「「デフレ不況」で「構造改革」ができるのは全知全能の神のみ 上」
世界経済を認識する基礎
「構造改革・供給サイド整備論」に不変的に反対しているわけではなく、「デフレ不況」や市場原理主義的経済価値観が主流になっている状況だから反対しています。
構造改革ができる経済状況になれば、その時点で合理的な経済改革を提示するつもりです。
1)「デフレ不況」では、構造改革を行おうとしても、経済論理に阻まれ、ただデフレ不況が悪化するだけで目的は達成できない。
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「デフレ不況」で「構造改革」ができるのは全知全能の神のみ投稿者 あっしら 日時 2002 年 11 月 19 日
[理由]
● 名目・実質GDPの縮小が起きているなかの供給力調整は後ろ向きのもの
デフレ不況下の供給力調整は、需要がないから設備を縮小するというかたちになり、将来の需要拡大が期待できるものに切り替えるための供給力調整にはならない。
比喩的に言えば、「デフレ不況」の企業経営は、川の流れに逆らって泳ぐようなもので、目一杯がんばっても下流に流されている結果になる。
そして、時間が経てば経つほど、より下流に位置することになる。
そのような状況で、新規事業を育成することはできない。
経済は、プールのように流れがないということは稀であり、縮小か拡大のいずれかの方向に動いている。
「構造改革」は、時間よ止まれ!もしくはちょっとタイム!ができるなら可能かもしれないが、縮小の動き(デフレ・スパイラル)のなかで実行できないものである。
経済は、人々が生き物であると同じように生き物であり、逆らえば破綻につながる経済論理に規定されるものであることを無視してはならない。
現状の経済で「構造改革」ができるのなら、デフレであっても実質GDPはプラスという経済変動を実現できるはずである。(構造改革論者には、デフレは解消しなくても、プラス成長を達成させて欲しい)
供給力の削減にはほとんどの場合就業者の減少が随伴するものであり、それが、川の流れを加速させることになる。
※ フル操業時の生産能力を示す製造工業生産能力指数(1995年=100季節調整済み)は9月に92・7となり、95年を基準とする統計では過去最低となった。
電気機械や繊維などの需要が伸び悩み、工場の設備廃棄などが進んだためで、製造工業稼働率指数(同)も95・9になった。
● 需要減少を補う財政支出ができない
「デフレ不況」のままでは、“待った”はなしの条件だから、「構造改革」はできない。
“待った”の代わりになるのは、川の流れ(GDP縮小)を止めてプール状態にすることである。
個々の企業は川の流れを止める手段を持っていないので、川の流れを止める役割は政府になる。
赤字財政支出を増加して、失業者や就業断念者の可処分所得減少を「構造改革」が完了するまで穴埋めするというものである。(「構造改革」が完了するまで、どんなことがあっても穴埋めを続けると宣言する)
しかし、現在の手法でこのような赤字財政支出を継続すれば、「構造改革」が完了した後に、利払いと償還のための増税が必至となり再び「デフレ不況」に陥ることになる。
2)好況期で市場原理主義的経済価値観が主流であれば、構造改革は実現できるとしても、国民生活の総体的向上には結びつかない。
[理由]
「構造改革」で生産性を上昇させ国際競争力も高めることに反対ではない。
しかし、それが利潤極大化の手法として追求されるなら、国民経済の総体的向上に結びつかず、70年以降の米国と同じように、所得格差の増大と失業者の増加の道に向かうことになる。
米国は、外国からの通貨流入に支えられて、そのような経済状況でも増税を回避できたが、日本にそれを期待することはできないから、落ちこぼれた国民のセーフティ・ネットのために増税を強いられることになる。
それも、高額所得者や企業への増税ではなく、消費税という大衆増税になるだろうから、結局は、「デフレ不況」に逆戻りすることになる。
雇用者に給与を支払うことと雇用せずに財政支出で救済することは、マクロ的には同じである。
(直接給与をもらうか、他の人の給与から分けてもらうかの違いであり、その違いが意味があるのは、企業が支払う給与が減少することで輸出が増加したときのみである)
このようなことを前提に、せいがくさんの論理を検討していきます。
>「財的豊かさ」(=生活水準の向上)の実現が経済の目標だと思います。だから、これができるなら経済運営は成功と言えます。100人の経済から10人を取り除く事によってそれができるならやった方が良い。
「財的豊かさ」が実現できるのは、経済価値観が転換されたときです。
構造改革を達成したからと言って実現されるわけではありません。
構造改革の目的が競争力(才覚)がある経済主体(人)がより豊かになるというものであれば、「財的豊かさ」が手に入るのは90人だけになります。
そして、そのような状況が、90人のなかから落ちこぼれていく人を徐々に増やしていきます。
>ただ、限られた貨幣量の中で財的豊かさが拡大するということは、財・サービスの単位当たりの価格が下落する’デフレ’を意味しますから、幾ら実質GDPが増え、好景気であってもそのデフレが将来悪影響を及ぼす事が有り得る。だから、財的豊かさの拡大に伴って、通貨当局が適宜通貨量を増大してやれば良いと思います。
名目GDPが縮小していますから、好景気という実感は持たれません。
通貨当局は通貨供給量(マネタリーベース)を増加させることはできますが、通貨流通量(マネタリーサプライ)を増加させることはできません。
それができるのはマクロ条件だけです。
>消費側、供給側共に人々のマインドが前向きに変わっているわけですから、今みたいに通貨が銀行部門で滞って経済に還流してゆかないこともないでしょう。こうすれば、財的豊かさを拡大しつつ、デフレにはならず、物価変動がほとんどない経済になるのではないでしょうか。管理通貨制の下、’通貨的富’を外国から奪う必要などなく、端に通貨発行量を中央銀行が増加させれば良いのではないでしょうか。
一時的にマインドが前向きになるとしても、経済が思わしくないことを認識し、すぐにブルーなマインドに転換します。
以下
(下)に続きます。
7/6/24

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