戦前の軍需産業は、富国強兵策や打ち続く戦争で膨大な利益を上げ続けたのは確かですが、戦後の米国軍需産業と違って、自己の利益を拡大するために戦争を求めるという状況にはありませんでした。
1922年のワシントン会議で海軍軍縮に乗ったのも、宇垣内閣で陸軍師団数削減という軍縮が断行されたのも、日本の資金力(経済力)乏しかったことに起因しています。
国家予算の35%ほどを費やし続けても、米英に対抗できると確信できる軍備が達成できる見通しはありませんでした。
軍事産業部門を抱える財閥も、軍備強化のために“増税”されるのはいやだから、軍事費を抑えて欲しいと考えていました。
満州事変以降に陸軍が軍需産業に増産体制を求めても、それが継続的な発注になるかどうか疑念を抱いていた軍需産業は既存の設備で対応したほどです。
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戦前の軍需産業投稿者 あっしら 日時 2003 年 10 月 30 日
軍事技術的に見ても、軍艦の建造は先進国水準に達しましたが、航空機・戦車はずっと劣っていました。
(ゼロ戦も、運動能力を高めるために防御力を犠牲にした航空機です。初期の善戦は搭乗員の練磨の賜物と言えます)
国家総動員体制になってからは、賃金の規制や利益の規制など軍需産業にとってそれほどうまみのある条件ではなくなっています。
(社会主義的な統制経済で、戦後の企業経営に継承されています)
戦前の軍需産業は、国策を受動的に遂行した存在だと考えています。
もちろん、財閥を筆頭とする財界は、国家が国費で遂行して手に入れる海外権益の拡大を強く望んでいました。
しかし、経済論理から対米開戦を望んでいた財界はいなかったはずです。
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>>軍事技術的に見ても、軍艦の建造は先進国水準に達しましたが、航空機・戦車はずっと劣っていました。
(ゼロ戦も、運動能力を高めるために防御力を犠牲した航空機です。初期の善戦は搭乗員の練磨の賜物と言えます)
>本当でしょうか?米軍は日本の航空機を研究対象にしたのではないですか?世界初の長距離爆撃は重慶だったのではないですか?あんなに大量の毒ガス兵器などほりっぱなしにして、戦前の軍需産業がただの受動産業だったとは思えないのですが。
航空機のエンジンはずっと外国製品のライセンス生産に依存していました。
ゼロ戦も、その技術を基にした国産化エンジンを搭載しているはずです。
対米戦開始後も、エンジンがばらばらに開発・製造されている(他の部品もそうですが)ために、生産効率が悪く必死に調整したのが旧日本軍の兵器体系です。
米軍は、ゼロ戦を研究しましたが、その成果は、防御力に優れた上で運動能力が高い航空機の生産です。
長距離爆撃の最初が重慶だったかもしれませんが、ドイツが開戦する前の話ですから、それが大きな意味を持つものとは思えません。
毒ガスも化学産業最先端国だったドイツにはかなわないでしょう。
「あんなに大量の毒ガス兵器などほりっぱなし」にするのは、日本政府及び日本軍の道義的退廃を示すもので、兵器技術や軍需産業とは直接関係ありません。
「戦前の軍需産業がただの受動産業だった」というのではなく、国策で大きな利益を上げたことが確たる事実だとしても、過剰生産力の捌け口やさらなる利益拡大を求めて戦争を望む状況になかったという意味で受動的だったという見方をしています。
石原莞爾構想である昭和20年までは戦争事態を避け、重化学工業確立と軍備増強に一意専心するという国策が実現していれば、戦後の米国のように軍需産業の利益のための戦争が行われていたかもしれません。
財閥と戦争
>当時の日本の内部を考えた場合、財閥が受動的で、政府・軍部が主導的だったとは思えない。
これまでの説明は、戦前日本の戦争拡大が戦後米国に代表される軍需産業の利益のための戦争とは違うものだったという趣旨であり、財閥が国策に受動的だったという主張ではありません。
この問題にこだわっているのは、近代国家間にある同質性と異質性や国民経済レベルの違いがもたらす規定性を無視できないと考えているからです。
統治者及び国民が持つ国家観も違えば、主体的能動的に近代化を進めた国家と受身的に近代化を進めた国家という差異性もあります。
戦前の日本は、産業構造の後進性という桎梏を抱えながら、地域での軍事力が突出していた“半先進国家”だったと見ています。
戦争を含む対外政策は、市場の拡大と資源の確保そして植民地(過剰人口の捌け口)を目的として遂行されましたが、資金力及び産業構造から戦争そのものを自己目的化する状態ではありませんでした。
藩閥政治と富国強兵策のなかで育成されていった財閥は、政党政治と結びつきながら巨大化していきます。
当初の財閥もそれほどの資金力があるわけではなく、富国強兵策が要請する財の生産や国際取引で優位性がある財の供給や国営企業の払い下げを通じて育成され、台湾領有・中国租借地確保・韓国併合・南満州権益確保といった対外権益の拡大にシンクロするかたちで大きくなってゆきます。
明治維新後の日本は、近代後進国の一つの典型である開発独裁とも言えるもので、資本家グループが国策を差配したいたというより、権力を奪取した政治勢力と企業家が相互利益のために動いたと見たほうがいいと思っています。
大正から昭和初期にかけては政財界が一体となった私的利益の拡大が追求された時期が、自由主義的価値観の広まりという点と合わせて、現在の日本によく似た政治経済状況にありました。
しかし、この時期は、戦前でもっとも平和な期間でもありました。
欧米列強は欧州大戦(第一次世界大戦)のためにアジアに注力する余裕はなく、併合が終わった韓国はそれほど激しい抵抗もなく利権を確保する対象となっていました。
中国は辛亥革命後の混乱割拠状態にあり、ロシアはボルシェビキ革命という混乱状態でした。
軍人が軍服で街中を歩くと揶揄されるほどの空気が日本に満ちていました。
財閥と結びついていた政党内閣が海軍及び陸軍の軍縮を進めたのは、その財政負担が財閥や資産家への増税となることがわかっていたからです。
戦争よりも、既得権益を活かして儲けたい、米英とは協調して貿易で稼ぎたいというのが財閥の思いでしたし、そう思わせる経済論理が働いていました。
そういうなかで、米国が日本人移民を排斥する政策を採ったことで過剰人口問題がクローズアップされるようになります。
今から考えるとどうしてという問題ですが、中国&仏印問題への米国の対応(通商条約破棄・石油禁輸・資産凍結)で急膨張した「米国は横暴、対抗すべし」という日本人の意識は、この日本人移民排斥政策が根っ子にあったのです。
満州事変は、過剰人口問題を解決することも目的の一つとして引き起こされました。
(他は、資源と市場そして対ソ防衛強化という目的です)
この満州事変も財閥が望んでいたとはとうてい思えません。
なぜなら、南満州の権益を確保するために要する財政支出とそれから上がる利益が見合わず、利益源である満鉄は実質国有ですから自分たちに大きなメリットはありません。
実際にも、大正末から昭和の頭には、満州利権放棄論が政党から打ち出されています。
満州国建国後も、軍部が財閥を嫌って進出を歓迎しなかったことも要因ですが、重化学化の根拠地として開発に乗り出す財閥がないため軍部が鮎川義介氏に頼み込んでようやく動き出すという状況でした。
(もちろん、財閥は新しい市場での利益追求活動が行っていますが、満州経営は国策会社が中心に進めました)
そして、満州事変後は、私利私欲を貪るために売国的投機活動まで行う財閥に結びついた政党ではなく、軍部への政治的期待が高まります。
財閥がどのような状況でもその資金力を使って政治権力と結びついて利益を拡大を図ったことは確かですが、戦争拡大を主導したとは言えないと考えています。
ある意味で米英コンプレックスの最たるものであり情報収集力も高かった財閥経営上層部は、米英と戦争して勝利できないことはよくわかっていました。
その結果も予測通りで、罪に問われることはなかったとしても、解体の憂き目にあっています。
7/4/18

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