日本イラク戦争検証必要、防衛白書はイラク参戦を正当化している: 孫崎 享氏
2011/1/13 2:09
まあ、それはどうでもいいのですが、本屋さんの店頭で、「日清戦争」や「日露戦争」の「入門」なんていうような題名の本を見かけたんです。
「坂の上の雲の時代が」うんたらかんたらと宣伝文句のつもりか書いてありました。
とりあえず、何とかと煙は高いところに上りたがるものですよね。
手にとってちょっと開いてみましたら、「小村寿太郎」の頁にぶつかったんです。
イラストで小村の肖像があったのですが、漫画風のその絵は、随分と貧相な男でした。
「ねずみ」と呼ばれていたそうなので、実際こんなもんなんだろうなと思います。
買ったわけではないので手元にはなく、うろ覚えなのですが、次のような記述が目に止まりました。
「清国に渡っていた小村は、当時の清国の状況を知り、独断で清国との開戦を決めた」
というようなことが書いてありました。
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今思うと、いい本だったのかなあと思います。
小村は外交官ですね。
「
外務省の本性」ここにありと思いました。
日清戦争で清国は多額の賠償金を払い、それによって日本は「女工哀史」が離陸したんですよね。
その本では、清国はロシアに接近するようになったと書いてありました。戦前からか戦後急速にかはよく覚えていません。
そして、日露戦争ですよね。
旅順攻防戦で十万人が戦死した日露戦争ですよね。
「日清戦争」と「日露戦争」は、よく、連続して扱われますよね。
「日清戦争」開戦を決定したのも小村。
「日露戦争」講話に臨んだのも小村。
ハーバード大学のロースクールに留学した外交官ですから、現在の「日本国」でも多分「エリート」ですよね、小村は。
「
庶民の生き血を吸って生き」た、そんな小村。
あっちを見ても小村。こっちを見ても小村。
あっちを見てもねずみ男。こっちを見てもねずみ男。
何だかうなされそうです。
「「私は対米従属派と断固戦う!」 衆議院議員・国民新党代表 亀井静香 『月刊日本』 9月号」で亀井さんがおっしゃるように、
「─── なぜ日本人は愚かになってしまったのか。
亀井 これは一朝一夕の問題ではない。
今から100年以上前、日清・日露戦争に勝ったあたりから、国家としても、国民としてもおかしくなり始めたのだ」
とすれば、「外務省の本性」面目躍如ですよね。
日清戦争では清国に賠償金を払わせましたね。
日露戦争は「劣勢だったにもかかわらず、小村の交渉力と第一次ロシア革命により、五分の結果に持ち込めた」とかっていう話になってますよね。
「
天皇の「敗戦責任」におっしゃるように、
「>「敗戦責任」とは 「敗戦」シた、コトの 「責任追及」で 「戦勝」スレば 「責任」ナド トワレズ 「賞賛」サレます。カッて、イレば モンダイ、ナド オキ、ヨウが ナク ソレで イイのでしょうか。
国策を完遂するかたちで戦勝していれば、作戦の巧拙や戦争遂行上で起こした法規違反は問われるとしても、支配層ぐるみの責任問題は生じません」
ということだろうと思います。
そして、
「戦勝後の対中国関係などで新たな問題が起きれば、戦争の課題としていた対中国国策が理に叶ったものかどうかは問い直されるはずです」
よね。
小村の「独断」は「新たな問題」に直面しなかったんでしょうかね。
亀井さんに言わせれば、
「 それまで、日本は朝鮮半島、中国大陸から文明を享受する側だった。
もちろん、大陸との間には文化的交流だけではなく、覇権争い、属国化への抵抗という外交的緊張もあった。
だが、我々は大陸を侮るということはなかった。
だが、日清・日露、そして韓国併合を経て、われわれ日本人は中国人をチャンコロ、韓国人をチョン、ロシア人を露助と公然と侮蔑するようになった。
人間として、謙譲の美徳を失い、傲岸不遜になってしまった。
自意識が肥大化し、自分たちはアジアの一員だということを忘れ、西洋列強の一員と自らを認識し、西洋帝国主義の真似をし始めた。
政治的にはこの国家としてのひずみは太平洋戦争での敗戦という形で訪れた」
んですよね。
小村は韓国併合にも携わって、その功績で侯爵になってるそうです。
そこにもここにもあそこにもねずみ男。
日清戦争にも日露戦争にも韓国併合にも小村。
そして、「
「ゆとり教育」」におっしゃるように、
「台湾を領有し朝鮮半島まで併合していたのに、凶作に見舞われた農家が娘の身売りをしなければならない状況を放置し、勝利の目算もないまま対中・対米の戦争を始め、あげく200万人以上の死者を出しながら、主要都市に原発を2発落とされるまで戦争を終結しなかったのです。
満州では、関東軍幹部は自分たちの家族や自分自身が逃げることを優先し、居留民の安全に全力を尽くさず、多くの兵士を労働力としてソ連に引き渡したのです。
これらの政策を決定したり軍事行動を指揮したのは、東京帝国大学を頂点とするエリート教育を受けた人たちです」
そんな過程を後に辿りますね。
小村は、大学南校を経て、文部省の留学生としてハーバード大学ロースクールと。
「エリート教育を受けた人」ですよね。
「米国政府への“最後通告”は、「事務処理上の不手際」で遅れたわけでもなく、「国家の重大な局面にこのような遺憾な事態を生じ」させたキャリア外交官は、処罰されないどころか“独立”後の日本で外務省事務次官にまで登り詰めている」
そんな外務省の外交官、そして「キャリア外交官」の大先輩。
「大日本帝国」が「日本国」になった後の最初の総理大臣も元駐英大使ですから小村の後輩ですよね。
「日本人愚民化政策推進者」が貰った「旭日大綬章」も貰ってますし、「読売中興の祖」「プロ野球の父、テレビ放送の父、原子力の父とも呼ばれてい」る人や、「公文書館のファイルからすっぽり抜けている」「妖怪」、朝鮮半島に原爆をかましたかったらしい、流行語「精神年齢12歳」でお馴染みの人などが貰った「勲一等旭日桐花大綬章」も貰ってますね。
今の「不条理そのもの」の首相になるまでの「ころころ」、それだってほとんどが上に挙げたもののいずれかで小村の後輩、関係者ですよね。
あっちにもこっちにもそっちにもどっちにも小村。
あそこもここもそこもどこもねずみ男。
やっぱりうなされそうです。
「小村って何なの」「小村ってどうなの」と思いました。
亀井さんの言う、
「 戦前の日本の政策について、過酷な世界政治・経済状況下にあって、日本としてはやむをえないことだったとする論もある。
なるほど、当時の政治指導者たちにとって、それらは苦渋の決断であったかもしれない。
しかし、それは政策への弁護になりうることはあっても、日本国民の質的劣化への弁護にはまったくならない」
ということを少しでも肯えば、「どうなの」とならざるをえないように思えます。
「戦勝後の対中国関係などで新たな問題が起きれば、戦争の課題としていた対中国国策が理に叶ったものかどうかは問い直されるはずです」
よね。
「戦前の日本の政策について、過酷な世界政治・経済状況下にあって、日本としてはやむをえないことだったとする論もある」
のは存じています。
しかし、現状のとんでもなさを考えると、「どうなのよ」とならざるをえないような気がしています。
本当に、
「どうなのよ」
「どうすんのよ」
「こんなんなっちゃって」
と。
「小村って、どうなのよ」と。
「小村って、どうなのよ」と思うと、もう、小村を生んだ「やむをえないことだった」ことになっているらしい「明治維新」って「どうなのよ」となってもいいように思えてしまうんです。
どうなんでしょう。
どんなもんなんでしょう。
「明治維新って、どうなのよ」と。
「平成の開国」とか何とかほざいている「不条理」なのがいるようなのですが、まあ、それもちょうどいいのかなと思います。
そろそろ、尊皇か佐幕か、開国か攘夷か、久しぶりに白黒つけるときが来たのかなと思います。
「明治維新」も、
「「東西対立」の基底と表層そして中央集権国家=明治国家の“必然性”」におっしゃる、
「統治構造を揺るがし、かつて西国がめざした律令制国家(中央集権国家)を想起させた」
「海を障害としない欧米列強の“侵略”」
に対するために採った「国策」ですよね、多分。
「明治維新で敗北した公武合体派も、強力な中央集権国家が必要と考えたことにおいては同じです」
から、当時もほとんど対立らしい対立はなかったのかもしれませんが、そのあたりのことは全く知りません。
それはそれとして、それならば「明治維新」という「国策」が「理に叶ったものかどうかは問い直されるはずです」よね。
やっぱり「<
a href="http://sun.ap.teacup.com/souun/2112.html">日本国は滅亡の淵から国生みをする」ことになるんですかね。
「出産に失敗すれば死亡するだけ」っていうのは、まあ、えらいことだわなと思います。
ほとほと困りました。
例によって自分がここで困っていて何がどうなるわけでもないのですが、困りました。
とりあえず「偉い人が普通考えるような常識的な生き残り策は、今回は無効だと」は自分も思います。
坂の上が好きな人もいるようですが、そういう議論は自分はよく知りません。
細かいことはさっぱり知らずに書きましたので、小村寿太郎がどんな素敵なねずみ男かはさっぱり判りません。
立ち読みした本の記述から考えただけです。
脈絡はありませんが、坂の上って言えば、坂上田村麻呂っていう人もいましたよね。
征夷大将軍でしたか。
とりあえず、弱ったなあと思います。
「
今、日本と世界が問われていること 」におっしゃる、
「数百年に一度の大変動を大混乱ではないかたちで乗り切るためには、まず数十年に一度の改革を実施し、次に百年に一度の改革という歴史遡行的手順をとることが必要だと考えています。
(当然のこととして時間軸としては前に進みながらですが)
そのような過程的対応であれば、小混乱は起きるとしても、大混乱にはつながらなくてすみます。
少し具体的に書けば、「戦後世界構造の見直しと是正」→「産業資本主義世界化の意味捉え直し」→「近代の意義と近代をベースにした未来の展望に関する論議」という手順で、問題認識の共通化と矛盾を解消するための政策を見出す必要があると思っています。
歴史を現在から過去に少しずつ遡りながら現在的問題に結びついている阻害要因を見つけ、その是正策を実行して解決しながら、将来に向けて歩み続けるという流れが必要だと考えています」
とおっしゃる流れになっていくしかないのだろうなとは思うのですが、どうなるんでしょう。
もうちょっと気楽に暮らしていきたいものだと思います。
いつにもまして訳の判らないことを書き連ねてしまったようですが、風邪を引いている最中なので、ご容赦ください。
いつもつまらないことをお聞かせいたしまして、どうもすみません。

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