「近代国民経済」の成立条件 後編 から続きます。
「信用創造」を説明する前置きとして、簡単に「近代経済システム」と科学技術の関係について述べておきたい。
■ 「近代経済システム」と科学技術
ここ200年ほどの近代史は、それまでの歴史過程に較べ、驚異的なペースで物質的生産力を上昇させてきた。
言い換えれば、「労働価値」を急ピッチで高めることで、財1単位の生産に必要な労働力数を飛躍的に低下させてきた。
これは、科学的知識の拡大とそれを生産活動に応用した技術の進展が、生産の仕組みや労働の在り方を大きく変えていった成果である。
「労働価値」=物質的生産力の上昇は、国民経済の人口増加を可能にするのみならず、直接的な生産活動に従事せずその他の様々な社会活動を担う人の数を増やし、それが、さらなる科学技術の進展へとつながっていった。
このような過程を通じて、従来的財の量的な生産力(「労働価値」)の上昇だけではなく、利便財や享楽財などの種類や量も新たに増やした。
近代的発展はそのまま“科学技術の進歩”で説明されてしまうことも多いが、近代経済の発展が“科学技術の進歩”をもたらしたのであって、“科学技術の進歩”が近代経済の発展をもたらしたわけではない。
(事象の因果関係を取り違えると重要なポイントが見えなくなる)
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【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:近代的預金と「信用創造」(「バブル形成」の考察を含む)〈その6〉 前半部 投稿者 あっしら 日時 2002 年 7 月 13 日
科学技術が進歩するためには二つの条件が必要である。
1)科学技術の研究に従事する人の増加とそのために必要な財の増加を支えることができる経済的基盤
2)科学技術の成果を経済社会で活かすことができる経済システム
1)は科学技術研究が進められる物質的条件であり、2)は科学技術研究に人々が励む動機である。
科学技術の研究に従事する人は、財を消費しても財を生産しているわけではないから、その人たちが生活していくための財を他の人々が生産しなければならない。
さらに、科学技術研究を行うための知識を蓄積したり論理思考を鍛錬するために長期的な養成期間(学校教育や企業研修など)を必要とするので、その期間の生活も支えられなければならない。
そして、科学技術の研究を行うためには、研究設備をはじめ数多くの財を必要とする。
それで使われる財は、その研究の成果が消費した財を上回る財的貢献を後からもたらす可能性もあるが、その時点では新たな財を生むものではないので戦争と同じように単なる消費である。
また、すべての研究が、財の効率的な生産や新しい財を生み出すかたちの成果を上げるわけではない。
このような科学技術研究の特性を承知の上で、数多くの研究者予備軍を養成し、数多くの研究者の活動を維持していくことは、経済社会にとって大きな負担である。
いわゆる先進諸国は、そのような大きな負担をこなしていける経済的条件を達成したことで、科学技術を進展させていくことができたのである。
大きな負担でありながら科学技術研究が強化されてきたのは、その成果が大きいという国民的共通了解があったからであろう。
国家としては科学技術研究に統治及び軍事という政治的目的もあるが、それだけが目的であれば、現在の北朝鮮やかつての共産主義国家のように、国民経済全体が疲弊してしまう。
経済論理を考える場なので、政治は除外して、経済との関わりに絞ることにする。
前近代においても科学技術研究は行われていた。その中心は、イスラム帝国であり、中国であり、インドであった。
(南北アメリカやサハラ以南アフリカは歴史がずたずたにされたので考慮外)
近代科学技術の源流という意味で言えば、アレクサンドリアやバグダットを中心としたイスラムの科学技術研究がそれに当たる。
ギリシア時代からの知識や論理を継承し、抽象的な科学研究から実利的な技術研究までが盛んに行われていた。
(医学・数学・天文学・化学・造船・航海術・農業技術・ガラス製造・音楽などなど)
しかし、イスラム世界では「資本制経済」が興らず、「資本制経済」は、イスラムの成果をベースにした科学技術研究に励んだ西欧世界で勃興した。
このようなイスラム世界と西欧世界の差異は何に拠るものであろうか。
それは、能力の差ではなく、動機の差である。
個々の研究者が研究に打ち込む動機は様々だろうが、国民経済が科学研究を追求する動機は、科学技術研究が「資本制経済」のメリットに結びつくかどうかに関わってくる。
近代的貿易・外国為替レート で説明したように、近代的貿易がないまま国民経済の急速な技術的発展=「労働価値」上昇を実現しても、失業者を増加させ、社会秩序の不安定化や崩壊につながっていく。
そして、そのような国内的な矛盾を解消しようとして近代的貿易を追求すると、自国民経済は栄えるが、他者国民経済(共同体)に社会秩序の不安定化や崩壊をもたらす。
(イスラム復古派や一般ムスリムが抱く家族や共同体への思いは深い)
もちろん、失業者は他の活動に従事させるという共同体(国家)統治者の大きな度量があれば問題は解決するが、非労働従事者を増やすという目的のために、そこに至るまでの経済的負担が大きい科学技術研究を進めるという選択は生半可のものではない。
西欧世界で近代的科学技術研究が盛んになったのは、“新世界”アメリから得た富が経済的基盤としてある状況で、近代的(重商主義)貿易が国民経済のシステムに組み込まれ、国外権益がさらに量的拡大を遂げていったからである。
(軍事的研究開発も、近代的貿易(市場)の拡大に貢献する手段に役立つものとして重視された)
人類が進化したから科学技術研究が発達したわけでも、西欧が優れた知的発展を遂げたから近代科学技術を生み出し「資本制経済」を確立したわけでもないのである。
(人は変化しても進化はしない。知識や思考経済的な思考方法は歴史的に増大しても、思考力=知力そのものは変わらない)
科学技術研究は、経済論理的に言えば、戦争と同じように国民経済に過大な負担を強いるものである。
(戦争よりも、まともな目的を掲げた科学研究活動のほうが比較すらできないほど意義があるが)
このような科学技術の進展に伴う厳しさが、後進国がなかなか近代的テイクオフを達成できなかったり、先進国にキャッチアップできない経済的条件でもある。
後進国民経済の経済主体は、日本が50年前に使っていた生産設備でも、価格が高くてなかなか導入できない。
だからこそ、そういう設備を持ち込んで自国の労働者を雇用してくれる外資の誘致に励んだり、電力や通信などのインフラ事業を国家が担うことになる。
先進国の科学技術研究者の労働力費や研究で消費された財、そして、研究成果をかたちにするために投じられた労働力費が詰まった物が、近代的生産設備である。
そのような財の価格が高いのは当然である。
そして、先進国の研究者は、過去の研究成果がかたち(財)になったときには、それまでの成果(知的)を次の研究の出発点として、既に新しい道を進み始めている。
89年から90年にかけて東欧ソ連圏諸国が新しい道を歩み始めたとき、それらの国の生産設備が旧態依然であるとの報道もあったが、新しい生産設備の開発や生産のために人的財的資源を割くのか、古い生産設備を継続してその更新に必要な人的財的資源を他に活用するのかという問いは、後進国民経済にとって極めて重大な問題になる。
まだ使える生産設備を廃棄するという経済行為は、個々の経済主体のそのような行為を合算する国民経済レベルで見れば、厖大な人的財的浪費である戦争に匹敵するほど浪費的経済行為と言える。
(戦争こそが国債=国家債務の起源である。そして、戦争は、科学技術を発展させ、「労働価値」を上昇させる役割も果たしている)
日本など先進諸国の経済主体が最新生産設備への更新を進めていけたのは、それが経済的に可能な資金調達条件とそうすることで得られる利益獲得見通しがあったからである。
■ 近代的預金と「信用創造」
研究活動だけではなく、科学技術の成果である機械などの生産設備も、それを導入(購入)する経済主体には大きな負担になる。
負担というより、保有している通貨では賄いきれない場合が多い。
競争環境にあれば、「労働価値」を上昇させるために、利用できる(償却が終わっていない)状態の設備を廃棄してでも最新の生産設備を導入しなければならなくなることがある。
厖大な労働成果である生産設備をまだ使える(価値が残っている)段階で廃棄するということは、経済論理的には、今現在生産している財をその場で廃棄することと同じである。
(償却分を差し引いた価格で売却すれば経済論理的には問題ないが、それは、“敵”に塩を送ることになる)
経済主体が自身では賄いきれない通貨を調達する方法としては、返済しなくていいかたちと返済を要するかたちのものとがある。
返済しなくてもいいかたちは、経済主体の部分所有権の証書を対価として通貨を手に入れるというものである。
(額面でも時価でもかまわないがいわゆる増資である)
返済を要する方法は借り入れである。商業銀行からの借り入れでも、社債による借り入れでも、代表者を含む個人からの借り入れでもかまわない。
増資は、経済主体にとって、返済しないでいいというメリットがある一方で、既存株主の部分所有権が薄まってしまうというデメリットがある。
また、経済状況によっては、配当金は期待できるものの元本が戻ってこないものに通貨を投じる人が少ないという問題もある。
国民経済全体が実質的な通貨不足=「労働価値」が低い状況であれば、自由になる(何らかの将来対価で手放してもいい)通貨を保有している経済主体は、通貨発行主体である中央銀行や預金を保有している商業銀行ということになる。
商業銀行は、“配当金は期待できるものの元本が戻ってこないものに通貨を投じる”のではなく、貸し出しを行って利息付きで元本が戻ってくることで資本を増殖させていくことを選択する経済主体である。
そして、万が一のために、貸し出しの安全性を保証するために担保を設定する。
自由になる通貨の多くを銀行が保有している状況では、事業を維持したり拡大するために通貨を欲している経済主体は、それを銀行からの借り入れに依拠しなければならないことになる。
7/2/14
預金に利息が付く不思議:近代的預金と「信用創造」 2 に続きます。

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