金融的利益条件をひたすら考えているのが80年以降の米国当局者です:米国経済のゆくえから続きます。
問題は、ドル表示での債務高の継続性をどう評価することだと思っています。
>日本の経済主体が損をするのは明らかです。米国政府にとってはどうでしょうか。実質的に債務の切捨てができているでしょうか。
わかりやすさとわかりにくさ(迂遠性)の違いはあっては、一方だけが損をして、一方には損得が生じないという経済取引はありません。
株式市場など多数が混じり合っている取引では解きほぐさなければならないので見えにくいのですが、相対取引では、一方が損をしていれば、必ずその相手方は得をしています。
わかりにくさの典型は、高度成長期から89年まで日本で続いた「株式上昇傾向」と「地価上昇傾向」です。
とりわけ地価は、ほぼ30年にわたって、売った人も得をし、買った人もいつか売ることで得をする取引が続きました。(早く売ったために、得られるはずの利益を手にできなかったというレベルの損得計算になります)
30年以上経ってようやく、得をした人と損をした人が炙り出されるようになったわけです。
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Re:
貨幣の価値は何によって確認できるかという問題 投稿者 あっしら 日時 2002 年 7 月 01 日
しかし、米国債の取引では、日本の経済主体の損が明確になっていますから、その相手方である米国政府は得をしているはずです。
それが見えにくいのは、債権債務がドル価額表現であること、もっと言えば、ドルの価値とは何ぞやという問題に行き着きからです。
>米国政府は3年後1億ドルの償還と150万ドルの利払いを迫られる。ドル安だろうがドル高だろうが変わりありません。米国政府は得もしていなければ、実質債務の切り捨てもできていない。
まず、書かれている内容であれば、インフレが進行しようがデフレが進行しようが、債権債務の損得は変わらないことになってしまいます。
3年間で30%のインフレが進めば、1億ドルの実質価値は3年間で30%減少したことになります。7%の利子を含めても、1億2100万ドルですから、実質価値の確保を意味する1億3000万ドルには達していません。
国債を買うより、不動産を買っていたほうがよかったということになります。
政府は、1億ドルの価値として使ってしまったものを、その時点と比べて30%減価した1億ドルの返済で済ませることができたわけです。(実質価値で言えば、0.7億ドルしか返済しないで済んだということです)
税制変更が行われなければ、インフレ率に比例して税収は増加するものなので、政府は、30%ほどの税の増収を達成します。
これが「実質債務の切り捨て」の意味で、「ドル安による過去の対外債務の実質切り捨て」というのも、迂回的ですが同じ論理なのです。
通貨の価値は何によって計ることができるのかというのが最大のポイントになります。
兌換紙幣ではなくなったドルは、日本円と同じく、本質的には何の価値もありません
これは、ドルがそれ自体としてなんら価値を現わすことができないことを意味します。
他の何かに照らしたのちにはじめて、自分自身の価値がわかるということです。
ドルが自分自身の価値を知るために照らす相手は、他の通貨や財・サービスです。
他の通貨も、ドルと同じく、自分自身の価値を自分自身現すことができないものです。
これは、外国為替レートという他の通貨に照らして自分の価値を知るメカニズムには何かが潜んでいることを意味します。
価値を現わせないもの同士が比較し合って価値を規定することは論理的にできないからです。
ドルにしても、円にしても、財やサービスがどれくらい買えるかということでその価値を確かめることができます。財やサービスの価値(価額)は、労働価値(資本価値)と同じです。
ドルと円の交換レートは、究極的には、米国と日本のあいだに見られる労働価値(資本価値)の変動を比較したものによって規定されることになります。(労働価値や資本価値は生産性と考えてもらってけっこうです)
1億ドル=100億円を投入して、日米ともに1億2千万ドル(120億円)を産出していたのが、3年後に、日本は70億円の投入で120億円を産出するようになったのに、米国は3年前と同じように1億ドルを投入しなければ1億2千万ドルの産出が得られないという実態の反映が、1ドル=100円から1ドル=70円へのレート変動なのです。
ですから、100億円の国際商品が買える1億ドルを借りて、70億円の国際商品しか買えない1億ドルを返済したというのは、唯一で真の価値である労働価値・資本価値を基準にすれば、「実質債務の切り捨て」になるのです。
ロジカルに言えば、対外債務に限らず内国債務についても「実質債務の切り捨て」になっているのですが、国際基軸通貨であるドルを自国通貨とし、最大の輸出市場となっている米国では、それが見えにくいだけなのです。(前回までにいくつか上げた国際取引の実例でご理解いただけると思います)
1ドル=100円のときに借りた1億ドルを、1ドル=70円のときに1億ドルのまま返済したということは、労働価値(労働成果財の価額)を基準にすれば、債権(債務)を30%切り捨てたということになります。
1億労働時間を借りて、3年後に、0.7億労働時間しか返済しなかったということでもあります。
別の言い方をすると、1ドル=100円が1ドル=70円になったということは、日米間の単位労働(資本)価値が変動し、米国の単位労働(資本)価値が日本の70%になったことの反映です。
ドルも日本円も(他のあらゆる通貨も)、それ自体が価値を持っていないですから、このような論理で価値の損得を見るしかありません。
Re: 米国以外のドル建て債務を考えれば... 投稿者 あっしら 日時 2002 年 7 月 01 日 19:26:31:
>「0.7億労働時間の返済しかしていない」というのは日本の生産性に基づいた計算であり、米国側としては3年後にもやはり、1億労働時間をかけて、1億ドルを産み出し、返済していると思います。
説明が中途半端でした。
0.7億労働時間は、日本の生産性というだけではなく、米国の生産性でもあるのです。
絶対値ではなく相対値ですから、日本:米国=1:1であったものが、日本:米国=1:0.7に変動したということです。
「米国側としては3年後にもやはり、1億労働時間をかけて、1億ドルを産み出し、返済している」のはその通りですが、“日本側は、1億労働時間をかければ、1億4千万ドル超(100億円)を産出します”ので、日本側も、3年前と同じように、1億労働時間で100億円を産出していることは変わりません。
異なるのは、単位労働価値=単位資本価値の相対的比較が、1:0.7になったことです。
同一単位の労働価値ベースで、米国は日本の七掛けしか価値を持たなくなったということです。
>「実質的な債務切り捨てを享受できた米国政府にとって、具体的にその"得"はどのような形で現れるか」
1億労働時間を借りて、3年後に、0.7億労働時間しか返済しなかったことにつきます。
ドルを借りたのではなく、財やサービスの価値実体である労働価値=資本価値を借りたと考えれば、1億4千万ドル返さなければならないのに、1億ドルしか返済しないで済んだということで“得”になります。
貨幣経済のマジックとも、米ドル国際基軸通貨制の錬金術とも言えますが、紙幣の価値を決める労働価値=資本価値をベースに国際取引が行われていないことが、この事実を見えにくくさせています。
米国以外の国がドル建てで借金していることと比較すれば少しは明確になるのでは思います。
97年:自国通貨1ペソ=1ドル=100円
00年:自国通貨2ペソ=1ドル=70円
1)アルゼンチンが1億ドルを借り入れて、1億ペソを財政支出した。
2)アルゼンチンと米国の相対的生産性変動が、0.5:1になったので、1ドル=2ペソになった。
3)00年に、アルゼンチンが1億ドルを返済するためには、2億ペソ用意しなければならない。
この例では、ドルを借りたのではなく、財やサービスの価値実体である労働価値=資本価値を借りたという事実がよくわかります。
1億ペソしか借りていないのに、労働価値が米国との関係で半減したため、2億ペソ返済することになりました。この債権債務関係では、ドルベースでの損得は発生していません。
(日本の経済主体であれば、100億円を貸して、70億円しか返却されないことは日米関係と同じで変わりません)
米国は自国通貨ドルが国際基軸通貨であることで、このような当然の“調整”から逃れられる“得”を手に入れているわけです。
米国は、ドル建ての対外債権で損をすることはなく、ドル建ての対外債務で得をすることができるというとんでもなく有利な立場にあります。
7/2/27

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