第1部でイカード教授より、企業がアメリカ農業への支配力を強めた結果、利益搾取的な契約農業、農家の収入の減少、輸入食物への依存の高まり、そして農村地域の汚染が引き起こされたことが説明されます。
第2部では、農業者、動物、地域社会、そして環境に対し、害を与えることのない良い農業を支持しようとするアメリカ人が現在増えつつあることについて説明されます。
第3部でイカード氏は、地域社会、共同作業と世話役的な責務の遂行に関心を抱く、新しいタイプの農業者の出現について説明しています。
THE NEW FARM より
第2部: 関心が高まる持続可能な農業 その1
アメリカの多くの経済学者は、海外で生産される食物への依存度が高まっても問題視する必要はないと主張しています。消費者の大多数や一般の人々もそれと同意見であるように思われます。これらの人々は企業によって支配される工業的な農業には別に悪い点はないと考えており、特に心配もしていません。便利で安価な食品が手軽に入手できていれば、消費者や一般の人々はむやみに疑問を抱かないものです。自分たちが食べる食品がどこから来たのか、誰がそれを生産したのか、どのように生産されたのか、また、農産地の人々の暮らしやその土地にどのようなことが結果としてもたらされているのか、など考えもしないわけです。社会のニーズを満たすには、「世界的な自由市場」経済での競争に委ねるのがよいと多くの人が考えています。
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農業の工業化に対する懸念と食品システムに対する疑問
しかし、企業による農業の工業化に対して、次に列挙するような懸念を持つ人々が増えています。
・ 家族で代々受け継いできた土地に対する農家の人々の統制力が弱まっていくと、彼らの生活はどうなってしまうのだろうか。
・ 家族農業を支え、また家族農業に支えられてきた農村地域の人々はどうなってしまうのだろうか。
・ 長年にわたって経済的に苦しい状態が続く農村地域に進出してきた食品加工場の低賃金、長時間労働はどうなってしまうのだろうか。
・ 危険な化学物質、生物学的汚染物、病気の原因ともなりかねない危険な悪臭物質などを排出して、かつて清浄だった農村の環境を汚染してしまうごみの埋立て地 、有毒廃棄物、大規模畜産場は大丈夫だろうか。
・ 表土の浸食が進み、大量の化学物質で飽和状態にある土壌は農産物を生み出す力を今後も保ち得るだろうか。また、等しく濫用にさらされている水資源もその質を保つことができるだろうか。
・ 食品と、食品の生産に携わる人々の安全性に問題はないだろうか。
工業的な農業によって、生産農家の人々、農村地域に住む人々、その食品を食べる人々は悪影響を受けないだろうか。
・ 現在の私たちと同じように、将来も日々の糧と生存そのものを大地の恵みに頼らざるを得ないであろうが、その人々は一体どうなるのだろうか。
・ 農業の持続可能性は大丈夫だろうか。
農業の持続可能性について、上に挙げたような関心が高まってくると、私たちの食品システムに対して「常識的な」疑問が頭をもたげてきます。たとえば...
・ 単に安価で便利な食品を迅速に提供するのではなく、現在生きている人々のニーズを公平に満たしつつ、未来の人々たちが現在と同程度の、あるいは現在を上回る水準で食品を手に入れられるようにするにはどうすればよいのだろうか。
・ 単に農業の経済効果を上げるのではなく、生態系的に健全で、経済的に成り立ち、社会的な責任も果たすことができる農業というものを実現するにはどうすればよいのだろうか。
・ 単に目先の豊かさを追求するのではなく、長期的な食料安全保障を確保するにはどうすればよいのだろうか。
「持続可能性」は次のことを問題にします: 現在、そして未来において、地球上に住む人々が、個人として、社会として、そして倫理的に見ても、理想的な生活水準を維持するにはどうすればよいのだろうか。
持続可能な農業: 3つの条件
生態系的に健全で、経済的に成り立ち、社会的責任を負えること
持続可能な農業システムとは、生態系的に健全で、経済的に成り立ち、社会的な責任を負うことができなければなりません。 持続可能な農業にとって、これらはいずれも欠くことのできない条件です。どれか一つが優れていれば他のどれかが劣っている分を補えるわけではありません。 この三つの条件は言葉の定義や、法律の条文で決められているものではなく、むしろ常識の範疇に入るものです。 もし土地が生産能力を失うならば、その農場は持続可能ではありません。 もし、生産者が破産したならば、その農業は持続可能ではありません。 そして、農業システムが社会を支えることができないならば、当然、社会もその農業システムを支えることができず、そんな農業は持続可能ではないということになります。 持続可能な農業の経済的、生態系的、社会的な側面は、箱の長さ・幅、高さと同じようなものです。 すべてが必要なのです。 長さ、幅、高さのどれか一つでも欠けるとすれば、それは箱ではないのです。 生態系的な面、経済的な面、社会的責任の面のうち、一つでも欠けているところがある農業システムを持続可能な農業と呼ぶことはできません。
長さ、幅、高さのどれか一つでも欠けるとすれば、それは箱ではないのです。 生態系的な面、経済的な面、社会的責任の面のうち、一つでも欠けているところがある農業システムを持続可能な農業と呼ぶことはできません。」
大規模な農業システムを支えてきた技術そのものが環境破壊の主要原因
現在、農業の持続可能性に対して多くの人々が関心を寄せていることには十分な理由があるということ、つまり、企業による工業的な食品システムには、事実、持続可能ではないということを示す証拠がますます増えています。自然環境を脅かし、また生産農家の人々、農村に暮らす人々、社会全体の人々の生活の質を脅かす現象は、アメリカの農業が工業化して以来ずっと高まってきています。特殊化され、規格化された大規模な農業システムを支える技術そのものが、今や環境破壊の主要な原因となっているのです。専門分化が進んだ工業的農業の柱である化学肥料や農薬は、環境破壊と食品の安全について不安感を起こす主な原因になっています。工業化によって農業は姿を変えてしまいました。つまり、農業の根本的な目的は、太陽エネルギーを(植物光合成の働きを用いて)人間に有用な形に変換することであるにもかかわらず、その農業に様々な機械が導入され、再生不可能な化石燃料を燃焼して使うことによって、太陽から取り出すエネルギーより大きいエネルギーを消費するようになってしまったのです。
農業の根本的な目的を見失ってしまった
アメリカ農業の生態系の健全性や、社会的な責任、経済的な実行可能性を意図的に破壊しようとした人は一人もいないのです。ただ単に私たちは、消費者、生産者、そして農村地域と社会一般を形成する人々のニーズを満たすという、農業の根本的な目的を見失ってしまっただけなのです。農業生産性の向上を目指す中で、私たちは農業から「考えること」を取り去ってしまいました。農業という職業を貶め、農業者であることの知的、社会的、経済的に報われるものを減らしてしまいました。経済的な効率を高め、食品のコストを下げようとすることにのみ専念する中で、人々の生活全般の水準に何が起こっているのか監視を怠ってきました。現在の生産量を上げようとするあまり、将来の世代に残すべき自然―過去から受け継いできた生態環境―に対し、当然払うべき注意を払ってきませんでした。アメリカの農業に起こったことを理解するには、大量のデータや情報や数字はいりません。ただ普通の常識があればよいのです。
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