「信用創造」と財の価格の関係:近代的預金と「信用創造」 5から続きます。
● 「信用創造」の経済的本質
近代的国民経済の成長原動力である銀行の「信用創造」は、使われてしまうことを認めていない通貨を貸し出しという経済行為を通じて他人に使わせてしまうことだとまとめることができる。
中央銀行が発行(貸し出し)を通じて増加させる部分も「信用創造」ではあるが、たんに通貨が持つ価格表示機能を弱めるだけになるだけなので、国民経済の成長原動力とはならない。
(中南米諸国やロシアで起きたハイパーインフレを考えてもらえばわかる事象)
個々の通貨の経済的特性を識別することはできないが、中央銀行が発行する通貨と家計を含む経済主体が保有する通貨とでは大きな違いがある。
とりわけわかりやすいのは家計が保有する通貨である。ほとんどの人が対価なしで通貨を他人に渡すことはない。
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家計が保有する通貨は、労働力(活動力)を対価として得たものと考えることができる。
これは、その通貨に「労働価値」の洗礼が既に行われていることを意味する。
同じことは労働成果財の生産活動を行っている経済主体についても言えることであるが、そこには、中央銀行が水増しした通貨も紛れ込んでいる。
経済主体の場合は、活動結果とした得た利益のみが「労働価値」の洗礼を受けた通貨と考えるべきである。
(この意味で、銀行が得る利息は経済主体の利益の一部だから、利息部分は「労働価値」の洗礼を受けていることになる。そして、利息として受け取った通貨は次の貸し出しの元本にもなる)
家計のほうがすっきりするので、家計の貯蓄(預貯金や保険)で「信用創造」の本質を考えてみることにする。
活動力を対価として得た通貨をすべて使わずに一部でも貯蓄するということをマクロ的に考えれば、活動成果である財をすべては消費しないということになり、国民経済に余剰財が生まれることを意味する。
まともな政府であれば税収に規定されて財政支出を行うので、家計や経済主体が使っていると考えることができる。
(それなのに日本政府には600兆円もの政府債務がある)
国民経済にとっての余剰財は、輸出競争力があり外部国民経済に需要があれば、輸出で通貨に転換することができる。
貯蓄に対応する財が余剰(過剰在庫)になったという話は聞かないので、貯蓄に相当する労働成果財は輸出に回っていると推定できる。
これまでの説明を整理すれば、貯蓄者は将来の労働成果財購入のために通貨を貯蓄し、銀行などは預かった通貨を貸し出しや投資に使い、そのような経路で得た通貨を経済主体は生産活動で使ってしまい論理的に生じた余剰の財を輸出しているということになる。
(金融資産に投じられている部分は別だが、ここでは考慮外)
これは、貯蓄した通貨が勝手に貸し出しに回されてしまうということは、その通貨が使われてしまうことであるとともに、労働成果財が輸出というかたちで消費されてしまうことである。
これは、貯蓄者が期待している将来の労働成果財=労働=生産が先に使われてしまっていることを意味する。
(通貨を貯蓄する目的は将来の労働成果財購入に備えるためである)
「信用創造」は、究極的には、将来の労働=生産の先取り行為なのである。
「信用創造」が物質的生産力(「労働価値」)を上昇させる原動力であるから、「信用創造」で成長を遂げた近代国民経済は、歴史をがむしゃらに先取りするかたちで発展してきたと言える。
簡単に言えば、100年かけて進む道を10年やそこらで走り抜けてきたのである。
「近代経済システム」は、まさに、ドッグイヤーなのである。
このような歴史先取り経済活動が破綻しないで済んだのは、近代的貿易に支えられていたからである。
(近代的貿易がなければ、余剰財は、安値で販売されるか、朽ちることになり、次から生産は行われなくなる)
逆に言えば、近代的貿易の支えがなくなれば、歴史先取り経済活動は継続できなくなり破綻を迎えるということである。
その見通しは、まさに、今後の世界経済がどうなっていくかというという別のテーマの書き込みに関わるものである。
ここでは問題提起にとどめて、別の機会に詳細を展開したい。
● 終わりに
「バブル崩壊」まで、まずほとんどと言っていい人が預金が戻ってこないという事態を想像したこともなかっただろう。
(だからこそ、ペイオフは、かたちだけの法律とみなされ、誰もそれを意識することがなかった)
使われてしまった通貨(預金)が“運良く”戻ってくるのは、借り入れをした経済主体がその通貨を使って利息分以上の利益を上げ続けているからであり、政府部門が税収を増大したり借り入れを拡大しているからである。
逆に言えば、経済主体が継続的に利益を上げらない状況が続いたり、政府部門が税収を増大できなくなったら、使われてしまった通貨(預金)は、妥当な価値(価格表示機能)をもったものとしては戻ってこない可能性がある。
しかし、これまでも説明してきたように、管理通貨制の通貨は、価値的な裏付けを持たずに財の価格表示機能しか持っていない。
そして、それ故に、管理通貨制の通貨は、通貨発行量と「信用創造」によって、財の価格表示機能を弱めたり強めたりすることができる。
通貨(預金)が“運良く”戻ってくる場合でも、本当に運が良いときと、実は運が悪いときとがある。
運が良いときとは、インフレ状況で預金し、デフレ状況で払い戻しを受ける場合である。
(最近満期になった郵便貯金が好例)
運が良いときとは、デフレ状況で預金し、インフレ状況で払い戻しを受ける場合である。
通貨の価値はそれ自体にあるのではなく、労働成果財がどれだけ買えるかということを確認して初めてわかるものである。
次回は、この問題を考察する流れとして、非労働成果(金融)財の価格がどのように規定されるのかを考えてみたい。
7/2/16

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