晴耕雨読

淡々と日々の暮らしを立てるために働き続け、木々の緑、雨音、枯れ枝に架かる雪を密かに楽しむ。
老いては老いを楽しみ、若者の成長に目を細め、良い人生だったと感謝しつつ旅立つ。
こんな当たり前の人生が許されない世にはして欲しくありません。

 

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投稿者:早雲
mxさま、こんばんは。

以下の過去記事をご参照いただければ言わんとするところがご理解いただけるかと思います。
個々の宗教、宗派の信仰者についてどうこう言をうと言うつもりはありません。

『十字軍』と『魔女裁判』は今なお進行している現実のものである 〈その1〉から
カルタゴの政治制度と“キリスト教

宗教は支配の最重要な道具:カソリックの「二重構造」

「彼ら」と宗教」
投稿者:mx
 キリスト教やユダヤ教が人工の神であるとするなら、ちょっと違うような感じがします。

 聖書をお読みになったことは?(こう言われると違和感があるのが普通の日本人です。)

 おそらくお感じになっておられる「違和感」は、キリスト教とユダヤ教が自然の神を神としなかったからではないのでしょう。それ自体が誤解です。

 そうではなくてその二つの宗教が「書物の宗教」であるところから来るのでしょう。とにかく「書物」なのです。

 つまり、文章の読解に極めて精緻な努力を傾ける性格を持つ宗教の民、つまりそれこそイスラム教の言うところの「経典の民」であるからでしょう。

 この訓個的性格は、聖典と信仰告白の形を通して具体化されています。このネチネチした性格が経済活動へ影響すると言うなら分かりますが、その反対に概念を信仰へと当てはめるのはちょっと見当違いというものです。

 おそらく文章の一字一句にこだわるしつこさは、日本人が最も苦手とするものであるでしょうが、同じようなネチネチ感を共産主義者も持っていると言うなら分かります。共産主義者が文章の一字一句の違いで分派を繰り返したのを知っていればなおさらでしょう。

 しかし、佛教にも分派はありました。キリスト教の分派と何が違っているのかと言われれば、明確に答えることが出来るかと思えば、私には無理そうだと思います。

 私から見たら、目くそ鼻くそだからです。

 南蛮の宣教師が日本に来たとき、日本の浄土真宗について「日本の仏教にはルター派の異端に似た教義を持つものがいる」と言ったらしいです。実際ものの考え方はルター派と浄土真宗ときわめてよく似てるし、世俗的傾向もよく似てると言うことも言われたことがあります。

 そういう意味からいうと、教えの根源ともまた違うのではと思いますね。
投稿者:mx
 個人として組織化されたのは近代を通過して以降であると思います。キリスト教にとって、近代はそもそも異質です。近代化されたキリスト教を見て、キリスト教の実像を語られても単なる誤解と言うものです。

 そもそも個人とは何でしょう。
投稿者:mx
 その宗教の根源が何か、と言うならそれを論じる人のバイアスは当然入っていますね。

 そもそもキリスト教の根源とは何ですか?
投稿者:早雲
mxさま、こんばんは。

>「佛教は平和」と言うのは幻想に過ぎません。

ここで問題にしているのは個々の教徒が何をしたかと言うようなことではありません。
その宗教の根源は何にかと言うことです。

> 一神教が貨幣崇拝であると言う論拠がよく理解できません。

ユダヤ教・イスラムを商人の宗教と捉えています。
根拠は、一神崇拝と契約観念です。
「一神崇拝」は、様々な価値ある財から一等地飛び抜けた価値物である貨幣への意識の反映だと考えています。
「契約観念」は、商取引の基本であり、協業ではなく個人性を基礎としたものです。

農耕共同体では、農耕を支えてくれる様々な自然(物・現象)に対する畏敬の念が培われ、個人よりも協業的主体としての共同体が存立意識の基礎になりやすいものです。

中国のように周辺地域からの圧力に晒されている農耕共同体連合では、儒教のように、内部の安定と外部からの防衛力を高めるための智恵である「中央集権的統治論」が尊重されることになります。
投稿者:mx
 「佛教は平和」と言うのは幻想に過ぎません。結局、日本にいたキリシタンを手ひどく拷問したわけですから。確かに目も当てられないようなものでした。佛教関係者がどのように関与していたかは、少し調べれば分かることです。

 問題は洋の東西、背後に持っているイデオロギーを問わず「残虐性」に対する正当化の方便がまかり通ると言うことではないでしょうか。「こいつを殺すことは神がおゆるしだ」「こいつを殺すのは理論的に正しい」「こいつを殺さなければ日本がだめになる」・・・。

 一神教が貨幣崇拝であると言う論拠がよく理解できません。
投稿者:早雲
布引洋さま、こんばんは。

>共産党の不思議に、一神教(キリスト教)によく見られる特徴的な欠点が垣間見れることです。

これは不思議でも何でもないことです。
資本主義経済と呼ばれる「近代経済システム」の本質的実態は、国際金融家(=国際商人)の貨幣的富を増大させるための仕組みです。マルクスは、労働者の困窮原因を産業資本家の搾取とウソの説明をしました。このおかげで、労働者の怒りの矛先は、雇用者である経営者(産業資本家やその代理人)に向かうことになりました。
さらに、労働者や左翼の運動がそのようなものであったが故に、産業資本家も反マルクス主義に走りました。
国際金融家に支配されているもの同士が敵対する状況が150年以上も続いてきたわけです。
まんまと、国際金融家は影に隠れてしまいました。
つまり、マルクス的共産主義は、近代の枠組みを支え、補完する役割を果たしてきた国際金融家のエージェントです。
同じ一神教(貨幣崇拝)の血が濃いのも当然です。
このあたりの事情は、カテゴリ「世界は「大宗教戦争」のまっただ中にある 」
http://sun.ap.teacup.com/applet/souun/msgcate19/archive
中の記事を御覧下さい。

>これは共産主義の発揚の地が一神教の西欧だった影響が絶対に無いとはいえません。

いわゆる「マルクス共産主義」は西欧からしか出てくることのない思想です。

>インドや日本だったら、可也違っていた可能性はあるでしょうか。?

この場合共産主義ではなく(原始共産主義の色合いは有るかも知れませんが)「アナーキズム」になると思います。
無政府というよりは政府の過度の統制を否定し人々の倫理に信を置くという老子の思想に近いものです。
投稿者:布引洋
共産党の欠点は融通がきかなさ過ぎること。(やらなければならない野党共闘をやらない)
社民党の欠点は融通がありすぎる事。(やってはいけない与野党野合をやってしまう)

共産党の不思議に、一神教(キリスト教)によく見られる特徴的な欠点が垣間見れることです。
一神教の他者に対する不寛容は教義上、ある程度は理解できる。
しかし内部の異端者に対する不寛容には首を傾げるばかりです。
例えばレコンキスタ勝利後のスペインで宗教心が高揚して異教徒たちを全員国外追放してしまう。
国内に残ったのはキリスト教徒だけで「めでたしめでたし」で終われば良いものを、異端審問の嵐が吹き荒れる。
しかし異教徒は国外追放で異端者は火炙りでは罰の重さに差が有りすぎ。
キリスト教徒の異端者(少数者)に対する態度が一神教(キリスト教)では最高に厳しい。
仏教徒的価値観なら自分自身により近い異端者は最高に厳しくしても島流し程度でしょう。
共産党でも筆坂問題を見ると外部の反対者よりも、内部の異端者をより厳しく罰する傾向があるようです。
これは共産主義の発揚の地が一神教の西欧だった影響が絶対に無いとはいえません。
インドや日本だったら、可也違っていた可能性はあるでしょうか。?
投稿者:早雲
布引洋さま、こんばんは。
>「政権の取れなさ度」では社民党も共産党もどっこいどっこいではないでしょうか。?

資本主義に反対する政党は、(世界が)資本主義体制下で動いている限りは政権を取る必要はありません。
政策決定に影響を与えられるだけの議席を確保できればよいのです。
その意味では

>首相の椅子一つで反故にした実績があります。(成果は村山談話唯一つ)

は、まさにその通りです。

>ダメなものはダメという気概で頑張っているのは共産党の方でしょう。

野党共闘が不可能な共産党では野党全体として議席を増やすことは困難です。社民党には政治的妥協の余地が有ると言うことです。

>現在、護憲派の最大勢力が共産党である事実を共産党の幹部はどれ程考慮しているのでしょうか。?
第一人者には自動的に、その他の勢力以上の大きな責任が存在する。自分たちが今まで以上の大きな責任と期待を有する事実を自覚してほしい。

全くその通りですがそれは無理(無駄)な期待で有ることが本記事の趣旨です。
投稿者:早雲
天皇制廃止論者ですがさま、こんばんは。

天皇については、別記事をupしました、ご参照下さい。
http://sun.ap.teacup.com/applet/souun/msgcate25/archive
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