「脳死」・臓器移植を問う市民れんぞく講座2001/12/ 8より朝日 俊男氏(医療文化研究センター) の講演からの抜粋です。
ハーバード大学で「不可逆性昏睡」、つまり昏睡状態になって意識が戻らない状態 を「脳死」と呼ぶことを発明して約30年がたち、沢山の論文が発表されました。
その12,000本の論文から、“何年ぐらい脳死状態を続けることができるか”、つ まり「脳死」状態から心循環系死(心停止)になるまでの期間はどれくらいかをシューモンShewmonという学者が調べました。
これは1998年に神経内科では世界で最も有名な学術雑誌「神経学」NEUROLOGYに発表され、興味深い論文として編集者が特別に論説を書いています。
その題がまたふるっていて「もはや死者でさえも、末期患者ではない」というものです。
何故か、と言うと脳死状態で最高14年間生きていた ことが報告されているからです。
臓器移植のドナーにして心臓を取り出せば、もちろん一日で殺されてしまいますから、「脳死」状態で治療の対象とした例だけを調査しています。
1週間はほぼ全例、1ヶ月で約60%、1年で約20%生きています。心停止まで10年というケースも数%います。
人気blogランキング <-- クリックしていただくと、より多くの方に読んでいただけます。ご協力お願いします。
脳死状態となってから1週間以上生存した患者の生存率
1ヶ月 3ヶ月 6ヶ月 1年 2年 5年 10年
59% 41% 32% 19% 13% 13% 8%
ここから分かることは、今まで「脳死患者に治療を多少やっても、心停止まで数日」と言われていたのは端的に誤りであって、それは救命する気がなかった、あるいは臓器提供用に「死体」として利用してしまったのかどちらかだったということです。
それに対して、なんとか治療すれば1ヶ月とか1年という生存率になります。
ここで 「もはや死者でさえも、末期患者ではない」という論説の題が効いてきます。
普通、末期患者というのはガンなどの病気で余命が3カ月とか6カ月の患者をいうことに決められています。
これに対して、シューモンの調査では3から6ヶ月以上生きている 「脳死」患者は30%くらいです。
アメリカでは「脳死」患者は定義上は死者のはずなんですが、「死者の3分の1は末期患者ではない、それどころか末期患者よりも長く生きるかもしれない」という非常に不思議なことになってきます。
だから慢性的「脳死」患者とシューモンは呼んでいるわけです。
「脳死」患者であっても、治療をちゃんとやれば3分の1くらいは慢性的患者になります。
ここから「『 脳死』患者といえども心臓がすぐ止まるわけではない」ということが判ります。
でも 、もう一つ重要なことは「脳が生命の中心と思っていたけれども、それほど絶対的な中心ではなかった。人間の体で脳だけが大事な訳では無い」ということが見て取れるということです。
脳は生命の中心ではない?
今まで「脳死は死である」と信じている人達が、その証拠に挙げてきたことには次のようなことがあります。
ひとつは、「脳は考えたりする意識の中心だから、意識の無い人やIQ(知能指数)の非常に低い人は、自己意識がないのだから生命はあって も人間としては死んでいるといっても構わない」という考え方です。
この無茶な考えの問題点はあとでもう一度検討しましょう。
もうちょっとマイルドな立場では「脳は人体を支配・命令してホルモンを分泌するような統合の働きをする臓器なので、脳 が働かなくなると『脳死』患者のように3〜4日で死んでしまう。だから、脳は知的能力の中心であるだけでなく、生命の中心でもある。心臓も生命の中心だから心臓がやられたら心臓死というように、脳も生命の中心としての働きがあるから『脳機能不全』を死と呼んでも構わない。」という理屈を言っていました。
ところがシューモンさんの慢性的「脳死」と言う考え方が意味していることは
「脳 の働きが多少、悪くなって『脳死』状態になっても、何ヶ月も生きていられる。脳が 生命の中心と思っていたけれども、それほど中心ではなかった。生命とはネットワークみたいなもので、どこか一カ所がやられたから必ず致命的になるわけではない。脳だけが特別に大事なわけではない、ということをはっきりと示した」
ことなのです。
質疑応答
質問=「脳死」状態でも、1年たって2割近くの人が生きているのというのは、治療をしているでしょうか。回復が期待できない場合でも、家族の希望で命を永らえる方向になるのですが、その後がもう無いわけです。例えば貧血になったときに輸血を していいのか。献血をしてくれた人は助けるために献血してくれたということを考える必要があります。医局で「この人に輸血をしていいだろうか」と議論になったことがあります。
朝日=1年以上生存のケースレポートのうち、7例は特に積極的な治療はしないで 、そのうち5人は病院ではなくナーシングホームとか家で看ていたようです。5人全員ともベビーA、ベビーZなどの仮名ですので子供だったようです。
質問=そういう子供さんの場合は、親が「生きている限りは生きさせたい」と思うからわかります。当然、成長しますね。
会場から=シューモンさんの講演を聞いたんですが、10何歳まで生きていた子供のビデオで、体は成長していましたし、音のする方向に顔を向けていました。看護婦さんが家に引き取って看ていました。
朝日=1年以上の生存者は、ほとんど35歳以下の若い患者さんです。35歳以上の患者は、ほとんど1ヶ月以内に心停止しています。論文には「脳死」の原因になったもとの疾患も詳しく書いていますが、一番、大きく余命に効いてくるのは年齢です。
質問=神経内科医の古川さんが「脳死ではなく心臓死直後に臓器が摘出されても、その時点で脊髄が生きていて痛みを感じるのではないか」と言われていましたが。
朝日=痛みはどこで感じるか判らないことなので、判らない、としか言えません。 ただ、脊髄で感じているという説の人は少ないと思います。大脳皮質ではなく、その中にある視床で感じている説の人は多いでしょう。痛い!という感じも含めて感覚という研究分野は、他の人が何を感じているかは正確には判らないため、研究上の方法 での限界があります。
痛みはどこで感じるか?
「脳死」状態の患者は動いたりするし、ひょっとしたら痛みが分かるかもしれない という考え方があります。
「脳死患者に痛みが分かるかもしれない」というのは、そ もそも原理的というか哲学の大問題に入り込みます。
たとえば、私はいまのところ「 脳死」ではありませんが、私が自分の手をつねっても皆さんには私が痛いと感じたか どうかは皆さんには分かりません。
他人の痛みとかの感覚は決してそれ自体として感 じることはできませんし、自分自身の感覚が確実なのとは比べられません。
痛みという感覚は結局、相手がどういう反応や行動をしているか、つまり患者が嫌そうに苦しそうにしていることで分かるものです。
相手がどういう反応をしたかとい うのは、相手が自分とどういう関係にあるかでも変わってきます。
例えば、イヌを蹴ってもイヌ語が分かりませんから、我々にはイヌが痛いと感じているかどうかは分か らないですが、キャンキャンと逃げていけば、痛いだろう、と推測ができます。
それ でも、蹴った人間の方は、野良イヌだとイヌの痛みを感じないかもしれないけれども 、自分の飼いイヌだとイヌの痛みを感じるかもしれない、ということです。
このよう に、他者の痛みなどの感覚は相手との関係性で決まってくる側面があります。
「脳死」状態の患者の場合も、痛みを感じているかどうかはともかくとしても、つ ねったり首をひねったりすると、見ようによっては嫌そうに動いているように見えます。
これはビデオでご覧頂いたとおりです。
少なくとも面白そうに動いているように は見えません、どちらかと言うと「逃げて、嫌がって」いるような動きをすることが 知られています。
脳死患者の3分の1〜3分の2に、こういうことが起きています。
この運動が逃げているように見えるのは、ある程度は当たり前のことで、こうした脊髄反射などの原始的な反射はもともと、自分の身体に害になる何かがやってきたとき に、自己防衛のために脳で判断する時間を節約して、それこそ反射的に逃げ出すという 仕組みだと考えられているからです。
このような状態が、何ヶ月、何年も続くにもかかわらず、この状態を「脳の重病」とは呼ばすに「脳死」と、あたかも死体のように扱う考え方が出てきたのは、何故な のでしょうか。
医学だけでは決められない「脳死」判定
脳死判定基準で「脳死」状態を診断することはたしかに医学的な診断をするという 点では意味があることでしょう。
ただ、臓器移植法による法的脳死判定はまったく狭 い意味での医学的診断とは別次元の問題です。
その人が死んだことになるか、死んだことにならないのかは、単なる医学的診断とは異なり、それが人の社会的運命を変え る大きな意味合いを持つようになるからです。
厚労省の認定基準に従って、社会的に 「脳死」と認められたかどうかによって、生きた人間か死体かということになるので 、その後の扱い方が変わってきます。
極端にいえば、主治医や判定医師の裁量で「厚労省の基準なんて面倒だ」と、いい加減な甘い判定基準で明らかに「脳死」状態とは違う状態でも「準脳死状態」とか「臨床的脳死状態」という曖昧な診断名を付けられてしまえば、ほんとうに必要な治療を手控えることにつながりかねません。
「医学的に脳死判定基準がある」ということと「それが実際に臨床の現場で守られるかどうか」という点はまったく違いますし、「実際に守られたとしても、それが社会的にどう いう意味を持つか」、あるいは「社会的に『脳死』というものをどう扱うか」もまた別の問題です。
さて、「脳死」は日本では「全脳機能の不可逆的停止」つまり「全部の脳の働きが障害されて回復しない状態」と医学的には定義されています。
これだけ聞くと、立派な科学的な定義のようにみえますが、言葉一つ一つを考えていくと、ある意味でいい加減なところがあります。
特に問題になるところは、「不可逆的」という言葉で、「 脳死になったら全員が、そのまま必ず心停止になる」という意味です。
さきほどの慢性的「脳死」のように、「脳死」判定から心臓死までの期間が10年以上におよぶこ とがあるのでしたら、実際上は不可逆的といってもまったく無意味です。
「人間はやがては死ぬ」ということと同じことです。
6/6/5

3