公的年金問題は“余剰資本”の問題 その2 《年金問題の本質は“高齢化”にあらず》 4から続きます。
■ 国際管理通貨制における外貨準備
このようなタイトルを付けたが、元々は、公的年金制度のなかで述べた“余剰資本”や“余剰通貨”に関する説明の延長線上で書いたものであり、国際収支や貿易の問題としてではなく、国際管理通貨制において国際基軸通貨を蓄蔵する意味という視点で説明した内容であることをお断りしておく
● 国際的な余剰通貨の活用と余剰資本の分配
日本は、80年代に入って顕著になった余剰通貨の問題を国際的(間国民経済)に巧く処理してきた。
日本経済が、輸出で稼いで余剰になった通貨(米ドル)を様々なかたちで米国に還流させることで自らの対米輸出を支え、それを通じて国民経済全体の循環を維持してきたことは論を待たないであろう。
日本経済にとって、対米に限らず輸出の増加は好ましいことであるが、厖大な輸入額を継続している米国経済にとってそれがどういう意味なのかをまず説明する。
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【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明::国際管理通貨制における外貨準備 《米国政府の対外債務返済能力》 〈その12〉 投稿者 あっしら 日時 2002 年 7 月 30 日
米国が年間3千億ドル(約35兆円)もの貿易収支の赤字を計上していると言うことは、米国国民経済内で労働成果財の生産が極端に不足していること、すなわち、米国国民経済内で価値を付与された通貨が極端に不足していることを意味する。
歴史的に、米国国民経済内で労働成果財の生産が不足するようになっていったと言うほうがふさわしいだろう。
これは、生活水準との相対的な問題だが、歴史的に国内の産業資本が減少していったということであり、国内で資本化される通貨が減少していったということである。
(国債基軸通貨としてのドルが不足しているということではなく、米国内の通貨(ドル)が不足していること)
そのような米国の根源的通貨不足状態を補ってきたのが、国際管理通貨制という基礎の上で米ドルが持っている国際基軸通貨という特性であり、米国の経済規模の大きさである。
先日の公的年金制度で説明した論理を適用すると、経常収支の赤字が長期化している米国に財を輸出するということは、生産財の労働に従事していない人々に通貨=財を供給しているのと同じなのである。
(理由は後述)
米国という国民経済の資本活動ではそれほどの量で価値を付与できない米ドルに対して、日本を中心とした外部国民経済が、既に“価値が消えた”米ドルを米国国民経済に投資や貸し出しというかたちで価値があるものであるかのように還流させてきたことで、米国国民経済の通貨不足を解消してきた。
その還流をほぼ無条件に行ってきたのが、自国通貨の発行と差し替えで余剰の米ドルを受け取った中央銀行の外貨準備である。
それは、ドルを紙幣のまま蓄蔵するわけにはいかないと考えられ、米国政府の債務証書のかたちで蓄蔵される。
これは、経済主体の判断による対米証券投資とは違って、国際管理通貨制であれば、経常収支の黒字を長期的に継続している国民経済の中央銀行が採らざるを得ない経済行為でもある。
“価値が消えた”米ドルという意味は、輸出経済主体が、受け取った米ドル為替を銀行を含む他の経済主体が保有する日本円と交換し、それを再資本化したり、余剰通貨として保有することで、受け取った米ドルは通貨としての役割を終え価値を消滅させているということを指す。
こういう不穏当な説明に対しては、“じゃあ、輸入経済主体が買い入れて輸入財に支払うドルも価値がないことになるじゃないか!”という指摘も予想されるが、それもある意味では正しいのである。
輸出経済主体が稼いだ米ドルを輸入経済主体が買って輸入財の支払いに充当させるとしても、米ドルの価値で支払っているわけではなく、輸入財を国内で使う経済主体が支払う日本円の価値で支払っているのである。
国債管理通貨制の論理に則せば、その日本円の価値が相当額の米ドルに転化したと言った方がふさわしいかもしれない。
であれば、米ドルに価値を転化した日本円も、その時点で価値を一旦消滅させる。再び価値が付与されるのは、それが労働成果財の資本活動に使われたときである。
輸入財に対応して価値を付与された通貨は、あくまでも、その輸入財を生産した国民経済の通貨である。
ここまで説明してきたことが、管理通貨制における国際基軸通貨のマジックである。
このマジックは、国民経済の通貨発行量を規定していた金の移転を伴う金為替本位制における貿易や国際金融との違いを考えれば見えてくる。
経常収支が赤字になった国民経済は、金が流出し、通貨の発行量が減少する。
その一方で経常収支が黒字になった国民経済は、金が流入し、通貨の発行量が増加する。このような複数の国民経済の通貨量変動で、通貨不足に陥った国民経済は、金を国際的に借り入れて、通貨不足を補うことになる。
(かつての1/4に薄まったポンドによる国際貸し出しは、貿易決済が金で行われていたのだから、経済論理的には詐欺である)
国際管理通貨制であれば、金をドルに置き換えればいいはずである。
経常収支が赤字になった国民経済は、ドルが流出し、通貨の発行量が減少するはずである。
その一方で経常収支が黒字になった国民経済は、ドルが流入し、通貨の発行量が増加するはずである。
しかし、現実は、貿易収支が赤字の国民経済も通貨量を増加させていった。
米国国民経済が4千億ドル(約46兆円)の経常収支赤字を計上し続けているのなら、年毎に4千億ドルずつ米ドルの量が減少しなければならないのである。
それでは米国国民経済が成り立たないと言うのなら、輸出や国外からの所得を増加させるか、ドルの国際的借り入れを行うしかない。米国にドルを国際貸し出しをするのが妥当であるかどうかを判断するのは国際金融経済主体である。
そして、日本国民経済が1千億ドルの経常収支黒字を計上し続けているのなら、年毎に1千億ドル(約11.5兆円)ずつ日本円が増加しなければらないのである。
そして、国際貸し出しに5兆円を向けたのなら、通貨量も5兆円減少しなければならない。
FRBは“資本の論理”で合理的に動く民間発券銀行であるから、理(利)に合わない通貨量の増加は行わなかったはずである。
通貨が不足しても、外国の中央銀行が積み上げる外貨準備の多くが債務証書と引き換えに戻ってくることはわかっているし、相対的に高金利で経済規模も最大の米国に投資資金が流入することもある程度読めるからじたばたする必要はない。
日本円の発行量は、95年から00年という5年間で見れば、経常収支−資本収支の合計値(13兆2千億円)に近い値(17兆5千億円)で増加している。
(97年と98年は国際収支がマイナスであり、そのために「円安・ドル高」に振れている)
しかし、その一方で、銀行の貸し出し残高は同じ期間に22兆4千億円も減少している。
通貨残高増と貸し出し残高減を合計すると、血の滲む思いをして輸出で稼いだ40兆円もの通貨が、資本化されることなく、銀行の不良債権処理に使われたのである。
これが、「デフレ不況」を招いた根源的理由である。
(通貨の価値を維持したまま不良債権を処理するためには、価値が付与された通貨を利用するしかないからである。これまで銀行は60兆円超の不良債権処理を行ったとされているが、95年から00年の処理額はほぼ40兆円のようである)
こうして考えていくと問題なのは、自国通貨の発行増加と差し替えに受け取った米ドルが、外貨準備として米国政府の債務証書のかたちで蓄蔵されていることだとわかる。
金為替本位制であれば、自国通貨の発行基礎となる金は、ロンドンなどにあるとしても、そのままのかたちで蓄蔵され、他の国民経済の通貨量増加には使われない。
イングランド銀行などは別として、日本の中央銀行は、国際金融経済主体ではないのだから、自らが外国の経済主体に貸し出しをしてはならないはずである。
仮に法的に貸し出しができるとしても、商業銀行が保有する自国通貨で米ドルを買って行うように、自国通貨で米ドルを買って行わなければならない。
これは、米国政府債務証書の額に相当する自国通貨を中央銀行が減らさなければならないことを意味する。
結論的に言えば、中央銀行は、保有している米ドルをそのまま蓄蔵していなければならないである。
(焼却処分しても同じことだが)
このように説明したからと言って、これまで日銀が採った政策を非難しているわけではない。
民間の対米証券投資も含めてだが、そのような政策を採ったことで、日本経済がここまで到達できたのである。
しかし、日本経済が「デフレ不況」と財政危機に陥っている現実を考えたとき、米国債を購入することが退職者などに通貨=財を供給する仕組みと変わらないものであることは明確にしておきたい。
米国債の購入とりわけ中央銀行による米国債の購入は、余剰通貨を活用した余剰資本の活性化手段の一つである。
7/8/19

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