大筋で同意だけど、そもそも議論しない自由はあるわけだ。もちろん議論しようとする自由を保障した上での話だ。
当然、法理において議論の自由がある国会で論議する必要性があるが、核保有議論において国民のコンセンサスとしてヒステリックな状態であることは冷静な議論ができないという意味で掣肘され指摘されるべき問題のはず。
むしろのその集団ヒステリックな状態につけいるような政治家の発言だからこそたたかれたわけだ。魔女狩りや十字軍のように行け行けドンドンなタイミングで議論することの危険性は当然視座にあって意見するも問題ないし、冷静にいえば、ヒステリック状態での政治判断にどれだけ客観性があるのか?という問題でも、メディアの論調は擁護できないにしても、感受されるべきだろう。
それとも、ヒステリックな状態でもないというならば、自分の記事を核についての論説に当然矛盾することになるだろうけどね。
理屈としては、たたきに正当性はないにしても怜悧な政治学的な視野では掣肘することが可能なのだが・・理解してもらえるかな?(無理かな?)
ちなみに、使える核兵器、使えない核兵器論では、ケネディの相互認証破壊論を持ち出すのが一番無難かつ適当だと思う。
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