● 対米開戦について
(対米戦(真珠湾奇襲攻撃)開始3ヶ月前の昭和16年9月時点では「米国との戦争は決意しつつも、できうる限りそれを回避する」という国策が維持されていたということがわかりました。)
まさにぎりぎりまで回避方針だったわけであり、戦争回避のために必至で努力していたみたいですよ。
やはり米国と内通の疑いのある山本−米内が「背中を押した」ことが大きいと考えます。
本格的な書き込みをお待ちしております。
● 戦前の日本
(今日の解決策が即ち過去の解決策です。)
だから難しいわけですね。
「現実」というものは重いなあとつくづく思います。
(「被害者同盟」の立場にあるべしと考えたのは、まっとうな大アジア主義者であり、石原莞爾のような東亜連盟主義者といった限られた人たちで、支配層からは、国体主義であることで利用され、“平等的”アジア主義であることで疎まれるという存在でした。)
人気blogランキング <-- クリックしていただくと、より多くの方に読んでいただけます。ご協力お願いします。
Re: 日本近世と西洋近代の相違:被害者同盟について質問投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 10 月 09 日
まっとうな面はあります。 しかし、「国体主義」はどうなんでしょう。
国体主義は、民族的な価値観の勃興といった趣旨であったことは良く判るのですが、多民族や他国民に押しつけても駄目でしょうね。
「被害者同盟」は、「平等的アジア主義」とは結合しますが、「国体主義」とは異質な考え方になるわけです。
ここが弱点として支配者に利用されてしまった。
(その価値観は、近代主義権益拡大志向を抱えながら、皇国史観を基礎にした統合をめざすものですから、贔屓目に言っても、覇道と王道がないまぜになった奇態です。)
価値観。
価値観を押しつけることこそ、「覇道」だと思われてなりません。
「王道」というのは、もちろん私のイメージに過ぎませんが、決してそういうものではないです。
仁政を施せば、民衆が自然に慕ってくるというのが王道ですよね。
(奇態とは言え、アジア及び世界に訴える価値観を保持し自力で経済権益を拡大した戦前に較べれば、戦後日本は、米国の力と価値観にひざまづくなかで経済権益を拡大するというよりひどい奇態を示しています。)
(これは、過去の解決策より、今日の解決策を見出し共有化するほうがより困難だということを意味します)
お読みしますと、ため息が出るばかりです。
価値観の喪失。 価値の喪失。
価値を創造しようとする意思の喪失。
解決しようとする意思を喪失しているということは、そもそも解決策以前の段階まで落ちているのかな?
(国策は、あくまでも近代日本ないし支配層の繁栄が目的化されたものです。
だからこそ、権益をめぐる英米との対立が抜き差しならぬところに至るなかで、財界や自由主義者といった支配層も、米英との戦争もやむなしという判断で軍部の国家総動員体制を支持するようになったのです。
(陸軍多数派は、国民福利という長期的な観点からも、国家社会主義的な経済体制をめざしていました)
国家社会主義的な経済体制はそれなりに合理的なものだったのではないでしょうか?
主要原因は、結局のところ、「権益をめぐる英米との対立が抜き差しならないところに至り」「支配層が軍部の国家総動員体制を支持するようになった」ことに違いありません。
権益−生産物を販売して利潤を上げるために広大な市場アクセスを必要とすること。
その原因は、けっきょく「英米の真似をうまくやった」ことの帰結に違いない。
しかし英米のような徹底的に冷徹な寄生価値観に徹するところまでいくことができず、恐ろしく冷血な寄生からお人好しの平等的アジア主義まで実に幅広いスペクトルを持っていました。
この不徹底と分裂につけ込まれたと総括できそうな気がしています。
なぜこうなったのか?
「西欧近代」との初遭遇で相手の正体がよく見えていなかったことかな?
いや、もう一つあるのでは?
実はそれが江戸時代の評価の疑問へとつながります。
● 歴史観
(江戸資本主義形成期という見方が流行っていることは承知していますが、商業は基本的に領主経済領域の範囲であり、貨幣経済は都市世界に偏重したもので“自立”した農村共同体が基底であったことから、近代と類似視することはできません。)
確かに江戸時代の商人の活動には厳格な規制がはめ込まれていたようです。
利子取得者も限られていました。
米相場などもたびたび規制されていたはずです。
あっしらさんが書かれて来られたような意味での制度的な近代は見当たらないといえるのかもしれません。
(安定した江戸期の産業発達が近代化の技術的基礎になったことは確かですが、「放っておけば西洋近代化しそうな世界」では断じてありません。)
(生存維持活動が楽になったり、都市向け産業で金銭を余分に保有するようになったら、勉学や娯楽に時間を費やしたり、お伊勢参りの物見遊山というもので、貨幣的富の増殖に血道を上げる価値観ではありませんでした。)
なるほど。 自発的、自生的に「近代」を内蔵した世界ではなく、異質なものであるということですね。
これは救いを感じます。
そういわれればそうかもしれません。
しかし私には疑問が残ります。
なぜこれほど「近代的価値観」を全面的に取り入れるに至ったかということです。
私は、江戸時代から、金銭崇拝思想を持つ集団や個人が広く存在しており、それが明治時代にいたって西欧思想と共鳴したのではないかと思うですが。
江戸時代には多数の豪商がおり、彼らの思想は、フランス革命当時のブルジォアジーと似ているのではないかと想像しています。
ただし、西欧と違って、彼らの行動は規制されており、決して指導的な立場となることはなかったと理解しております。
しかし社会的にはかなり潜伏していたと見ています。
表現の自由が規制されていたから、彼らの思想はあまり残存していないということでは?
エイズウイルスはあったが発病に至るほどではなかったというように思っているわけです(はっきり言って近代は免疫不全症候群−エイズだと思います)。
この点について、商品経済取引の活発化や技術的蓄積といった通常の話は除くと、次のことが気になっています。
相場: 米相場の巨大さと技術的高さ
相場、特に先物の理論書は非常に高レベルみたいです。
改鋳: 貨幣鋳造商人による改鋳の操作
信用と簿記の発達
一夫一婦制度の一般化
村落共同体の変質: 商品貨幣経済の発達に伴う村落共同体のしきたりの破壊と憑霊
最後のものは小松和彦氏の研究ですが、説得的なものだと思っています。
村落共同体において、一部の富裕者の金銭蓄財によって村落のバランスが崩れることへの抗議として憑霊現象をとらえています。
村落共同体の「資本主義的破壊」は江戸時代からゆっくりと進行を始めていたということだと思います。
大商人の出自?
長くなったのでとりあえずこのへんで。
-------------------------------
簡単なレスです投稿者 あっしら 日時 2003 年 10 月 09 日
>しかし英米のような徹底的に冷徹な寄生価値観に徹するところまでいくことができず、恐ろしく冷血な寄生からお人好しの平等的アジア主義まで実に幅広いスペクトルを持っていました。この不徹底と分裂につけ込まれたと総括できそうな気がしています。
なぜこうなったのか?
「西欧近代」との初遭遇で相手の正体がよく見えていなかったことかな?
「近代」の正体がよく見えていなかったということが究極的な要因だと思います。
そして、それは、成功した近代国家となり物質的生活条件も高くなった日本人の多くが現状に不満はありながらも、近代に愛着を覚える支えになっています。
英米にしても多数派は日本人と同じ感覚で、徹底的に冷徹な寄生価値観をおためごかしの空虚な理屈で覆って世界全体を宿主にしようとしているのは、ごく一握りの“彼ら”だけです。
今後の世界は、だらだらと続く戦争もですが、農産物は過剰気味で産業力もあふれんばかりなのに、飢えに苦しんだり満足に食事がとれない人が10億人を超えて存在したり、失業が増大したり実質給与が低下したり老後の年金はカットされるのはなぜなんだという意識を持たざるを得なくなります。
そのような現状認識が広がったときに、グローバリズムや「小泉改革」(民主党の改革も同根)といった政策で解消できると騙されてしまうのか、「近代システム」の基底にある病弊が先進国でさえ覆い隠せなくなった現象と捉えるのかで決定的な違いが起きます。
“彼ら”は、「近代システム」の終焉を自覚しています。
(産業的拡大を通じた吸い上げが行き詰まったことを理解しています。金融的手法で広く浅く吸い上げるしかないと考えています)
暴虐の近代が築いた諸力を新しく編成し直し、生存維持活動が楽になったり、勉学や娯楽に時間を費やしたり、お伊勢参りの物見遊山といったことに活用する手段とするか、それとも、稼ぎに日々追われても生活条件はそれほど良くならず、老後や身の安全に不安を抱えながら生きていくかたちで“彼ら”の宿主であることを続けるのかという重大な歴史的結節点が目の前に迫っています。
>しかし私には疑問が残ります。
なぜこれほど「近代的価値観」を全面的に取り入れるに至ったかということです。
私は、江戸時代から、金銭崇拝思想を持つ集団や個人が広く存在しており、それが明治時代にいたって西欧思想と共鳴したのではないかと思うですが。
支配層は先行していましたが、日本人多数派が「近代的価値観」を全面的に取り入れるに至ったのは、戦後高度成長期を通じてだと思っています。
(徴兵される心配もなく物質的生活条件が目に見えるかたちで向上したあの時代が、日本人を近代に取り込んだのです。そして、その残像が今なお日本人に近代にとどめていると思っています)
欧米の武力的威嚇が攘夷の無効性を悟らせ、一部支配層に近代化を志向させたとしても、それで利益を得るものは少数で、日本人多数派はなんでこんなひどい世の中になったのかと思っていました。
支配層の近代化の志向についても、それを目的とする立場とそれを手段とする立場に分かれています。
(西郷隆盛は後者に属すると思っています)
初期の活動層は、西欧思想に共鳴したわけではなく、防衛的近代化という側面が強かったと見ています。
華族などの有閑層やその子息そして経済的利益を手に入れた財界は、瞬く間に西欧思想に共鳴し始めます。
(フランス自由主義にはまった西園寺公望が有閑層の代表例です)
自由民権運動は、日本的近代に対するアンチテーゼとして西欧近代の思想をぶつけたもので、植民地がマルクス主義を含む西欧思想を支えに独立運動を起こしたことと類似的なものだと思っています。
江戸時代の豪商も国家に後押しされるなかで近代財閥となったのであり、国家の庇護のもとで自立的に近代財閥になったわけではありません。
近代的ブルジォアジーと言えるのは渋沢栄一や鮎川義介など限られた存在で、近代国家成立後に出現したものです。
経済的に豊かなものと乏しいものという構造は、近代に限らず普遍的に存在するものだと思っています。
おそらく、程度の差はあれ、近代後も続くはずです。
(「商品貨幣経済の発達に伴う村落共同体のしきたりの破壊と憑霊」という小松和彦氏の研究は面白いと思いますが、江戸期の都市を対象とした経済活動を通じた金銭蓄財で生じる村落共同体のバランス崩壊はたかが知れていると思っています。明治維新を契機とした入会地を含む土地の私有化と租税金納制そして以降絶え間なく深化する貨幣経済と小作農の固定化が農村共同体のバランスを崩壊させたと考えています)
7/4/15

2