「「定常状態」あるいは「歴史段階的動態均衡」という経済状況(前編)」
世界経済のゆくえ
短期的な経済政策問題に徹するという自戒を込めながら書き込みを続け、本来ならばずっと先に書こうと思っていたことだが、既に書き込みのなかで「定常状態」という言葉を数回使い、「匿名希望」氏とのやり取りを通じて、「こういうグランド・デザインを描く時には、今の延長線上で物事を考えてはうまく行かないと個人的には考えている。
そこへ至るプロセスは後から考えるとして、将来の理想的かつ持続可能な経済像を予見しうる与件を基にして組みたててしまった方が良い」との助言をいただいた経緯もあり、先行的に「定常状態」や「歴史段階的動態均衡」に関する概略の説明を簡単に行いたい。
■ 世界観的基盤を失っていった経済学者
ミクロベースであれマクロベースであれ、総体的な経済事象を説明する体系として研究されてきた経済学が、自然科学的な分析手法がより前面に出てくるようになり、研究分野も細分化されてテクニカルな学問になっていったのは、ポール・サムエルソン氏以降と思われる。
(サムエルソン氏は、経済学ゼネラリストであり、日本でも版が重ねられ広く読まれた『経済学』の著者)
彼自身、「理想的な観測条件の下で検証可能であり、有意味で、しかも反証可能な仮説」の定式化とその論理的な証明を中心的な課題とした。
このような転換により、特定の経済問題が精緻に分析されるようになり、データを利用した仮説の検証など、応用や実証という側面において経済学が大きく発展してきたことは間違いない。
しかし、この転換により経済学が失ったものは、得たものと同じくらい大きいと言える。
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【世界経済のゆくえ】 「定常状態」あるいは「歴史段階的動態均衡」という経済状況 投稿者 あっしら 日時 2002 年 8 月 20 日
大枠の一般理論すなわち「近代経済システム」に通底する論理が研究テーマから外れて与件的なものとなり、サムエルソン氏が批判の対象としたマーシャル氏が考慮していた“私的利害と社会の利益の不調和”といった問題が研究対象の埒外に置かれるようになってしまったからである。
A・スミス氏の概念である“自然価格”も「定常状態」を示唆するものであるが、リカード氏は、論理的帰結として、利子率相当の利潤率まで利潤が下がる「定常状態」を明確に打ち出した。
“社会ダーウィン主義者”として今では好意的に見られていないマルサス氏も、生産的労働者と不生産的労働者という枠組みのなかでいくら投資が増えても、財の供給が増えるだけで需要が増加しないという視点から一般的供給過剰を唱えた。
(マルサス氏が、弱者救済策の一つである救貧法に対して供給の拡大を伴わずに人口を増加させるものとして批判したことにはそれなりの意義があると思っている)
「土地国有化論」を打ち出した“奇妙な自由主義者”ワルラス氏は、現代経済学の基礎とも言われている一般均衡理論のなかで、均衡状態ではまったく利潤を受け取ることがないことを明らかにした。
(ワルラス氏は当時の主流派社会主義者を批判した社会主義者とも言うことができ、「交換の理論」は自然科学で、「所有の理論」は道徳科学であると考えた)
A・マーシャルは、時空を超えて妥当性を持つ理論部分と時空限定的な妥当性を持つ学説の区別が必要ということで超長期的に「定常状態」に陥るという論理的帰結を放棄したが、論理的にそのような状態に陥ることを自覚していた。
(数式を本格的に活用し始めたのはマーシャルだが、彼は、数学的に導き出された命題であっても日常言語に翻訳できないものであればその命題を捨て去ったという)
本格的に「定常状態」を考察した経済学者を上げるとしたら、J・A・シュンペーター氏ということになるだろう。
シュンペーター氏は、“均衡→新結合→均衡→新結合・・・”という動態的市場原理を提示し、「信用創造」を均衡から新結合に移行させるための機能として位置づけた。
「新結合」というのは、生産物および生産方法における物や力の結合の仕方を変更するもので、
1)新しい財の生産
2)新しい生産方法ないし商業的方法
3)新しい販路の開拓
4)原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得
5)新しい組織の実現(独占的地位の形成もしくは独占の打破)
によって実現される。
シュンペーター氏は、新結合で静態的均衡を打破してもやがては再び静態的均衡に陥り、価格と費用が一致するため利潤が消え、実質所得の増加のみが達成されるようになると提示した。
そして、生産性上昇による物価下落が引き起こす不況を“新結合”を準備するものとして評価し、独占的競争市場も、独占利潤により再資本化資金が自己調達されることで新結合に導くと評価した。
シュンペーター氏には『資本主義・社会主義・民主主義』という著作もあるが、資本主義は、マルクスが言うような機能不全によって崩壊するのではなく、その正常な機能が十分に発揮されることによって、歴史的長期の果てに自ら別種の制度に昇華すると考えた。
「定常状態」もしくは「均衡論」をきわめて概略的に取り上げたが、このように、経済学の歴史に名を残す多くの経済学者が、論理的な帰結として「定常状態」(「均衡状態」)を提示したり自覚しているのである。
単なる論理的帰結なのか、超長期的な歴史過程で現実されるものとしてなのかは別として、先人たちが提起した「定常状態」やある意味で逃れられないと言える「均衡状態」が無視されたも同然の学問状況のなかで、「定常状態」が訪れようとしているのは皮肉である。
(天災ではないので的外れの比喩になるが、「天災は忘れたことにやってくる」である)
統治者や経済学者の看板を掲げている人たちは、今こそ、リカードを、そして、シュンペーターを見直し、近代経済を貫いている基底的論理を再構築しなければならないのである。
7/9/3
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