「競争モデル」から「独占モデル」へ − マルクス主義批判も若干 後編 から続きます。
前回の最後に、次からは現実的なテーマでと書いたが、「競争モデル」と「独占モデル」の根源的同一性に関する説明が不足していたという反省から、予定を変更させてもらうことにした。
前回、「独占モデル」という仮構の経済社会を想定して、そこでは、経済主体が利潤(利益)を“絶対”的に得られないことや国民経済(モデルでは世界経済)のGDP的成長もないことを説明した。
そして、その論理は、「独占モデル」のみに適用されるものではなく、「近代経済システム」の過去及び現在の現実モデルである「競争モデル」でも、まったく同じように適用されるものだとした。
「独占モデル」の説明自体にホントかいな?という疑念や実現され得ないモデルだから考慮の必要なんかないという感想を持たれたり、「独占モデル」=「競争モデル」という決めつけはなんにしろ間違いだろうと思われているかもしれない。
そのような認識の基礎には、「現実の経済システムでは、利潤(利益)も得られているし、GDP的経済成長も実現されている」という論理(言葉)を超える現実の重みがあるからと思われる。
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【世界経済のゆくえ】「近代経済システム」における利潤と経済成長の源泉 投稿者 あっしら 日時 2002 年 6 月 22 日
「独占モデル」の説明内容が正しく、「独占モデル」=「競争モデル」であるならば、経済主体の資本増殖が活動の目的である「近代経済システム」は存続できない(破綻する)ことを意味し、極端に言えば、いくら知力を振り絞ろうがどんなにバタバタしようが、経済成長を継続することはできないという結論になる。
確かに、「独占モデル」ではなく「競争モデル」が生きている現実の世界経済では、日本企業に限らず経済主体は利益を拡大させることができるし、日本に限らず国民経済は経済成長を遂げることができる。
世界経済総体ではなく個別経済主体や個別国民経済であれば、経済合理性に則った経済活動を行う経済主体は利益を拡大できるし、それを通じて、国民経済も成長する。
(但し、経済主体が生産活動や投資を“グローバル”に行っている状況では、個別経済主体の合理性が、必ずしも国民経済の合理性に直結するわけではない。逆に、個別経済主体の合理性が、国民経済に災厄をもたらすことさえある。販売活動は別として、経済主体が国内で生産活動や投資活動のほとんど行い、海外での生産活動や投資活動がごく低い比率であれば、個別経済主体の合理性が国民経済のメリットに直結する)
「独占モデル」=「競争モデル」に対する最大の疑義も、おそらく、「そうはいっても、日本は経済発展を遂げたし、日本の有力企業も世界的な名声を得るまで大きくなった。それは、経済成長を持続的に遂げたということであり、企業も利益を上げ続けてきたからではないか」というものだろうと推測する。
「独占モデル」=「競争モデル」であり、利潤も経済成長も得られないという“公理”が存在するにも関わらず、現実には、経済主体が利潤を獲得し、経済成長が達成される源泉は、「独占モデル」と「競争モデル」のそれぞれが内包している経済的関係性の差異にある。
「独占モデル」には外部経済主体が存在しないが、「競争モデル」には外部経済主体が存在する。国民経済として考えると、外部国民経済(共同体)が存在するか存在しないかの違いである。
この違いにこそ、利潤の源泉がある。外部経済主体とりわけ外部国民経済こそが利潤の源泉である。
外部国民経済をことさら強調したのは、個々の経済主体はともかく、経済主体すべてが、閉塞した国民経済で長期的に利潤を得ることはできないからである。
(長期的としたのは、貯蓄を考慮したからで、貯蓄がなければ一時的であっても無理)
この論理を具体的なイメージとして捉えるためには、“村落共同体”を考えるとわかりやすいかも考え、レスとしてその村落の生活ぶりを添付するので参照して欲しい。
■ 生活水準上昇の意味
もう一つ明らかにしなければならない問題は、戦後日本人の平均的な姿として、食事も豊かになり、自家用車まで持てるようになり、海外旅行も楽しめるようになった生活水準の上昇が何によってもたらされたかであろう。
(資本主義に反対するいわゆる左翼運動の凋落もソ連圏の崩壊も、そして、左翼勢力の“改良主義的変容”や“弱者救済運動化”も、「先進諸国」のこのような生活レベル変動に伴う国民意識の変化に拠るところが大であろう)
「先進諸国」の一般国民の生活向上は、利潤や経済成長によるものではなく、“生産性の上昇”と“対外的通貨価値の上昇”によって実現されたものである。
“生産性の上昇”は、単位労働力が単位時間で産出する量の増加である。それが、個別経済主体に限定されず、産業連関的なつながりで実現され、最後には全産業において実現されることで、ある国民経済に属する人々に生活向上をもたらす。
これまで、1000万人で生活必需品を生産していたのが、800万人で生産できるようになれば、200万人が生活利便品の生産に移行することができる。そして、500万人で生活必需品を生産できるようになれば、さらに、100万人が生活利便品の生産に加わり、100万人が贅沢品を生産し、70万人が精神的快楽享受サービスに従事できるようになり、30万人が科学的研究に没頭できるようになる。
これは、1000万人が同じ量の労働をして得られる成果物の量と多様性が大きく増大したことを意味する。生産性の上昇は、労働量を減らして、さらに多くの成果物を得ることも達成する。
生活必需品を1000万人で生産していたのが、500万人で生産できるようになったということは、生活必需品の価格(価値)が半分になるということである。平均年間可処分所得がずっと100万円だとして、ある時は100万円すべてを生活必需品に支出していたのが、50万円で済むようになり、残りを他の財やサービスに支出できるようになるということである。
このような論理の“緩和的”な進展が、日本人の平均的生活水準を上昇させてきたのである。
“緩和的”と言ったのは、「競争モデル」の経済主体は、利潤を得る一つの手法として、“生産性の向上”のすべてを価格低下に反映させないという選択を行うからである。価値(労働量)が半分になっても、価格を30%しか低下させないことで利潤を得ることができる。
しかし、価格を10%しか低下させないとか、据え置くという選択すると、総需要の“絶対的な不足”(販売額の総和が生産のために支払った金額の総和以上)という要因から、販売不振に落ちるか、裏付けのない貨幣が増発され公的債務が拡大することになる。
戦後日本は、米国の世界支配構造のなかに入り、唯一の国際通貨であるドルを借り入れ、それを原資に、米国式の最新生産システムを購入したり原材料を輸入することで、製品輸出の拡大につとめ、生産性も飛躍的に高めていった。
最初は、智恵と器用さを武器に米国の勤労者よりも安い給与(低い生活水準)を拠り所として、繊維や玩具などの軽工業品を輸出し、朝鮮戦争という一大“追い風”を受けることで、総合的な近代(現代)産業基盤を確立していった。
既に出来上がった米国式の最新生産システムを導入するということは、それに支払う金額以上のメリットがある。
長い研究開発に必要な労働や生産現場で見つかる問題点を解消するために要する労働は“時間=歴史”でもある。借り入れたドルでそれを買うことで、本来ならば必要な長い歴史過程を一気に短縮できたのである。
ドルを貸した金融資本(国際機関を含む)は、利子付きで返済を受けるために、日本が生産した財を輸出できるようにしなければらない。債権者は日本円を受け取らないので、ドルで支払うことができる国でなければならない。戦後しばらくそういう国は、米国以外にほとんどなかった。
輸出が思うようにできなければ、いくら最新式生産システムを買ったとしても、供給過剰で国内物価が下がることになり、対外債務も返済できずに「国家破産」に至る。
(物価下落=デフレを避けるためには、稼働率を下げざるを得ないから生産性はそれほど上昇しない。稼働率の減少は労働従事者の減少を意味するので、結局、現在の「デフレ不況」と同じ循環的状況に陥る)
日本は、既に近代産業の基礎があり、低賃金(米国比較)であることから、特定分野では米国製品より優位に立てたが、鉄鋼・化学・電機・機械(生産設備や自動車など)・通信などでは、輸出できるほどの量が生産できなかったり、生産すること自体ができなかったり、価格は安くても品質に難があるという状況だった。
借りたドルを利子付きで返済しなければならないから輸出に力を注がなければならないし、米国民が謳歌していた生活は多くの国民の目標でもあった。
日本企業は、価格(量産)・品質・デザインで米国製品を上回るために、給与水準を抑制し、米国の技術や米国式生産システムをより効率的なものにしていった。そして、それらを“国策”が支え推進した。
これが、高度成長期の日本の姿である。年率10%という高度成長は、年率10%近くの“生産性上昇”と言い換えてもいいものである。
“労働成果”が7年で2倍になる勢いで生産性が上昇したのである。
高度成長期は、貿易収支が黒字だったわけではない。
高度成長期が終焉を迎えようという68年に黒字基調に転じた。貿易収支が黒字として本当に定着したのは、“第一次石油ショック”と“第二次石油ショック”を経た後の80年以降と言ってもいいくらいである。
このようなことから、高度成長と言われるものが、実は債務と輸出を支えに実現した生産性の上昇であったことがわかる。高度成長期の経済成長は、生産性の上昇と労働従事者の増加によって達成されたものである。
貿易収支も経常収支も赤字であったから、外部国民経済との関係で言えば、“貨幣=労働価値の流出”である。
急速に上昇した生産性の一部を勤労者に還元しつつ(還元しなければ大きな需要不足になる)、一部は債務の返済に充て、一部は利潤として確保し、それをさらに生産性の上昇や規模の拡大に向け投資していくという構図である。
(対外債務は、政府・日銀が管理しながら返済していく)
この時期のネックは、ドル不足を除けば、完全失業率1%に見られたように労働力人口の不足だった。ドルと労働力が日本経済を規定したのである。
日本は、米欧諸国が金融資本的収穫期に転換した80年以降に、産業資本的収穫期に入ったと言える。
産業資本的収穫とは、外部国民経済からの“貨幣資産の移転”である貿易黒字である。
そして、現在なお収穫期間にあるが、愚かな政策により、まもなく貿易収支の赤字に転化し、その終焉を迎えようとしている。
このような意味で、80年になってはじめて、日本は、かつての英国や米国のような本当の意味での利潤と経済成長を得ることができるようになったのである。
生産性上昇という“見掛け”で得る利潤と外部国民経済からの“貨幣移転”で得る利潤とは、本質的に異なるものである。
しかし、そうなったときの世界経済は、英国や米国が繁栄を誇っていたときの世界経済からは大きく変容していた。
(これは、「世界経済のゆくえ」のキーなので、具体的な内容は今後に...)
7/8/28
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