● 国民経済と政府支出
徴税権を有し税として得た通貨を支出する政府(地方政府を含む)は、自立完結的な真の経済主体ではなく、経済主体から通貨の移転を受けそれを支出する擬制経済主体である。
徴税及び借り入れという収入から支出内容までが法律的政治的要件で規制されているが、政府支出は、経済論理的には、経済主体に代わって政府が通貨を使う経済行為である。
徴税と借り入れは根底的に異なるものだが、借り入れに関わる問題は後に回し、政府支出について簡単に見ていく。
政府支出の目的は、社会保障・教育・軍事・公務員給与・公共事業・国債費に大別できる。(地方交付税は、地方政府の実際の支出によって識別される)
国債費は前半部で説明したように国家が行う金融取引であり、その支出が経済主体の資本化につながるとは限らないものだが、その他の支出は、土地の取得以外、経済主体の資本化にほぼつながるものである。(公務員の給与は大半が消費や預貯金に向けられるはずなので、正常であれば資本化に結びつく)
この意味で、たとえ借り入れであっても、国債費を除く支出項目が増加すれば、経済主体の資本化が増加する可能性がある。
(資本化するとは言えるが、資本化が増加するかどうかは未定である。経済成長が実現するためには、資本化が増加しなければならない)
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【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:国民経済と財政 《ケインズ乗数理論と公共事業》〈その10〉 投稿者 あっしら 日時 2002 年 7 月 23 日 13:51:29:
個人消費のような個別バラバラの支出ではなく、公共事業のように集約化された支出は、その支出対象になる特定の経済主体に大きな影響を与える。
公共事業がケインズ経済学で言われる乗数理論により雇用の拡大や国民経済の成長に寄与するためには、公共事業という政府支出が、新たな設備投資=資本の増加が行われる契機にならなければならない。
逆に言うと、資本の増加を誘発しない政府支出は、資本活動の現状維持もしくは低落をくい止める役割しか果たさない。
また、資本の増加が行われたとしても、その資本の増加に見合う総需要の増加が継続しなければならない。
そうでなければ、資本の増加を果たした経済主体は、活動しない資本を抱えることになり、債務や遊休資産の重荷に苦しむことになる。
(経済社会の特質により、それが失業者の増加に直結する場合もあれば、経済主体の収益悪化にむすびつく場合もある。前者であれば、即、総需要の減少につながる)
政府支出以外に需要が増加しないのであれば、資本の増加により供給が増加する財の価額に見合うだけの政府支出の増加が行われなければ、資本増加のトリガーの役割を果たした政府支出が今度は逆に資本活動を低落させることになる。
理想的な乗数理論のかたちは、「政府支出増加が経済主体の「労働価値」上昇を伴うかたちでの資本の増加を誘発し、その成果として、その経済主体の輸出が増加する」というものである。
輸出が増加しなければ、政府支出を増やして供給が増えた財を購入し続けない限り、財の価格が低下したり、活動しない資本を生み出すという結果をもたらす。
鉄鋼産業を例にすれば、公共事業の支出拡大で鉄鋼財の国内需要が拡大し、それに応えるために、鉄鋼生産経済主体が最新設備を導入し労働者の数も増やす。
そして、その資本増加により、公共事業の鉄鋼財需要に応じるとともに、鉄鋼財の国際競争力が上昇して輸出も増加したということになれば、公共事業が同一規模で推移しても問題は生じない。輸出増加が大きければ、公共事業が減少しても問題にならない。
ある財を生産する資本の増加で問題を生じさせない方法は、供給が増加した財を、輸出で通貨に転換するか、公共事業(国内需要)で通貨に転換するかのいずれかである。
公共事業であれば究極的に税(国民)負担であり、輸出であれば国民の負担はないということになる。
さらに、基礎生産財を生産する鉄鋼産業の「労働価値」の上昇は、鉄鋼の輸出増加だけではなく、国内においても鉄鋼産財の価格下落をもたらすので、機械産業・家電産業・自動車産業の「労働価値」上昇=コスト低下を実現する。それが、機械・家電・自動車などの輸出増加や価格低下による国内需要の増加につながっていくことで、それらの産業でも資本の増加が行われていく。
(機械産業の「労働価値」上昇は、全産業の「労働価値」を上昇させることになる)
これが、雑ぱくな「産業連関における乗数理論」であり、経済成長の論理である。
「高度成長期」は失業率1%台というほぼ完全雇用状態であったことから、政府支出とりわけ公共事業支出の増加は、同じ就業者でより多くの財を生産できる「労働価値」上昇=生産設備の更新を誘発し、産業連関的に「労働価値」を上昇させ、輸出の持続的な増加をもたらしたはずである。
そして、「労働価値」の上昇は通貨量の増加による物価上昇を抑制するので、所得税及び法人税を基本とした税収も実質ベースで自然に増加し、公共事業支出を増加させることもできた。
もちろん、公共事業を拡大していったことで、それに携わる土木建築就業者数も増加させていった。
ことさら説明するまでもないだろうが、「バブル崩壊」後の公共事業拡大は、資本の増加をほとんど誘発しないもので、資本活動の現状維持もしくは低落をくい止める役割しか果たさなかった。
それは、財政支出を増やしても失業者がじりじりと増加したことで確認できる。
これは、ケインズ主義が現実有効性を失ったことを意味する。
厳密な検証を行わなければならないが、おそらく73年頃には、公共事業支出増加が資本増加をもたらすという時代はほぼ終焉を迎えたと推定できる。(鉄鋼生産量は73年のおよそ1億2千万トンがピーク)
その最大の要因は、“貿易摩擦”で鉄鋼の輸出が管理対象になったことであり、家電や自動車など鉄鋼製品を使用する財も、その後同じように輸出規制が行われるようになったことである。
73年からカウントすればおよそ30年間、公共事業の拡大は、鉄鋼・セメント・建設という産業の資本活動を現状維持もしくは低落をくい止める役割を担ってきたと言える。
国際競争力の持続的上昇や雇用確保に貢献したわけだから、それを一概に非難するわけではないが、30年の間に、政策的に産業構造を調整したり、輸出先を新たに確保する努力をしていれば、本州と四国のあいだに3本の有料橋を架けたり、ダム建設・農道・林道に固執する必要もなかったので、現在ほど厖大な公的債務を積み上げることもなかったであろう。
産業構造を5年間で調整するのと20年間で調整するのとでは、経済活動すなわち国民生活に及ぼす影響の度合いがまったく異なる。
調整開始が大きく遅れたばかりに厖大な公的債務を積み上げることになり、危機に陥った財政をなんとか破綻させないために資本破壊(建設業の倒産)を行わざるを得なくなったのである。
別に高速道路や橋は不要だと主張したいわけではない。
現実的にきちんと分析すれば採算が取れないことがわかっていながら、造ることが先に決まっているためにその理屈として採算が取れると強弁して着工するからこそ、予期せぬかたちで(予期した通りに)債務が膨らむのである。
採算が取れなくとも、全国的に一定水準の利便性を提供することが国家の役割であるのなら、収益から返済する必要がない国費を使って建設すればいいのである。
そうであれば、否応なく建設ペースを落とさざるを得ないし、建設優先順位も慎重に判断することになるだろう。
しかし、公共事業で経済成長をリードする時代は終わったという認識や利便性が高速道路などで実現されると国民が考える時代も終わりかけているという認識は必要である。
具体的な構造調整手法は好み=政治の問題であるが、例えば、80年頃から徐々に、税金を使って、地方の建設業を農業に復帰させたり福祉事業に転換させていれば、無駄な資源消費や不必要な景観破壊を減らすことができ、公的債務の増加もずっと少なかったはずである。(公共事業を雇用対策と割り切れば、鉄鋼やセメントに支払われる代金や建設業の利益(政治家分を含む)、そして、財の輸送に関わる費用をカットすることができる。日本の食糧自給率は40%程度である)
鉄鋼などの基礎生産財の不足に悩んでいたソ連との関係を良化させていれば、鉄鋼などの輸出を拡大することができていただろうし、原油など天然資源の輸入確保という道も開けていただろう。
(そうなることを阻止したかった米国との関係で政治的にどこまでそれが可能であったかは微妙だが、ソ連が国際通貨不足であっても、資源大国だから資源とのバーターないし担保でも貿易は可能だった。ロシアは今でも財と通貨の不足に喘いでいる。ロシア通貨危機に際し日本に援助支出を求めたくらいだから、今なら、米国は阻止に動かないだろう)