「脳死」を人の死とすること、および臓器移植医療について、臓器移植を推進する側の言い分はおおよそ次の様になります。
1、脳死は確実に判定できるのだ。
2、本人がドナーカードを持っていれば、反対する理由はないじゃないか。
3、救命をつくしたけど助からなかった。そういう方にドナーになっていただくのに、何の問題があるんだ。
4、今こそ臓器移植法の見直しが必要だ。
5、ご家族の決断に他人がケチをつけるのは失礼だ。
6、臓器をあげたい人と、もらえば助かる人がいて、それを可能にする技術がある。なぜそれに反対するのか。
7、子供からの臓器提供がなぜダメなんだ。子どもを助けないのはかわいそうじゃないか。
8、国内で移植を受けられず、海外に受けに行く現状をおかしいと思わないのか。日本の恥だ。
9、移植で救える人を助けたいと思わないのか?
10、脳死はどうせ助からない
11、脳死に反対する人は、移植を待つ患者さんに死ねというのか。
ここでは、ドナーの立場、患者の立場、そして医療体制の問題から臓器移植について「脳死」・臓器移植を問う市民れんぞく講座を参考に調べてみましょう。
まずは、ドナーの立場から。
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「生きたまま臓器摘出:中国での臓器移植」はいささかショッキングな内容でした。しかし我々日本人にとっては現実感が薄く、自分たちには直接関係ないと思っておられる方も多いことでしょう。
しかし、状況によってはあなたも同じ目に遭う可能性があります。
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15年程前の、1991年6月1日、NHKスペシャル「脳死・生と死の選択」で、フロリダ州オカラ市民病院での全臓器摘出が放映されたことをご記憶の方もいらっしゃると思います。こんな内容です。
ドナーの全身状態の悪化あるいは摘出する臓器の機能低下を避けるために麻酔は使用されなかった。
切開が進み、切り開かれた胸からドナーの心臓が力強く鼓動し続けているのが見える。
ふと気が付くと、ドナーの額一面に玉のような汗が続々と吹きだしてきている。
「手術室の内部は空調が施され、手術着一枚を身に付けるだけでも肌寒さは感じない。しかし、手術室の中でこの男性以外に汗をかいている人間はいなかった。“冷や汗”“脂汗”といった言葉が頭をよぎる。男性の顔色や表情に変化はないのだが、なぜ汗をかいているのか」。
他の人が汗をかいていないのだから、このドナーの汗は暑さのためではない。
この汗は冷や汗・脂汗としか考えられない。
冷や汗・脂汗は視床下部の情動によって生じる。
そして、実際に汗をかくということは、視床下部が機能しており、かつ、孤立せず末梢まで連絡がなければありえないことである。
彼の視床下部は冷や汗・脂汗をかく指令を出し得るレベルを維持した状態で生きていたのだと考えられる。
ドナーの額の汗は、彼が内臓を切り裂かれる猛烈な苦悶・苦痛、どうしようもない不快感に襲われていたに違いないことを示している。
ドナーには、玉のような冷や汗・脂汗を流す以外にその電撃的な苦悶・苦痛、不快感を訴えるすべがない。
昏睡状態から激痛によって、視床下部が発した大脳への覚醒シグナル。
そこで大脳は文字通り「五体を切り刻まれる」地獄の責め苦とやり場のない絶望感を「死ぬまで」味わうことになる、こんな理不尽極まることがあり得るのです。
以下は守田 憲二氏の記事
「臓器摘出時の血圧急上昇、麻酔が示すこと」からの抜粋です。
生きた人間から臓器摘出、市民を騙し続ける移植医療
「脳死」という状態が科学的に判定できないのに、無理を重ねて判定基準を作成し運用している。
それだけではなく、「脳死」判定する以前から移植用に臓器を保存する処置をして、患者を死亡させている。
なかにはそのいい加減な判定基準さえも無視して「脳死」宣告がなされています。
その結果、なかにはまだ生きている人間に、文字通り死にいたる激痛、恐怖、絶望、怒りを与えながら、臓器を切り取っているケースもある。
つまり「脳死」臓器移植は殺人が含まれる、というのが私の認識です。
そして「心停止」後の臓器提供と称されている行為は、ほとんどが「脳死」判断にもとづき救命治療を放棄し、臓器保存を処置開始、3徴候死を逸脱する死亡宣告を行っています。
「心停止」後とは、法的脳死判定手続と検証を、回避する方便にすぎません。
法的脳死判定を免れているために、今でさえも何を判定しているのか定かでない脳死判定が、一層いい加減に行なわれやすい。
その結果として「脳死」体よりも脳の機能が保たれた患者から、臓器が摘出されています。
しかも「心停止」後、と称することで一般市民には、3徴候死後の臓器摘出であるかのような錯覚を与えて、臓器移植法が成立する約20年前から違法な臓器摘出を行なってきたのです。
現在も3徴候死後という錯覚のもとに、ドナーカードに署名する人と同意する家族を増やしています。
筋弛緩剤を投与して手術開始、手術中にガス麻酔
直感的に、「脳死」体からの臓器摘出は残虐なことをやっている、おぞましい、おかしなことをしている、と誰にも思われる事実が、臓器摘出前に筋弛緩剤を投与し、なかには摘出手術中にガス麻酔をかけられて臓器を切り盗られた患者がいる、臓器摘出時に血圧が急上昇していることです。
典型的な発表としては、法的脳死判定9例目の福岡徳州会病院の事例がわかりやすいので、最初に紹介します。
2000年9月の九州麻酔学会第38回大会でこう発表しました。
ドナーからの臓器摘出に「ベクロニウム(筋弛緩薬)4mgを静脈注射した。
臓器摘出手術の開始直後に一時的に高血圧となったため、ニトロプルシド(血管拡張薬)とイソフルラン(ガス麻酔)0.5%を数分間投与した」と(麻酔 第50巻6号 2001年6月 p694)。
「脳死」体からの臓器摘出時に筋弛緩剤、麻酔薬を使っていることをドナーカードを持っている人が知ったら、どのような反応があるか。
実例をお話しますが、私の自宅に電話がかかってきました。
「守田さんは「脳死」・臓器移植に反対する運動をされていますね。なんでこんなことをしているんですか。私はドナーカードを持っています」と詰問調でしたが、私が今お話した福岡徳州会病院の麻酔投与と血圧急上昇の実例を話しますと、電話をかけてきた人は即座に「えぇ!それって、もしかして殺人じゃないですか」と言われました。
「脳死」体への筋弛緩剤・麻酔薬投与、臓器摘出時の血圧急上昇の事実を話される前に知っておくべきことは、移植医・救急医が、これを何と説明しようとするかです。
彼らはわかりやすく言う時には
「臓器摘出時の血圧急上昇は脊髄反射であり、体が動くことは主に脊髄自動反射というものです。脳死は大脳・脳幹の機能が失われた状態ですから、大脳・脳幹より下の脊髄が機能していても問題ありません。脊髄反射があっても、痛みを感じる心配はありません。摘出する予定の移植用臓器が、高血圧や低血圧、感染症などで移植ができなくなるように傷んでは、せっかくの尊い臓器提供意思を無駄にすることになりますから、抗生物質や輸血・降圧剤を使うこともありますよ。ガス麻酔は脊髄反射にもすぐ効くから使いやすいんです」
と言うでしょう。
脊髄反射?それとも「脳死」ではないから?
神経学的には刺激に対する反応の仕方、筋肉の動きなどの観察だけで「これはまず脊髄反射に間違いない」と理解される反射はあります。
例えば、お腹への刺激でお腹の筋肉が収縮するとかも脊髄反射です。
しかしここで問題としているのは、臓器摘出時のメスを入れた時に、血圧が急上昇している現象についてです。
大脳や脳幹部が生きていて、臓器摘出時のメスで痛みを感じるから血圧が急上昇しているのならば「脳死」などではない。
一方、交感神経だけが臓器摘出時のメスで刺激されて、血圧が上昇しているのならば、交感神経の中枢は脊髄にあるから、脳死で問題ない、という話になるのです。
「医者が脊髄反射と説明しているのならば、脊髄反射に間違いないんじゃないか」と思う人もいるでしょう。
しかし、脳死判定では、刺激による反応が、脊髄反射であるのか、そうではないのかを見分ける検査は行なっていません。
法的脳死判定マニュアルに、患者は意識を回復しない深昏睡の状態であることの確認法として、「虫ピンによる疼痛刺激または眼窩切痕部に指による強い圧迫刺激を、顔面に加えること」としています。
そして反射が認められた場合には、「誘発したと思われるのと同じ刺激を加え、同じ反射が誘発されれば脊髄自動反射と判断する」としています。
この検査法でなにがわかるのでしょうか。
「刺激して反応が認められたら、再び同じ刺激を加え、同じ反応が出たら脊髄自動反射と判断する」というのは、反応の再現性しか見ていないことになります。
血の通う生きている人間ならば、痛み刺激を加えたら反応があるのが当たり前です。
重態になればなるほど、定型的・単純な反応しかできなくなります。
反応が再現されたことだけで脊髄反射というならば、ほとんどの重態な患者は脊髄反射・脊髄自動反射しかしていないことになります。
もはや永久に意識を回復しない深昏睡の状態であるはずの患者が、実は脳死判定基準に基づいて加えた疼痛刺激は弱すぎて、脳死判定時には目覚めなかった。
しかし臓器を切り取られる時になって、メスの激烈な疼痛刺激によって意識を回復しているのではないか。
大脳の思考までは回復していなくても、延髄など生命維持に不可欠な部分が生きていて痛みを感じた、その反応として血圧が急上昇しているかもしれないのですが、その可能性をまったく考えることなしに、最初から脊髄反射と決め付けることが妥当なのか。
痛み刺激を加えたら、「その刺激が、大脳や脳幹に伝わり大脳や脳幹が生きていて反応した結果として体のどこかが動く、血圧が上昇するなどの反応が起こっている」のか、そうではなくて「大脳や脳幹はもはや機能していなくて、脊髄だけが機能しているから起こる=つまり痛み刺激が脊髄神経から折り返した結果として生じた反応」なのか、それを見分ける検査が法的脳死判定マニュアルというからには規定されていて当然ですが、このマニュアルは反応の再現性を確認できたら、すべて脊髄自動反射とすることに最初から決め付けてしまっています。
2) 死亡判定と殺人もしくは業務上過失致死罪
(1) 三徴候死説:臓器摘出にかかわる殺人罪もしくは業務上過失致死罪の成否には死亡判定の誤りは何らかかわりをもたない。問題となるのは、臓器摘出開始時点における被摘出者の生存を示す証拠の有無だけである。
(2) 脳死説:判定基準違反は処分の対象とはならない。
@ 現行法の下での脳死判定基準は、その基準に従って脳死と判定された者を合法的に脳死とする力をもつが、当の基準に違反して脳死と判定された者を脳死ではないと証明する力はない。
たとえば、脳幹死説に基づいて脳波を測定せずに「脳死」と判定された「脳死」は脳死ではない、と医学的に証明されているわけではいない。
また、1992年栃木県益子町西明寺普門院診療所の住職兼医師田中 雅博氏は、スズメ蜂に刺されて「脳死状態」となった53歳の女性から、CTなどによる器質的脳損傷の確認もなしに、深昏睡、自発呼吸の消失、脳幹反射の消失の三項目と、「全身状態の観察」に基づいて、当患者が不帰の点を越えたと判断し、レスピレーターを切り、「心停止後」、腎臓を移植のために摘出した。
この脳死判定は、厚生省基準の前提条件さえ無視した住職医師の死生観を判断基準とする「脳死判定」以外のなにものでもなかったが、検察がこの脳死判定あるいは医師の手になる心停止の早期化を問題にしたという続報は聞いていない。
B結論:判定基準に違反して脳死と判定された者が、臓器摘出開始時にも脳死でないことを証明することは不可能である。
一旦脳死説が認められれば、脳死判定および臓器の摘出に関して殺人罪もしくは業務上過失致死罪の成立する余地はなくなる。
日本弁護士連合会への人権救済申立が最大限可能な努力ということになろう。
6. 死亡判定基準としての脳死判定基準に関する最も重要な問題
たとえ意識の問題、統合機能の問題が存在しないとしても、脳死説を採ることはできない。
脳死と判定された人は、判定の前と後とで、外観を含めてまったく変化が見られない。
人工呼吸器につながれ深昏睡にあるこの人が、脳死なのか、脳死以前なのか、われわれにはまったく分からない。
心拍停止、呼吸停止、瞳孔散大・対光反射消失という三徴候死説による死亡判定なら、死亡の前後で明白な違いがあり、その変化は誰にでもわかる。
それがたとえどのように精緻、精密そして精確な死亡判定基準であるとしても、それによって判定される死亡がそれを判定する専門医にしか分からないものであるとしたら、この条件一つだけで、それは死亡判定基準としての資格がない。
死亡判定基準の第一条件は、それが誰にでも見え、分かる、ということである。これが一番大切ではないのか。
続く
6/7/8
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