■ 「超低金利政策」はデフレをもたらし、金利上昇がインフレを誘発する
日銀は、1995年以降、実質0%金利とも言える「超低金利政策」を採っている。
そして、「超低金利政策」は、通貨供給量を拡大し「デフレ状況」を解消するための金融政策だと言われている。
しかし、そのような「超低金利政策」をとって以降、下の表を見てもわかるように、それまでは卸売物価だけがデフレだったのに、消費者物価までがデフレに陥ったのである。
人気blogランキング <-- クリックしていただくと、より多くの方に読んでいただけます。ご協力お願いします。
【大間違いの経済理論】 “超低金利政策”はデフレを悪化させる 《金利引き上げがインフレを誘発し「デフレ不況」から脱却するための一つ方法》 投稿者 あっしら 日時 2002 年 3 月 16 日
[参考経済統計データ]
消費者 卸売 公定 商業銀行 輸入 通貨 貸出 GDP
物価 物価 歩合 貸出金利 物価 供給量 残高 成長率
=================================================================
1970 6.00 7.593
1975 (11.4) (1.9) 6.50 8.513 (15.8)(18.2)(17.6)
1980 ( 6.6) (8.9) 7.25 8.274 ( 9.1)(10.8)( 9.0)
---------------------〈期間A〉--------------------------------
1985 ( 2.8) (5.5) 5.00 6.467 (-0.1)( 8.4)(11.7)
1986 0.7 -4.7 3.00 5.505 -35.8 9.2 26.6 3.2
1987 0.0 -3.2 2.50 4.936 -9.1 10.8 12.5 5.1
1988 0.7 -0.5 2.50 4.930 -4.6 10.2 10.2 6.3
---------------------〈期間B〉--------------------------------
1989 2.4 1.9 4.25 5.782 7.5 11.2 10.8 4.9
1990 3.1 1.6 6.00 7.697 8.7 7.2 7.5 5.3
1991 3.2 1.0 4.50 6.989 8.2 2.2 4.4 3.1
1992 1.7 0.9 3.25 5.552 -6.1 -0.2 2.4 0.9
1993 1.3 -1.5 1.75 4.414 -10.3 2.2 1.3 0.4
1994 0.7 -1.8 1.75 4.047 -5.6 2.8 0.1 1.0
---------------------〈期間C〉--------------------------------
1995 -0.0 -0.8 0.50 3.788 -0.1 3.2 1.3 1.2
1996 0.1 -1.6 0.50 3.533 9.7 3.0 0.4 2.6
1997 1.8 0.6 0.50 3.367 7.4 3.9 1.0 1.8
1998 0.6 -1.5 0.50 3.355 -4.9 4.0 -0.9 -1.2
1999 -0.3 -1.5 0.50 3.100 -9.3 2.7 -4.1 -0.6
2000 -0.7 0.1 0.50 2.116 4.7 2.1 -0.1
2001
※ 通貨供給量はM2+CDの残高/()内の値は年平均変化率
GDPはデフレーターがマイナスの年は名目の値
[期間A]は“バブル形成期”である。
85年夏の「プラザ合意」で、一気に半額までのドル安(円高)政策が実施され、金融緩和政策も採られた。
86年に卸売物価が急激に下がったのは、円高による輸入物価の大幅急落と低金利政策によるものである。
しかし、大企業が消費者向け商品価格の支配力をもっているため、輸入物価や卸売物価の低下が消費者物価に反映されないどころか、逆にわずかだが上昇している。
このことは、大企業が、この[期間A]に、円高不況だと政府に泣きつきながら利益を大きく拡大させたことを意味する。
86年に商業銀行の貸し出しが26.6%も急拡大しているので、企業には厖大な余剰資金があったことが推測できる。
企業が拡大していった利益が勤労者に1年後にでも分配されていれば、コスト(輸入物価&卸売物価)は下がっているのに消費者物価が大幅に上昇するという事態が出現し、企業が“空前絶後”の利益を上げていただろう。
(その代わり、株価や地価はそれほど上がらなかっただろう)
しかし、企業が持つ余剰資金は、土地・株式・対外投資に振り向けられた。
余剰資金は、この表にはない地価や株価を上昇させたり、円高での競争力低下を不安視したり貿易摩擦を回避するための海外工場建設へと向けられたのである。
[期間B]は“バブル崩壊期”である。
89年から輸入物価が上昇に転じるとともに、公定歩合も上昇している。
このため、卸売物価はデフレからインフレに転じ、消費者物価はさらに上昇した。
[期間A]と[期間B]の消費者物価・卸売物価・輸入物価の変動率を比較してわかるように、企業の89年と90年の利益率は、86年から88年までの間ほど高くなったはずである。
それは、余剰資金の増加率が低下することを意味するので、株式や土地の価格が頭打ちになっても不思議ではない。
90年から91年にかけてバブルが崩壊し、土地や株式に投資した資金の損失は徐々に拡大していったが、92年からは輸入物価が、93年からは卸売物価も低下したにも関わらず、消費者物価は上昇しているので、産業部門の利益は大きく回復したはずである。
GDPは92年から低迷を続けているが、このようなことから、[期間B]の経済成長率鈍化の要因は、金融及び不動産部門の低迷に起因していると思われる。
金融部門は、この表のように貸し出し残高の伸びが急落したことと「不良債権」のダブルパンチで利益が大きく低迷していたはずだからである。
[期間C]は“超低金利期”である。
特徴的なのは、輸入物価が上昇しても卸売物価が上昇しなかったり、消費者物価の下落が見られることである。
しかし、なんと言っても特徴的なのは、通貨供給量はそれなりに拡大しているのに、98年からは貸し出し残高が逆に減少していることである。
これは、日銀から商業銀行に貸し出された日銀券の伸びに見合うかたちで実体経済部門に貸し出されなかったを意味する。貸し出し抑制だけではなく、債権放棄や“貸し剥がし”が行われたことを示唆している。銀行の余剰資金は、国債や対外投資に向けられたと推測できる。
この期間は、金融部門はさらに利益が低迷するとともに、産業部門までもが利益低迷に喘ぐようになったことがわかる。
7/2/28
続く

7