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>>国家としては、国防政策(軍事)と国策(外交)の分離、陸軍と海軍の不統一、国際情勢の合理的な認識、産業力育成より目先の軍備を優先、現地軍司令部への統御欠如、責任ある判断の欠如、政・官・財の利益優先などをあげつらうことができる。
> 「国防政策(軍事)と国策(外交)の分離」など出来ない時代だったし、少なくとも主観的にはある程度「産業力育成より目先の軍備を優先」せざるを得なかったのだろう。
言葉足らずで申し訳ありませんが、国防政策(軍事)と国策(外交)が分離されていたことが問題なのです。
軍事と外交が不統一のまま対外政策が遂行されていったのが戦前の日本なのです。
「産業力育成より目先の軍備を優先」したのも、第一次世界大戦の兵器体系の変化を目の当たりにしてそういう自覚を持った軍高級官僚が少なからずいたのに、陸軍と海軍がこれまた分離していたために、戦後の官僚ではありませんが、組織のために軍事予算をなんとか増やそうとしたのです。
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>戦争直前には日満ブロック経済により本格的な産業育成と国民経済の規模の拡大をしなくてはならないことは当時の経済指導にあたっていた軍人にも役人にもわかっていたのだが、開戦に間に合わなかったのである。
だからこそ、自らが仕掛けた対米戦は、国家を大災厄に陥れるとんでもなく誤った政策だと主張しています。
> だから、あっしらさんが具体的な当時の日本の問題点や失敗例をあげているのは、別に私の論への批判というわけではない。
おっしゃられるように、書記長への批判というよりは、戦前の日本を統治していた人々への批判です。
> 私がそれを読んで思うのは、後になっていろいろ批判するのは楽だが、実際にことにあたってその都度決断を迫られた人々は厳しい条件と危険な状況の中で自分が国家の利益や理念に照らしてベストと思えることを選択していかなければならなかったのだろうなということである。あの当時は日本は今よりずっとまともな国だったので、ただ経済的利益と身体の安全だけを基準に行動していたわけではなかったのである。
「ただ経済的利益と身体の安全だけを基準に行動していた」とは思っていません。
しかし、前回も書いたように、「国防政策は、彼我の国力の差から、米英との戦争は回避し、ロシア(ソ連)や中国そして仕掛けられた場合の米英との短期決戦を想定したものであったにも関わらず、対米英戦に自ら踏み出した日本(統治者)の無能無策は指弾して余りあるものがある」と考えています。
戦術批判ならともかく、勝算も講和条件(落としどころ)もないまま対米戦に踏み切ったことを批判するのは、“後知恵”というものではありません。
評価するところはきちんと評価し、批判すべきところはきちんと批判しなければ、明日に向けたまともな歩みも不可能になります。
対米戦が避けられないものであったとしても、米国に仕掛けさせて艦隊決戦を行って勝利し、早期に講和を結ぶというストーリーで行わなければならなかったのです。
(勝利できるということではなく、それ以外の選択は自らが立てた国防方針に違背するという意味です)
>>(10万英霊のことを考えたらここで引くわけにはいかないと言って、300万の英霊を生み出す結果になる戦争継続を正当化する精神構造は、合理性を失った倒錯としか言い様がない)
> それが、満州などと太平洋戦争の関係のことを指すのだとしたら、この理屈を採用する国家は国家の名に値しないと思われる。というより、本来はこういう発想で国政を行うことは出来ないのである。
中国戦線の拡大から太平洋戦争の終結に至るまで、戦線の縮小や戦争の終結を阻んだ軍の主張は“英霊”を楯に取ったものです。
>国内の秩序と国際間での主権の確保、内外における国民の生命自由財産を守るためには、国家は金や命の犠牲をかえりみずに外の侵害者と戦わねばならないのであって、それは最初から国家というものの存在理由の重要な要素なのである。
このような論が正当性を持つのは、国民の皆殺しを意図して攻め入ってくる外敵に対してのみです。
戦っても死ぬ、戦わなくても死ぬという状況であれば、言われている内容が圧倒的な多数派の考えになると思います。
しかし、圧倒的な国力と軍事力を持つ国家を相手に対外権益の縮小や開放を拒んで、自国民の生命や財産を犠牲にすることも厭わないという国家統治者は、端的に言って無能のカスです。
統治者が無能でカスだったからこそ、300万人以上の犠牲者を出したあげく占領支配を受け、国民の価値観までぐちゃぐちゃにされる事態を迎え入れてしまったのです。
>>戦前は英国に見習い、戦後は米国に見習って、確固たる主体的な価値観や論理もない無能な統治者が、日本をずたずたにしてきた。
戦前の日本を戦後の日本にぶつけるのではなく、ともに“近代”の荒波のなかで右往左往しながら、国民及び諸外国国民に犠牲を強いてきたという論理的な反省が必要だと思われる。
> ここでもあっしらさんは直接に私のあの論述に批判をぶつけているわけではない。ただ私個人は、戦前一番日本が見習ったのはドイツであるように思えるし、「確固たる主体的な価値観や論理」を江戸時代以来の神道原理主義的な潮流として持っていたと思うし、「“近代”の荒波のなかで右往左往」していたのではなくて「試行錯誤しつつ近代に立ち向かっていた」とも言えると思うし、「無能な統治者が、日本をずたずたにしてきた」とはずいぶん傲慢な思考であり言葉だなと思うだけである。 ある物事の価値判断は人によって色々でありうるのである。
国策の誤りは、人によって様々というわけにはいきません。
別に私の主張が絶対的なものだというわけではなく、「敗戦責任」を国家国民的課題として明確にしなければならないという主張です。
書記長が常々批判されている戦後日本の体たらくは、敗戦によってもたらされたものです。
そのような書記長が無能な統治者が引き起こした敗戦の責任を問わないことのほうが不可思議です。
バブル崩壊が問題でなくバブル形成が問題であると同じように、戦後日本は、戦前の統治者が踏み出した対米戦の敗北によってもたらされたものであり、対米戦を受けざるを得ないかたちで始めたわけではなく、自らが仕掛けるかたちで対米戦を始めた戦前の統治者の責任は重大なのです。
7/7/18

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