に販売してもかまわない。不足すれば域外から購入してもよい。
米や麦は、生命過程の結実したものであるが、それと同時に労働生産物である。
労働生産物でない土地所有、労働力および信用とは異なっている。」という氏の主張が示すように、社会関係を商品化することは地域自立に破壊的な作用を引き起こしますが、労働生産物の商品化はそのような副作用をもたらさないのです。
ただ、この「地場生産・地場消費」を目的とした地域産業だけに特化していては地域発展は望めません。
既存の市場システムでも、そのベースとなる「市場」を通じて、人々は異なった生活や文化を学び、自己の暮らしと文化遺産を豊かなものにしてきました。
したがって、この協議経済システムにおいても、地域内生産=地域内消費という狭い循環(=地域産業)を越え、遠隔の地域まで循環の輪を広げるような産業の構築が必要でしょう。
その役割を担うのが「地場産業」です。
地域産業が地域資源を活用し、地域内消費を目指すのに対して、地場産業は地域外の人々のために生産を行う産業といえます。
すなわち、可能な限り地域内の原材料、労働力、資金等を用いて生産を行い、その生産物(=特産物)の主要な販路を広く地域外に求めるのです。
ただ、こうした地場産業が必要とする広域的な商品市場は、その広域さゆえに、非常に不安定な市場であることは否めません。
でも当該市場は、土地所有、労働力や信用を商品化する市場とは全く性質を異にしているため、地域自立を阻害する要因とはなりにくく、また同時に、人間の暮らしを多様化し、人々の関係を深める偉大な交流の場ともなりうるのです。
地域外の経験から学ばなければ、地域内の暮らしを改善することが出来ないように、地域の経済活動も自己完結的ではなく、他地域との交流を深めたり、外からの移住者を一定基準で受け入れたりする仕組みが必要でしょう。
それゆえ、地場産業による特産品や地域の余剰生産物の商品化は、単なる販路の拡大というだけでなく、経験の交流という積極的かつ重要な側面も合わせ持っているのです。
このように、文化交流といった市場システムの利点は可能な限り活かし、なおかつ地域の自立を保ちながら、安定した不安のない暮らしを続けようとするならば、必然的に市場システムの外部に非市場的な経済生活の場を確保することが必要となるでしょう。
こうした市場システムと対抗し、かつこれを補完する非市場的な経済システムとして挙げられるのが、先述の計画システムと、ここで述べた協議経済システムです。
市場システムが私的部門の経済活動にふさわしいように、計画システムは公的部門に、そして協議経済システムは共同部門に対応する経済メカニズムなのです。
すなわち、この3つのシステムが相互補完、もしくは相互対立することによってはじめて、地域の発展、自立が達成出来るといえるでしょう。
参考:過疎問題総合研究所 内発的発展と第三の経済システム
:電脳経済学v3
2006/1/30

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