晴耕雨読

淡々と日々の暮らしを立てるために働き続け、木々の緑、雨音、枯れ枝に架かる雪を密かに楽しむ。
老いては老いを楽しみ、若者の成長に目を細め、良い人生だったと感謝しつつ旅立つ。
こんな当たり前の人生が許されない世にはして欲しくありません。

 

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投稿者:ロシナンテ
グチャグチャ書かれてますが『死ぬ自由』が欲しいですねえ。
国家は決して健常者への『死ぬ自由』を与えては来なかった。
今じゃ誰にも迷惑かけずに『自ら死ぬ』術すら選択困難になってますわ。

健常者にも『死ぬ自由』を認めたなら、
まあ、今までの適者生存を標榜してきた国家は破綻しますわな。
脳死でも生きてる限り消費は伴いGDPの貢献にはなる。
苦痛と恐怖を取り去った『死ぬ自由』を市民が獲得した時が、
真の民主制に変われるのだと考えております。
投稿者:北斗七星
「臓器移植によって生き延びたい」。という思いは、すさまじい「生への執着」のように感じます。すさまじい「死への執着」と同様に捨てるべき「執着」ではないかと思っています。私は来世思想を少しだけ信じるようになってからというもの、「すさまじい執着」から離れることを願うようになりました。
取捨は人に任すべきだとは思いますが、臓器移植は商業主義の強い匂いがするのです。
投稿者:通りすがり0-0
大変興味深いエントリーをありがとうございます。
日本で脳死が導入されたときに、十分な議論も国民の理解もなく、いつのまにか導入されてしまったと思っています。今からでも論議が尽くされるとしたら大歓迎です。でも、もともと日本には真の意味での民主主義は存在せず、論議が尽くされるなどということはいまだかつて見たこと無いような気もしますが(あるのはマスゴミといわれるテレビのワイドショーと、一方的な新聞だけ。ブログだけが頼りかもしれませんね)。
個人的には脳死は科学的に死だと思います。司令塔である脳組織の壊死であり、精神活動が無いばかりか、どれほど手を尽くしても、心臓、肝臓、肺等々首から下の臓器は刻々腐って行っている状態です。このように腐りつつある身体を呼吸器、点滴等で拘束するさまは、私の目にはかえってむごいように映ります。どれほど手を尽くしても、2週間以内に確実に心臓死に達します。その間の処置は、お一人様数千万円に達します。こんなことに大枚を注ぐのは、誠に愚か者のすることだと思います。
私自身に関しましては、脳死に達したら、どうか延命機器を止めて頂きたい。この処置でほとんどの場合、1時間以内(普通は20分以内)に息を引き取ります。ですから心停止の前に、臓器がまだ新鮮であれば、これで重い病に苦しむ人に意義ある人生を与えることができるのです。私は誠に心から喜んで提供して差し上げたいと思います。死んでも人様のお役に立てるのならば、人としてこれ以上の素晴らしい生を恵まれたことは無い、と満足して大往生できるでしょう。
現在国外居住ですが、私が脳死を迎えた場合、角膜、皮膚、心臓、腎臓、肺、腸、使える部分は臓器移植に提供することになっています。どうせこんなところでケチったところで、荼毘にふされるて焼かれるか、地面の下で蝕まれて腐って行くんですよ(これなら他の生き物を養って大地に帰りますけどね)。日本人の場合、親からもらったからだが五体満足でないと三途の川を渡れない、という考えが臓器移植を阻んでいるのでしょうね。
投稿者:猫
私は脳死状態に限らず、強度の認知症やアルツハイマーでも、
正直、生きて居たいとは思わないです。

まして、自殺を「した」人を否定するようなのは
「傲慢」なのではないかと問い直して欲しいとも思います。

知り合いから、友人の女性が自殺を図ったと言われました。
理由は彼氏の事故死です。
既に何年か経っているそうです。
周囲(両親・友人)は生きるように言っており、
本人も彼氏の事を忘れようと思っているそうですが…。
(どちらかと言うと家の事情の様に聞こえました、
 良家のご令嬢だそうです)

私は…彼女の死ぬ意志の否定は、彼女の心の否定ではないかと思います。
彼女の感情の否定ではないかと思います。
人の心は移ろい変わる物です。
現在の形ですら、本質がある物とは言えません。

しかし、今の感情を、意志を肯定しないと言うのは…。
結局、「社会の都合」でしかない様に思うのです。
人は生まれた以上、いつか死にます。
ならば、「生」自体にそこまで重い価値を置くのであれば、
世界を憎め、神を憎め、糾弾しろと言うのと同じだと思うのです。

「死ね」と言う事ではありません。
「死にたい」と言う人に「なんで?」と問い掛け、
それがどうしようもない時に「そう。頑張ったね。お疲れ様。」と微笑んでそれを許してあげる方が、
余程、その人の事を「認めてあげた」態度ではないかと、そう思うのです。

ラブロマンスや少女漫画を見た事があるなら、問いたいのです。
「変われない」ではなく「変わりたくない」「変えたくない」。
そんな思いもこの世には存在しませんか?
自分の「思い」を「永遠」としたい、「真実」としたい。
そんな風な思いも存在しては居ませんか?と…。

友情も愛情も幻として、執着として切捨て、
ただ理性と博愛のみで生きる事が、どれだけの人にとって、
「幸せ」と思われますかと。
投稿者:ぎったんばったん
『死ぬ権利』!!
お上が喉から手が出るほど欲しがってる権利じゃないんですか?
国民が生涯使う保健費用の一番掛かる時は、終末医療です。

ただ、ちなみに私は賛成です。
病院が『いらっしゃいませ!!』と言う日もそう遠くはないようですね。


投稿者:早雲
@bohさま、こんばんは、はじめまして。
貴サイト、ちょっと覗かせていただきました。中学生と言うこと、びっくりしています。
ご希望がかなって立派な作家になれると良いですね。
またのぞきに来てください。よろしくお願いします。
投稿者:@boh
 はじめまして。今日和。
 今日、"Under the sun"に参加表明させていただいたばかりの@boh(Kyuichiro Akimoto)といいます。
 作家志望の中学生です。
 小泉総理の小恥ずかしい英語を全世界に披露した訪米や、軍事危機を煽るテポドン発射まで、この一週間激動の世界情勢でしたが、あなた方のしている活動がすこしでも世界にとって、そしてこの日本にとって光明となる事を祈っています。
 私は小説で、統一教会の霊感商法・政治癒着問題、731部隊問題、薬害問題、などについて扱っています。
 何かご存知のことありましたら、また現在書いている小説に間違いなどありましたら、私のサイトにコメントしていただけるとうれしいです。
 同志的連帯の挨拶を送ります。

 ---
 「正しい人のままで死なせてください」 
 http://d.hatena.ne.jp/beanguy/
投稿者:早雲
かくまきさま、こんばんは。
「脳死」者はいずれ亡くなる可能性が非常に高いとはいえますが、亡くなってしまった訳ではないのです。臓器を欲しいあまりに他人の死を願うようなことが許されて良いものかということがあります。
もう一つは臓器移植を受けても必ずしも健康な生活を取り戻せるわけではない事があります。
一見善意の臓器提供に因ってかえって患者の命を縮めてしまうことも有るようです。
この話題についてはもう少し考察してみたいと思っています。
投稿者:かくまき
早雲様、すみません。連続TBになってしまったら削除してください。

http:// http://inakadehoel.cocolog-nifty.com/kenpouomamoru/
投稿者:かくまき
続けてコメントします。一時、QOL、リビングウィルという言葉が流行りました。強者の論理でもあったわけですね。今考えると、余計なお世話だったと思います。つい新しい言葉に踊らされてしまったようです。すたるということは、世間の常識の健全さを示すことではないでしょうか。昔米国発の言葉で、栄養は錠剤で取れるといった話を思い出してしまいました。
 臓器提供の決定というのも意外にその時の社会の風潮に結構左右される可能性がありますよね。子どもの場合は本当に死に至るまでが両親にとっても大切な時間だと思うのです。体が生きたいといっているように思います。亡くなってからの移植の研究は進まないのでしょうか。分かりませんが。
 移植医療そのものは必要で、これから得られる医学的発展はきっと何らかの明日の医療に生かされるのではないかと考えますが、子どもに関してはまだまだ問題が多いように思えます。大人と違って免疫抑制剤をずっと飲み続けることも子どもでは大きな問題なのですね。
 移植に必要な億単位のお金が募金で集まるということは生きて欲しいという善意の声が多いということですよね。湾岸戦争やイラク戦争での劣化ウラン被災、ベトナム戦争後に生まれた子供達、中国での毒ガス被災、地雷による被害、エイズ、・・・世界には多くの医療を必要としている子どもがいます。そういう話題がお茶の間に放映されれば、多くの人々の声と善意が届くのではないかと考えてしまいます。

http:// http://inakadehoel.cocolog-nifty.com/kenpouomamoru/
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