「マックス・ヴェーバーとヴェルナー・ゾンバルトそしてアジア的価値観 《国民経済と経済主体の対立》 下」
世界経済を認識する基礎
「近代経済システム」とグローバリズム 《国民経済と経済主体の対立》 上から続きます。
《国民経済と経済主体の対立》
● マックス・ヴェーバーとヴェルナー・ゾンバルトそしてアジア的価値観
マックス・ヴェーバーは経済学というより経済史学者として日本でも著名な学者であるが、ヴェルナー・ゾンバルトは、最近見直しをされているようだが、ある本を書いたことにより日陰に追いやられた経済学者である。
その本のタイトルは、『ユダヤ人と経済生活』(邦訳書:金森誠也監修・訳/安藤勉訳:荒地出版社:6,800円)である。
原著は、ナチスドイツという歴史過程以前の1911年に発行されたものだから、反ユダヤ主義の理論的な支えになる“危険性”はあるとしても、陰謀論や反ユダヤ主義的論のような“政治性”はない。
マックス・ヴェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で展開したように資本主義の精神をプロテスタンティズムに求めたが、ヴェルナー・ゾンバルトは、資本主義の精神はユダヤ教に由来するところが多いと主張した。
(『ユダヤ人と経済生活』そのものが、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に触発されて書かれたもの)
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どちらが正しいというわけではなく、マックス・ヴェーバーは産業的側面に、ヴェルナー・ゾンバルトは企業形態や金融的側面にそれぞれ焦点を当てたと言うことができるが、ヴェルナー・ゾンバルトの論のほうがより根源的な考察だと言える。
(利息付き貸し出しを別にすれば、ゾンバルトの言及内容は、イスラム世界にもある範囲で通用するものである)
このような話を唐突に持ち出したかと言えば、戦後の歴史過程のなかで、『アジア的価値観と資本主義の精神』とも言える事態が生まれたからである。
近代的ものづくりという産業資本主義の面で言えば、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の正しさを証明したとしてドイツ経済の発展を取り上げることができるかが、それ以上に、日本・台湾・韓国・中国というアジア諸国(地域)を取り上げなければならないだろう。
(ドイツが経常収支赤字に陥っているなかで、日本を筆頭にしたアジア諸国に貿易収支及び経常収支の黒字が集中している)
中国はともかく、日本は、かつてのような相対的低賃金による国際競争力で貿易収支の黒字を達成しているわけではなく、高度な資本活動力でそれを達成している。
米国を中心とした世界の経済支配層が理解しているかどうかわからないが、「近代経済システム」の成功は、個人主義や自由主義で必ずしも達成されるものではないということが歴史的に証明されたのである。
(個人主義や自由主義は、政治的社会的意味ではなく、あくまでも経済活動における価値観である)
先進国のなかで唯一持続的な成長を遂げた80年代の日本経済に対して、“ジャパン・アズ・No.1”という見方もなされたが、“失われた90年代”のなかでそのような論調は影を潜め、日本人自身が、“虚構の繁栄”を続ける米国的価値観に回復の活路を見出さそうとしている。
しかし、日本が証明したアジア的価値観と産業資本主義の関係は今後の世界動向を考える上でも重要なテーマだと考えている。
通貨=資本不足さえ解決すれば、治山治水という大規模な事業をこなしながら、協業的労働で収穫の増大を図ってきた水田米作の歴史過程で培われてきた価値観が、プロテスタンティズムの倫理以上に近代産業の発展に資するのである。
数年後を見据えた投資的労働の重要性、手にした労働成果を消費し尽くすことなく再生産に回す倹約の精神、多くの人が協調的労働することによる効率化と相互扶助の意義などを体得してきたアジア的価値観は、大規模な固定資本を必要とし、獲得した利益を消費したり流出させるのではなく再投資に回すことで競争力を高めなければならず、協調的で知恵を出し合う労働過程が目に見えない「労働価値」の上昇をもたらし、相互扶助的な産業連関が国民経済の拡大を実現し個別経済主体にも利益をもたらす「近代経済システム」に格好のものなのである。
米欧識者が、心底から個人主義・自由主義・キリスト教などを「近代経済システム」における優位な価値観と考え、アジア的な社会や価値観を見くびっているとしたら、間違いなく、米欧諸国は、現在の米国と同じように、アジア諸国の“余剰資本”(国民経済に必要な財を超える資本活動力)に財の供給を依存する立場に転落するだろう。
金融経済主体と産業経済主体という論理的対立が、欧米的価値観とアジア的価値観という地域的対立につながりかねない世界経済構造になっているとも言えるのである。
そして、欧米支配層が、明確な理論に基づいているかどうかは別として、アジアがEUのように統合されていくのを恐れていることも間違いない。
天然資源と金融をめぐる米欧とイスラム世界の対立の次には、米欧とアジア世界との対立が控えている可能性があることを認識すべきであろう。
このような視点で、対中国政策や対北朝鮮政策も考慮しなければならないと考えている。
7/3/9

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