以前から書いているように、第二次世界大戦は、第一次世界大戦から続く「第一次近代世界再編戦争」だと捉えています。
「第一次近代世界再編」は、民族共同体的価値観を基礎として台頭してきた近代産業主義国家の拡張や覇権の芽を潰し、経済的には対抗が難しい産業強国を国際金融家が与える価値観及びシステムに丸ごと取り組むというものです。
1917年のロシア・ボルシェビキ革命も、民族共同体的価値観を基礎とした帝政ロシアを破壊すると同時に、想定していた対ドイツ(・日本)戦にロシアを活用することを狙ったものだと考えています。
(ソ連はその歴史的役割を終えたがゆえに1990年を境に解体されたと見ています。戦後のソ連は、戦時体制を継続し、冷戦すなわち対立と分断のキーとして重要な役割を担い(担わされ)ました。10年後に起きた9・11よりも、ソ連東欧圏の解体のほうが、「第二次世界変革」(最終決戦)の始まりにふさわしい出来事だと思っています)
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「太平洋戦争」はローレベルの合作で十分だったと思っています
投稿者 あっしら 日時 2003 年 8 月 17 日
本論ですが、ナチスとの合作は見事というほど巧妙かつ大掛かりに仕組まれたものと思っていますが、日本支配層との合作は、限定的でローレベルのものしかなかったのではないかと思っています。
それは、歴史的経緯に照らして、あのような状況で日本に対米戦を仕掛けさせ敗北の道を歩ませるためにそれほどハイレベルの合作を必要としなかったと判断するからです。
(協力者を広げれば広げるほど合作の秘匿が難しくなります)
ハイレベルで合作があった可能性を排除しませんが、対米戦を止めないという“不作為”の協力で十分という状況だったので、誰がそうだったのか読み切れません。
最高権力者である天皇に“不作為”をなさしめた可能性があるのは、穏健派で天皇に立憲君主を説いていた西園寺公望ですね。
疑うと、昭和天皇自身や満州領有を企てた石原莞爾までがその対象となり際限がなくなります。ほとんどは、「太平洋戦争」そのものではなく、もっと大枠の「近代」への協力者だったと考えるにとどめたほうがいいと思っています。
満州で絶対的な権益を確立し中国でずるずると戦線を拡大していた日本と違い、民主政体で実質敗戦国でもあったドイツにあのような歴史的過程を歩ませるためには周到な計画に基づく合作が不可欠だったと思っています。
サラエボでのテロで戦争を誘発した第一次世界大戦と同じようなわけにはいかない状況でした。
(民主政体のなかでナチスが政権を掌握すること自体が難題です。国民がヒトラーに傾倒するよう国民生活を向上させ、戦って勝てると信じられるほどの軍備を整えさせる必要もあります。そして、何よりも、勝利しながら、肝心なところで怪しまれずに将来の敗北につながる政策や作戦を遂行できなければ意味がありません。潰すために育てた国家が合作から離れればとんでもないことになります。そうまでしてドイツに戦争を仕掛けさせ敗北させたかったのは、民族共同体的価値観を基礎として産業力及び軍事力を高めたドイツが自主的に出現することを容認できなかったからです。反国際金融資本的価値観を打ち出した国家に産業力で勝てずその隆盛を許すことになれば、貨幣的富(紙幣ではなくゴールド)が奪われるだけではなく、英米でも存続基盤を失う結果にもなりかねません。同程度の技術力でかつ国際取引が同等に開放されているのなら、“個人主義国家”は、産業力競争で“全体主義国家”に勝つことはできません)
一方、現地軍と参謀本部の意思不統一や統帥と国政の分裂などを含みながら、満州事変→満州国建国→北支事変→上海事変→支那事変と対外軍事活動を突き進み戦意を高揚させてきた日本に“愚かな政策”を採らせることはそれほど難しいことではなかったはずです。
日本に対米戦を唆す段階では、ナチス・ドイツのポーランド侵攻を超えた戦意が日本にみなぎっていました。
(北支事変以降の中国での戦線拡大は、陸軍主導というより、海軍(上海事変)や近衛内閣そしてジャーナリズムの強硬論に押されたものです。南京陥落などの軍事的成果が政府や国民の対中国政策を強気にさせました)
対米戦争は、南部仏印進駐を契機に在米日本資産を凍結し石油を禁輸するという経済制裁が実施され、ハル・ノートが解決策として提示されたことで急浮上しました。(南部仏印はヴィシー政府の承認を得て進駐)
米英蘭の封じ込め政策に激昂し、日本の戦果を覆す要求を突きつけ経済制裁を続けるのなら「自存自衛」のために対米戦を仕掛けるべきという動きに対して、それは愚かで非論理的だという考えが多数を占めなかったことに、当時の日本支配層の判断力欠如を窺い知ることができます。
能動的に軍事活動を行っているのは日本ですから、米英蘭がそのような状況を認めないと言っても、経済制裁を受けるだけで、日本が政策を変えなければならないわけではありません。
米英蘭が日本の動きを問題視し経済制裁で状況を変えることができないと判断したのなら、米英蘭のほうが日本に軍事行動を起こさなければならなかったのです。
経済制裁は戦争を仕掛けても続くものですから、資源確保などの打開策を要請するものであっても、米国に戦争を仕掛ける根拠にはなりません。
日本は、フセイン政権が経済制裁の継続や邪悪視を理由に対米英戦争を仕掛けるのと同じような選択を行ったと考えるとわかりやすいかもしれません。(フセイン政権は攻撃開始期限を突きつけられても、クウェートに駐留している米英軍に攻撃を仕掛けることはしていません)
米英蘭が満州に進出するなど日本の権益を冒す行動に出たという設定なら、日本がそれを排撃するために軍事行動を仕掛けることに理があります。(現実には、米英の対中国支援をやめさせることを目的として戦争を仕掛けたのなら一応の論理性があったということになります)
ハル・ノートの内容は受け入れられない(経済制裁解除はない)という判断と米国に戦争を仕掛けるという判断に、論理的なつながりはまったくないのです。(巷間広まっているるように、言い訳のネタとしては使えますが)
対米(英蘭)戦を決意・準備しつつ「自存自衛」行動を続け、それを理由に米国が戦争を仕掛けてくるのなら受けて立つというのが理に叶った判断です。
文句を言われる側だった日本は、自分のほうから対米交渉を決裂させる必要はなく、いくらでも引き延ばすことができる立場だったのです。
(日本に戦争を仕掛けさせることを目的にしていた米国政権に対日交渉を妥結させる気なぞなかったのは事実ですが、もう我慢がならないといきり立って経済制裁を超える最後通告を発しなければならないのは、今回のイラク攻撃と同様、米国のほうだったのです)
そのような政策を採らなければ、“危険な罠”とも言える日独伊三国同盟を前の年に締結した意義さえなくなってしまいます。
米国が日本に戦争を仕掛ければ、独伊は米国に宣戦布告する条約上の義務を負っていることが三国同盟の唯一とも言える効能です。(“危険な罠”というのは、米国がドイツに宣戦布告したとき、日本が意図せず対米戦を始める義務を負うことです)
締結の評価は別として、三国同盟は、米国連邦議会が対日宣戦布告を議論するとき、太平洋戦争と欧州戦争の同時戦争に踏み切る覚悟を求めることになるので、それなりの対日戦抑制効果を持っていました。(一般的評価は三国同盟が日米戦を不可避にしたというものです)
支配層内でも対立があった日独伊三国同盟を締結していながら、それが支えにならず、日本が単独で米国と戦うことを覚悟しなければならない対米先制攻撃を仕掛けたのですから、当時の日本支配層はまったくもって支離滅裂だったと言えます。
石油など資源の確保は、ことさら対米戦を仕掛けなくとも、ベトナム南部(仏領)・インドネシア(蘭領)・マレー(英領)などとの“商取引”を強要することで実現できます。(強要の度合いを強めていけば、対米英蘭戦突入後の南方作戦と同じものになるだけです)
それが英国さらには米国の対日宣戦布告を招いたときには受けて立てばいいのです。
(満州の産業力強化を考えれば、対米戦は、決意しながらも、回避もしくはできるだけ引き延ばすことが得策でした)
米国は欧州戦争にも参戦したくないという世論状況でしたから、日本のアジア政策を理由に対日戦をという雰囲気ではありませんでした。
米国は英国本土が空爆されるようになっても対独宣戦布告をしなかったのですから、日本がフィリピン(米領)を避けて英蘭の植民地を標的に絞って南方作戦を展開した場合、早い段階で対日宣戦布告に踏み切れたかどうか微妙です。
そのような状況だったからこそ、欧州戦争に米国が参戦する大義を得るために、日本に対米戦を仕掛けさせたのです。
(さしものヒトラーも、何もないまま、ただ不利を招くだけの対米宣戦布告を打ち出すことはできなったでしょう。二義的な標的であった日本は、ヒトラーに対米宣戦布告を出すきっかけを与える役割を果たすために、対米戦を仕掛けさせられたとも言えます。もちろん、日本が対米戦を回避しようとしても、米国の参戦を勝利の必須条件とした米英政権は、あらゆる謀略を駆使して目的を達成しただろうとは思っています)
米国から仕掛けられたかたちで始まった戦争であれば、“リメンバー・パールハーバー”の呪詛効果を考えたとき、「太平洋戦争」の様相は大きく変わっていたはずです。
(ここまでの部分は自ら仕掛けた対米戦の愚かさを説明することが趣旨で、そのような政策がベストだったと考えているわけではありません)
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