「信用できる人がお金を借りなくなることで代わりに国家に借りさせるのが「新型社会主義」の入り口」
産業主義近代の終焉
「貨幣蓄蔵機能」は害悪の根源です。
しかし、貨幣蓄蔵が貸し出しの必要条件だとしても、利息取得の十分条件ではありません。
>なぜなら、私達が、幸せに暮らすためには、物やサービスを生み出す「経済」が必要です。そして、経済が動くためには、どうしてもお金が必要になるからです。
上の2行は超歴史的な現実だが、最後の1行は、近代経済社会特有の話で“どうしても”というわけではない。
人の活動力が財やサービスを生み出すという労働価値説も超歴史的な論理であり、人の活動力があればお金は不要である。
生存維持手段を保有しない人が多数派で租税が金納であることを条件に、社会的分業で財やサービスの供給活動が行われているからお金が必要なのである。
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産業資本主義の終焉で信用できる人がお金を借りなくなることで代わりに国家に借りさせるのが「新型社会主義」の入り口投稿者 あっしら 日時 2004 年 9 月 08 日
>そこで、仕方がないので、「わかったよ、工場を建てるのに1億円必要だからお金を貸してよ。1億2千万円にして返すからさ」という風に、"積みまして返す"という、貨幣が動くための"動機"が必要になったのです。
もし、貨幣が"腐って"ゆき、時間とともに徐々にその価値が失われるのであれば、積み増して返す、という動機は必要なかったのです。
しかし、貨幣の持つ"価値保存機能"が、この積み増しを必要としたのです。この積み増しの動機のことを、利子といいます。繰り返しになりますが、利子というものは、貨幣が持っていてもその価値が劣化しないから仕方なく生まれた性質なのです。
近代経済社会ではその通りだが、「工場を建てるのに1億円必要だからお金を貸してよ。1億2千万円にして返すからさ」と申し入れる人がいるのは、それで事業を行って1億2千万円以上の利潤(粗利益)が得られる見通しがあるときである。
1億円借りて経済活動を行なっても利潤が得られないとみなが判断したら、詐欺師や山師以外の誰も1億円を借りようとしない。
それは、大事にお金を蓄蔵している人が利息を得られないことを意味する。
そういう経済状況でもお金を借りてうまく利潤を獲得して債務を履行できる人もいるが、それは他の借り手が債務履行になることを意味するから、結局のところ貸したお金が化けたガラクタ同然の工場を手に入れて我慢するしかない。
労働価値説的に言えば、大阪城を築いたのが秀吉ではないように、工場を建てるのは1億円ではなく設計者や素材生産者などを含む労働者である。
1億円を受け取ったそれら労働者は衣食住を手に入れるためにそのお金を使うが、衣食住の供給も人の活動力の成果である。
突き詰めれば、お金は人の活動力を交換する手段でしかない。
(貨幣の蓄蔵(未使用)は交換機能を損なう)
お金がお金を生み出す魔力に囚われた人たちは、それでもなんとかしてお金を貸して利息を得ようとするはずだ。
生身の人(企業経営者を含む)が借りないのなら、“永遠の命”を持つ国家(統治機構)に借りさせるしかない。
これが“彼ら”が「新型社会主義」を志向する理由である。
どの国家も政府債務残高を膨らませているが、それは既に「新型社会主義」の前兆である。
7/5/11

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