「プラザ合意」が取り交わされた1985年は、米国が「対外純債務国」に転落するという象徴的な年でもある。
「プラザ合意」は、まさに、国際金融家が活動拠点としている米国が「対外純債務国」に陥るために強制されたとも言える。
既に貿易赤字国に転落していた米国が「対外純債務国」になるということは、通常の経済論理に照らせば、「プラザ合意」を取り交わさなくても、否応なくドル安に進んでいくことを意味する。
しかし、だらだらとドル安になっていくのでは困る。
ドル安になれば、
1.1億円を1ドル=200円で交換して50万ドルを米国債に投資した。
2.1年後にその米国債を売ったら運良く60万ドルで売れた。
3.60万ドルを円に交換したら、ドル安で1ドル=150円になっていたため、9千万円になった。
4.1億円がなんと9千万円になってしまった。
(同じ時期の日本の定期預金金利が5%とすれば、1億円は1億5百万円になる)
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ドル安(円高)でこういうとんでもない損失を被るので、ドル安(円高)傾向であれば対米投資が抑制されることになる。
一方、反米主義者でもあったオウム真理教の麻原氏はとんでもない間違いをしていたが、ドル安(円高)が進めば、米国は、「対外債務」の返済が楽になる。
例えば、日本から1億円分の商品を買うためのお金がないから、日本人から相当分の借金をするために、1ドル=150円で66万6666ドルの国債を買ってもらう。
借金の返済期限が来たので、利子付きで80万ドルを日本人に返済した。1ドル=100円になっていたから、その日本人は80万ドルを交換して8千万円を手に入れた。
米国が初めに貸したお金で購入した1億円分の商品は、インフレもあって1億2千万円に相当している。
商品購入力という観点で見れば、この日本人は4千万円損したことになり、米国は40万ドル(借りた時点で言えば60万ドル)得したことを意味する。
では、これだけ自明の話でありながら、円高=ドル安でも対米投資がよりいっそうとも言えるペースで拡大し続けたのであろうか。
自国破壊者=売国奴の仕掛けを云々しても詮無いので、経済論理に徹することにする。
最高の貢献は、「プラザ合意」で政治的に一気にドル安(円高)を実現したことである。
250円から120円へというドル安過程がだらだらと2,3年かけて実現されていたら、さすがの日本投資家も、対米投資を控えざるを得なかったであろう。
しかし、有無を言わさない“協調介入”で短期間にドル安を実現した。そして、それ以降は94年まで120円を超えるドル高(円安)基調で推移した。
これは、対米投資を誘導する経済状況である。
そして、「プラザ合意」は、一気に大きくドル安=円高に舵を取るとともに、“より低い金利”という金融政策とインフレ抑制政策の実施を各国に求めた。
日本経済は、急激な円高により“円高不況”に陥った。
しかし、これは、“円高恐怖症”に罹患している産業家が利益優先に走り、賃金抑制策を採ったり設備投資を抑制したことから生じたものであり、円高のために輸出競争力が低下したことから直接起こったものではない。
急激な円高は、その変動をすべてドル建て輸出価格に転嫁することができず、コストに占める原材料費の比率も人件費に較べればずっと低いので、間違いなく利益減となる。
しかし、80年代前半の円安下で実現していた「高収益での輸出急拡大」こそが異常なのであり、「プラザ合意」により、安定的な拡大にシフトできただけなのである。
「プラザ合意」後も、貿易収支は、89年(10兆円),90年(9兆7千億円),96年(8兆7千億円)を除けば、毎年12兆円以上の黒字を続けている。
94年から95年にかけては1ドルが百円を切る円高過程で95年5月には80円にまでなったにも関わらずである。
95年の貿易黒字額は12兆3千億円である。
このような厖大な貿易黒字は、円高でさらに高まった海外旅行ブームによるサービス収支の赤字により経常収支の黒字額では緩和された。
(日本人が海外向けに支払う旅行費用(6兆円弱)だけで、ほぼ自動車輸出額に匹敵していた。生産した自動車を海外に売ったお金で飛行機で海外旅行を楽しんでも、まだ国際収支に余裕があるという構造である)
日銀は、低金利下の「円高不況」を救済するという名目で金融緩和策を続けた。
“円高を恐怖する”産業家は、輸出競争力を維持するという名目で実質賃金の上昇を抑え込む一方で、余剰資金を土地や株式に積極的に投資した。
「プラザ合意」後に急激な円高が生じたが、それ以降は、91年年初の「バブル崩壊」(この時点では自覚されていない)まで1ドル=120円から150円という安定的ある意味で円安基調で推移した。
円表示で対米レートが一気に半分という円高になったショックを引きずり、実質賃金の上昇という本来的な「内需拡大」政策を採らずに、高度成長期からの信仰である土地と株式への“投機”に励んだのである。
そして、対米レートが円高でなおかつ安定しているという状況で、相対的に利子率が高いの米国向け投資が急拡大した。
それまでの米国債や株式といった証券投資中心から、貿易摩擦を回避するための生産拠点・割安に感じる不動産・自国にない映画会社や買い得と思える企業の買収といった直接投資へと対米投資を急拡大させていった。
米国の大都市部不動産価格は日本企業の投資拡大で高騰したが、日本の「バブル崩壊」により急落し、日本企業は大きな損失を出して売却するハメになった。
しかし、その後も株式と米国債への投資は拡大し、下落を続ける「東京市場」を尻目に「ニューヨーク市場」は、日本のバブル期を彷彿とさせる上昇を続けた。
「ニューヨーク株式市場」の活況は、ダラダラと下落する「東京株式市場」に嫌気をさした日本の投資家のさらなる投資を呼び、2000年末まで上昇を続けた。
財政赤字を補填するための米国債も、その発行額の1/3以上を日本投資家が面倒を見てきた。
もうおわかりであろう。
「バブル崩壊」後は意気消沈し、1990年代の“アメリカの繁栄”を傍目で見ながら「さすがにアメリカの底力はすごい」と羨望の目を向けていた日本人自身が、実は、“アメリカの繁栄”を作り上げていた張本人なのである。
日本企業は、自国での「バブル崩壊」になんら学ばず、米国に場所を移して「バブル形成」に励んだのである。
日本政府も、今なお、米国で既に判決が下った「IT景気」という“バブル”を追い求めようとさえしている。
● アメリカ経済のインフレ
戦後アメリカ経済は、ときとして急激なインフレもあったが、全体としては緩やかなインフレを続けた。
インフレが高まるのは、原油など輸入に依存している国際商品価格の上昇したり、自国通貨米ドルが他の通貨に対して急落したときである。
しかし、米ドルは国際基軸通貨でもあるから、国際商品価格の上昇は、それを輸入に全面的に依存している日本やドイツにもほぼ同じレベルのインフレをもたらす可能性が高い。
(輸入価格の影響は生産効率やコストの構成内容で異なる)
円やマルクなど輸入対象国の通貨に対してドルが下落したら、輸入依存率が高い米国経済は単独でのインフレになるのだが、日本のように対米輸出に依存している国家が多ければ、米国向け輸出価格の上昇は抑えられるのでドルの下落率ほど物価は上昇しない。
(中国など新興工業国の出現は、このように米国経済のインフレ抑制に大きく貢献する。このような認識をしているからこそ、中国がこれから「世界の工場」になると考える次第である)
日本との関係で考えると、固定レート制であれば、米国経済が日本経済よりも高率のインフレになれば、日本の輸出競争力が高まり、米国の輸出競争力が低下する。
変動レート制であれば、インフレ率の差は、長期的には為替レートの変動によって調整される。
しかし、米国に資金が集まり、実物経済領域のインフレ率とは乖離したかたちでドル高が進むと、米国の輸出競争力は大きく低下する。
78年から85年にかけての異常なドル高は、米国産業の競争力をぐんぐんと下げ、米国の産業空洞化を招いた。そして、それと反比例するように、金融業やソフト産業が重要な地位を占めるようになった。
それでも米国経済が混乱に陥らなかったのは、基軸通貨国であり、貿易赤字・財政赤字を埋めてなおあまりあるほどの米ドルが流れ込んできたからである。
米国は、農業を除けば、消費物とそれを買うための資金を外国に依存する構造が急速に進んだ。
そして、「レーガノミックス」と言われ、現在の日本でも称揚する識者がいる政策が、この構造をよりいっそう深化させていったのである。
自国で消費する物資を自国で生産しなくても、基軸通貨である自国通貨ドルの高価値と世界最大の市場規模というダブルの恩恵で外国から安く製品を輸入することができる。
自国内で生産が減少していくということは、それに携わる労働者が減少していくという意味であり、実需要も減少していくものだが、外国から容易に借り入れができるから米国であれば財政支出で補うことができる。
しかも、諸外国の企業は、米国市場を当て込み競争してくれるから、ドル高以上に輸入価格が低下する。
これは、高失業率とともに賃金や給与そして社会保障給付を抑制できる条件でもある。
財政赤字を海外から補填できずに、国内投資家ですべて補填しなければならないのなら、その金額分の実需要が否応なく減少することになる。
民間銀行が中央銀行である米国は、“制御できない”インフレを引き起こす可能性がある国債は引き受けない。
米国経済は、国際商品の価格変動を別にすれば、ドル安であればインフレ圧力が高まり、ドル高になればインフレが抑制されるという基本構造である。
しかも、米国は、「口先」だけというノーコストで為替相場をコントロールできる“特典”さえ持っている。
国際金融家は、円高で日本の投資家が感じるように、ドル高になると株式を含め外国の諸物価が安く感じるようになる。
「プラザ合意」前後の時期で考えてみよう。
日本の株式市場に、1ドル=250円で10億ドル(2千5百万円)投資していた。
日本の株式市場は活況を呈しており、2千5百万円を投資した株式が4千万円に膨らんだ。
「プラザ合意」で1ドル=120円になった。4千万円分の株式を売却して米ドルに転換したら、33億ドルになる。
日本円ベースでは60%増えただけだが、米ドルベースでは333%増えたのである。
これはお互い「紙切れ通貨」ベースの話でしかないので、金をベースに考えてみよう。
1オンス(31.1g)の金価格は、82年(年平均1ドル=250.15円)で375.85ドル、86年(年平均1ドル=169.6円)で367.59ドルである。
82年に10億ドルで買える金の量は82トンであり、86年に33億ドルで買える金の量は279トンである。
まったく同じ物理的性質の金が、3.4倍も手に入るのである。
そして、279トンと言えば、日本の公的保有金の2倍以上の量である。
これこそが、まさに“錬金術”である。
そして、このような“錬金術”を支えた70年代末から80年代中期までのドル高状況をもたらす契機となったイラン−イラク戦争を「シーア派革命を予防的に阻止する」という名目で仕掛けたフセイン政権にも疑惑の目を向けざるを得ないのである。
2500年以上にわたって営々とノウハウを蓄積してきた国際金融家が、私ごときでもわかる“ボロ儲け”手段を意識的に活用しなかったと言えるだろうか。
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