「番外編:「開かれた地域共同体」のイメージづくり、呼び水としての江戸社会」
bakaでもわかる「あっしら」経済学
※この投稿は、
「
貨幣の信用力(通用性)の担保は「ひと」である」に至るあっしらさんのやり取りの展開として書かれています。
あっしらさん、こんにちは。
「自己愛」スレの展開を見ていて、あっしらさんの「あたま」には「あたまを」の高等戦術をニヤニヤしながら眺めています。
ここではROMに徹している(?)言い訳をまずしておきます。
あっしらさんは、「
自分を「悪魔崇拝の片割れ」と呼ぶ理由」において、こう仰っています。
>自分を「悪魔崇拝の片割れ」と呼ぶ理由は、悪魔崇拝的価値観をぶち壊すために、知性や理念を使っている(使わざるをえないと思っている)ことにあります。知性主義や理念主義に対抗するためには、知性や理念をフル動員するしかないと思っています。
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Re: 「開かれた地域共同体」のイメージづくり、呼び水としての江戸社会 投稿者 まっくす 日時 2004 年 4 月 04 日
仰る意味はよ〜くわかります。
でもスタイルの違いというんでしょうか、
私には「ロゴス」で押していく意欲も気力もありません。
口角泡飛ばす!みたいな頃もあったですが、「もうあきちゃった」んですね。
この気分が、あっしらさんに投稿したきっかけともいえます。
「そろそろ、そっちはいいんじゃないの?」というお誘いというか。
私は当初から、あっしらさんが「エロス」の人だと踏んでいました。
「エロス」を復権させるために「ロゴス」を武器としている、と。
そうでない人が「貨幣」や「開かれた地域共同体」などと言い出すわけは
ないからです。
根っから「お気楽」民族である日本人が、不得手な「あたま」主義の蔓延する世界に半ば強制的に引きずり込まれ、「負けながら勝ち続けている」歴史を「近代」と呼ぶなら、そろそろ「お開き」にするきっかけは、こちらから言い出す必要があります。
その場合、「象牙の塔」にも「マネーの虎」にもなじめない私のような人間には、「貨幣」という"技術"にしか希望は残されていませんでした。
何度か書いてきたように、ひとつの「あたま」(思い込み、あるいは願望)を根拠に、別の「あたま」に打ち勝とうとする「イデオロギー」抗争は、例外なく「暴力」(お金も含む)でケリをつけることになります。
「イデオロギー」は原理的に「世界統一」を目指します。
私は体質(生理)的にこれを受け入れることができません。
そこで敢えて、あっしらさんに「からだ」で表現してほしい、とけしかけています。
(でも、最近、あっしらさんが「くだけて」きているような気もして、その辺では伝わっているのかな、とも思いますが・・・)
あっしらさんも重々ご承知のように、"彼ら"の「世界統一」から自由になるには、まず相手の手のうちを研究することが前提となります。
でも、それはそろそろ阿修羅で合意形成されてますよね。
みんな次の展開を望んでいるんじゃないでしょうか?
次の段階って何かといえば、やっぱり違う社会を「身を以て生きる」(=違和感に「からだ」で対応する)しかないですね。
私には、そろそろテイクオフの準備に入らないと「間に合わない」という感覚が強いんですね。私自身のバイオリズムは、つねに全体より少し早いみたいなんですが、っていうことは、あと数年もすると、いよいよの局面が訪れるっていうことです。
ズルズル引き延ばして、日本的に抵抗して、なし崩しのうちに勝利するっていうような従来の手法は通用しなくなります。"彼ら"も今回は総仕上げの段階ですから。
これは日本だけの問題ではなく、うっとうしく思っている「プラス族」すべてのモデルケースになる、という使命感の問題でもあります。
じゃ、具体的に「からだ」で対応することの内実は何かといえば、日本が「開かれた地域共同体」へ移行し、勝手に生き始めることに尽きます。
ここらで「開かれた地域共同体」に関するコンセンサスづくりをはじめたらどうかと思います。簡単にいえば「あなたは将来どんな社会に住みたいですか?」という"アンケート調査"です。あっしらさんから、みなさんに呼びかけていただくとありがたいです。
以上を踏まえて、次の応答に「選択と集中」してみたいと(勝手に)思います。
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まっくす:「「分断と対立」を溶かすようなお金があったらいいな、と思います。
桜のように「決然と咲き、潔くぱっと散る」お金。
そうしたら消費税など取らなくてすみます。なまじ永遠に目減りしないとか、
節約すれば、もっと殖やせば楽になるとか思っているから、
我々はあくせく働かなければなりません。
結局、お金と時間が引き換えになっていて、ここでも「分断と対立」が起きているんです。
キーは利子の存在にあるでしょう。」
あっしらさん:「ここがキーですね。
お金が財やサービスを手に入れるためのもの(手段)であるのなら、
財やサービスは人々の活動によって実現されるわけですから、
お金は活動を交換する媒体ということになります。
そして、活動は保存できないものですから、
まさに「決然と咲き、潔くぱっと散る」ものです。
さらに、そうであるならば、用途が公務員の給与を含め財やサービスを
手に入れることである税金は不用ということになります。
活動(力)に対応しているはずのお金が保存(蓄蔵)できるというのは
自己矛盾であり、「分断と対立」を生み出すことになります。
利息と天賦のものである土地の私有が、あくせく働かず時間も引き換えに
しないまま贅沢ができる層の存在を許容しています。
貨幣については、分配問題が政治的に解決されるなら、利息が付かない
ということで蓄蔵の問題もほぼクリアできると思っています。
(主要テーマの一つである江戸期の貨幣を考えるなかで少し考えてみるつもりです)」
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ここは主要テーマ揃い踏みの場面です。
1.貨幣の問題
とくに利子の扱い、活動力との関連
2.富の分配の問題
3.「開かれた地域共同体」へのひとつのモデルケースとしての江戸社会
そこで「開かれた地域共同体」像を明確にしていくためにも、以下の質問に即して少し敷衍していただけませんか?
■ 「貨幣については、分配問題が政治的に解決されるなら、利息が付かないということで蓄蔵の問題もほぼクリアできる」について、もう少し具体的に構想を教えてください。もちろん差支えのない範囲で(笑)。
Q1.「分配問題が政治的に解決される」の意味を教えてください。
Q2. "彼ら"との絡みで、どのようにすれば利息が付かない通貨を実現可能か、何らかの戦略をお考えですか?
■「主要テーマの一つである江戸期の貨幣を考えるなかで少し考えてみる」について、お願いですから出し惜しみしないで(笑)、いますぐ「江戸期の貨幣」説明してください。時間がかかるようなら数回にわたってかまいません。
7/6/13

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