● 民間人殺戮問題
>よしんば当時の日本の大陸侵攻策を帝国主義競争下の不可避的選択として是とした上でも、民間人の虐殺はやはり到底受け入れることはできません。これは超法規的な観点からも、やはり人類に対する犯罪として処断されるべきものです。
中国戦線で民間人の虐殺や強姦はあったと思っています。
それを便衣隊だったからだとか、正規軍が逃げた後民間人のかっこうで攻撃してきたから仕方がなかったという説明でよしとはしませんが、そのようなことが行われたのなら、日本の国内法や軍規で処罰しなければなりません。
ことさら意味不明の「人類に対する犯罪」という観念を持ち出さずとも、日本自身が持っていた法規で処罰できるものです。
それを現地の指揮官や司令官が見逃したのなら、指揮官や司令官も法規違反ですから処罰の対象になります。
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(南京攻略の司令官だった松井石根大将は、南京入城後の日本軍将兵の規律違反行動を嘆いた日記を残していますが、そのような行動を犯した将兵を軍法会議にかけずに見逃していたのなら、それだけで重罰に処せされても仕方ありません。中国人に法規に触れる何かをしたからといって部下である日本軍将兵を裁くというまともな判断ができなくなっていたことは間違いありません。なんと言っても、シナ事変を拡大させた“精神”は、「中国にナメられたり排除的言動をされたら、懲らしめて目にものみせる」というものでしたから)
もちろん、戦後中国でも日本軍の戦争犯罪が裁かれたように、裁きにかけられないで放置されていた戦争犯罪ないし国内法規違反行為を中国などが裁くことは正当だと思っています。
しかし、この問題は、国家指導層に対するいわゆる「戦争責任」(平和に対する罪や人道に関する罪)とは関係ありません。
(極東軍事裁判で裁かれた国家指導層の一部は、うすうすは知っていたかもしれませんが、好ましいものではないと思っていたはずですし、現地司令官が対処すべき問題だと思っていたはずです。強姦などの問題を知っていたからこそ、慰安所の設立に動いています)
>英米の軍隊は少なくとも第二次大戦時点では民間人の大量殺戮は行っていない。(ドイツ・日本の無差別爆撃・原爆投下はあるが、非侵略国に対して行ったわけではなく、一種の報復という形だった関係で自他ともに罪の意識が希薄となっている。ドイツ空軍もロンドンに最初に無差別爆撃を仕掛けたし、日本も戦争初期に南京・上海などに無差別爆撃を行っている。また捕虜を万単位で死なせている)。とはいえ大規模な都市絨毯爆撃・原爆投下は無論決して許されることではありませんが。(さらにアメリカは後にベトナムで、皇軍どころではない非人道的な虐殺・化学兵器を使用したが、責任者はもちろん人類に対する犯罪のかどで極刑に処せられるべきものです)
米英が、「第二次大戦時点では民間人の大量殺戮は行っていない」という理由に、「非侵略国に対して行ったわけではなく、一種の報復という形だった関係で自他ともに罪の意識が希薄」だとか、「日本も戦争初期に南京・上海などに無差別爆撃を行っている」といったことを持ち出されるのは心外です。
宣戦布告をもって戦争状態にある二つの国家に侵略国とか非侵略国といった概念は適用できません。
また、罪の意識が希薄であることは罪を回避させるものでもありません。
真珠湾奇襲攻撃でも、日本海軍が爆撃した対象は軍艦と軍事施設だけです。
錦州・南京・上海・重慶その他の都市に空爆を加えていますが、無差別というわけではなく、戦線・軍事施設・政治施設を狙ったものです。
(航空機や爆弾をそれほど浪費できる状況にはなかったという現実もありました)
余計なお世話ですが、ドイツ空軍のロンドン爆撃やVロケット攻撃も、民間人やその居住施設ではなく、軍事施設と政治施設を狙ったものです。
(もちろん、誤爆や近隣民間施設に被害を及ぼしています)
日本が中国で民間人を殺戮したのは、善い悪いは別として、軍事的敵対行動者という判断があったからです。
(共産党やそのシンパがゲリラ戦なども仕掛けていたのですから、現状のイラク占領米軍と同じように、まわりは民間人であってもみんな敵という意識で動いていたはずです)
しかし、米国の日本都市空襲や原爆投下は、戦争遂行手段の生産に従事している人を減らす、戦争遂行意欲を減退させる、米国の力を思い知らせる、新兵器の威力を実験する、戦後占領支配での抵抗をなくすなど、相手が民間人であることを明確に認識した上で行われたものです。
● 責任問題
>貴殿の「さらに言えば、“一億総懺悔”ではなく国家指導層やマスコミの責任は特段だが、国民にもそれなりに責任があるという話にもなるかもしれません。」については若干同意しかねる部分があります。国民を教育・教宣によって戦争政策漬けで洗脳し、200万以上の死者を出した一義的責任はやはり、当時の支配層にあった。
国民の責任とは、洗脳されてしまった責任です。
選挙権は男性のみで情報は限定され、メディア報道や学校教育で価値観や国策に関する強烈な方向付けがなされていたとしても、洗脳されていたから責任はないとすれば、当時の日本は、愚昧の民で満ち満ちていたという結論になるだけです。
(それが自分自身だという人は少なくなっていますが、親や祖父母である人だという人が現在の日本人のほとんどです。「洗脳されていた」とか、「軍部が悪かった」という総括でよしとする人には、いつまでも自覚なき“奴隷”もしくは道具的存在として生きてくださいと申し上げます)
限られた情報や培われた価値観のなかで、「米国と戦争をしても勝てないだろう」、「息子が戦場に送られて死ぬのはイヤだ」などといった判断はありながらも、「戦うしかない」という結論を持った人が多数派だったと思っています。
戦争の判断(統帥問題)は国会でさえ口出しできるものではありませんでしたら、統帥部構成員及び天皇が「敗戦責任」を主として負い、外交や予算そして内政で戦争遂行に関わっていた内閣構成員も重い責任を負い、国会議員もそれに次ぐ責任を負います。
ご指摘の財閥は、国家支配層に含まれると考えていますし、彼らがどのような行動をとったのかを明確にし、責任を問われるべきだと思っています。
(「敗戦責任」問題に蓋をしていることで、戦前及び戦時中の資料や情報が隠されたままになっています。これが、南京虐殺問題や従軍慰安婦問題をこじらせている要因でもあります。事実を知るためにも、「敗戦責任」問題を国家として取り上げさせる必要があると思っています)
前にも書きましたが、誰に責任があり誰が悪ったということも重要だと思っていますが、どうしてあのような膨大な犠牲と災厄が道具化された被支配層の手によって現出することになったのかということを明らかにするほうがより重要なことだと思っています。
今でも、「あまりよく知らない国で殺戮される人たちがいるとしても、それで現在の生活が良くなったり維持されるのならば仕方がない」とか、「米国の意向に逆らってこれからの見通しが悪くなるのなら、米国のやり方はとんでもないが、国策としては支持するしかない」と判断する人は少なからずいると思っています。
(貴殿が言われる洗脳状況は、手法や内容は違っても変わらず続いています)
そして、それらの人が被支配層に属しているのなら、ひとの命を代償にそこそこの生活を維持するという考えはとんでもないものだと言って非難する気にはなりません。
非難ではなく、ひとの命を代償にした生活の維持という方法を選ばなくとも、人の命を尊重しながら自分もより好ましい日々がおくれる方法があることや、経済条件を維持するために必要悪だと思って見逃している国策はこの先経済条件を悪化させるものだということを示す道を選択します。
その一環として、「敗戦責任」問題を通じた日本近代史の総括を位置付けています。
「敗戦責任」を論理的に追及していくなかで、そうならば、今の日本はどうしなければならないのかということも見えてくると確信しています。
7/4/12

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