「過去の残滓でしかない政府債務残高を減らすために“生き血”を吸い上げる政策こそ国民生活破壊政策」
日銀(中央銀行)と国債関連
過去の供給活動に支払われてしまったおカネの累積である政府債務残高(ストック)は、債務が履行されるなら現在の経済活動(GDP)にほとんど影響を与えないもの。
(民間金融機関や個人が保有している国債に対し利払いや償還をすればいいだけの話である。金融機関や個人が国債を保有し続けているということは、それに相当するおカネの有利な使い道が他にないということだから、償還で支払われたおカネも国債に戻ってくる可能性が高い)
一方、財政赤字(フロー)は、政府部門が需要を創り出し供給活動を誘発する(支える)おカネの支出であり、現在の経済活動に大きな影響を与え、物価変動(インフレーション)も引き起こすもの。
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財政赤字と政府債務残高の区別をしないほうが“一元論”(「視点を狭める」こと)だろうに...(苦笑)投稿者 あっしら 日時 2005 年 11 月 10 日
現状は中央政府が35兆円の赤字財政でもデフレだが、国際競争環境の変化・高齢化を伴う人口減少などで国内の供給活動力が劣化すれば、財政赤字が「需要金額増加>供給量増加」につながり、抑制が難しい“悪性インフレ”を引き起こすことになる。
高度経済成長期のインフレは企業の設備投資と政府部門の公共事業そして個人住宅購入を主たる要因として継続したが、固定資本形成(設備投資・公共事業)は、供給活動の生産性を上昇させ物価を抑制し実質賃金のアップに寄与するとともに、国際競争力の上昇に貢献し貿易収支の黒字を拡大させる原動力でもあった。
しかし、国際競争環境の変化や高齢化を伴う人口減少などで供給活動力が劣化するなかで起きるインフレは、供給力増大という物価を抑制する要因もなく国際競争力のアップともほとんど関係ないので、インフレがインフレを呼ぶ悪性のものになる。
(輸入依存度が高いなかで円安も同時進行するのでさらにインフレが進行する)
インフレが高まれば保有既発国債の“価値”が劣化し、早くモノに替えたほうがいいという動きも強まりさらにインフレが進むと同時に、民間に引き受けてが少ないから日銀の引き受けに依存しなければならない赤字財政の割合が増大し、これまたインフレを助長することになる。
日本は、中国など他の国民経済の台頭による競争力劣化や高齢化を伴う人口減少による供給力衰退を見越した上でのグランド・デザインが求められている。
そのグランド・デザインのなかには、輸入規模に見合う輸出競争力(供給力)とともに、就業人口と年金受給人口のバランス変化を生産性の上昇と就業者の所得増加を基礎とした配分の変容で乗り切る政策が含まれる。
公共事業はともかく、国民の生活そのものに関わる年金や社会保障の“切り捨て”は限度がある。
年金や社会保障を赤字財政に依存し切った財政構造のまま上述のような未来が現実になれば、高度経済成長期とは違って、救いのないインフレに国民の多くが苦しめられることになる。
だからこそ、フローである財政赤字とストックである政府債務残高の区別はきちんと踏まえなければならないと考えている。
==========[参照]===========
>【財政赤字と政府累積債務(債務残高)の区別】
というのは何でしょうか?もちろん、赤字と言うのは収支決算においてプラスかマイナスかを表す用語ですし、債務と言うのは「返済義務のある借金」であり、累積が付けば「それが、積み重なったもの」と言うのはKでも分かります。しかし、国家破産を論じる中で使用した場合には、どちらも「国や地方が赤字公債を発行してできてしまった。1000兆円を越える借金(負債)」という意味だろうと思います。こんなものを厳密に書かなくとも「意味さえ通ずるのならどうでも良い事」と言うのがKの考え方です。ただし、政府累積債務には「別の意味がある」というのなら「Kは馬鹿なので分からない」と考えてもいます。(ここは、今回の主張に関係無いので、ここまでです)
Kは思うのですが、知恵者ほど「つまらない事に拘る」と言う傾向があるようにも思います。
拘りを持つ事は悪いことかどうかは別にして「視点を狭める」のはある程度は予想されます。
食事の味とか音楽の楽譜などに拘るのなら、分からないこともありませんが、それだって、そのために新しい発見から遠ざかるという面もあるでしょう。
思考と言うものを考えた時、拘りは一種の憑き物であり、たちの悪い一元論への道にもなり得るでしょう。所謂「思考停止」と言う事です。
そう書いているKだって、何時そうなるかもしれませんが、Kは「いい加減で適当」なので可能性的には低いだろうとも思います。」
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過去の経済活動に寄与した残滓でしかない政府債務残高を減らすために“生き血”を吸い上げる政策こそ国民生活破壊政策投稿者 あっしら 日時 2005 年 11 月 10 日
>しかし、問題点は「政府累積債務(ストック)は放置可能か?」です。
あるいは「国家破産を避けるために財政の健全化を叫ばず」に「赤字(フロー)の改善は可能か?です。
例えば、平積みの本の真ん中で寝ているK少年がいます。友人は「オイオイ、そのうち崩れて下敷きになって死ぬから、少し減らせよ」と言います。
「今まで、崩れなかったのだから大丈夫だよ」とK少年は言い「もう、これ以上は増やさない工夫をしているから平気」とします。
結果、数ヵ月後K少年は潰されて死んでいました。
現在の1000兆円越えと言われる「累積債務」はあきらかに危険領域とKは考えています。そこの認識において仮にKが間違っていても、これを放置する事は「国民が本来受けることのできる。『税金の還元たる福祉サービス』が受けられない」という事を意味します。
前にも質問したはずだが、「1000兆円越えと言われる「累積債務」はあきらかに危険領域」と判断する理由を感覚や情緒でなく論理で示すと同時に、国民生活に犠牲を強いらないかたちで債務残高を減少させる道筋を示して欲しいと思っている。
日本の政府債務残高が外貨による国際借り入れで積み上がり財政赤字の補填もそれに頼っているのであれば、国民生活にある程度犠牲を強いても元本返済を履行しなければならず、あるレベルで国民生活を維持できなくなると判断したり追加的国際借り入れができなければデフォルト(国家破産)を選択せざるを得ないだろう。
しかし、債務残高が1000兆円を超えようとも、それが円建て債務であり、日本という国家が存続する限り(国民ないし経済社会の統合力である国家は近代が続く限り必要)、国家破産は必然ではないと既に説明している。
数十兆円レベルのときにも財政危機が声高に叫ばれ、100兆円を超えたときは大騒ぎもされたが、それからわずか15年ほどであれよあれよと800兆円にまで達したのが政府債務残高である。
そのような債務の累増過程は、企業や家計であれば、とっくに破産どころか、そのような債務の積み上げ自体が不可能であることは自明である。
しかし、通貨発行権限を有している政府は企業や家計とは違うし、経済社会を統合している国家はその統合力を維持できる限り維持しなければならない存在である。
「平積み本」の比喩のような政府債務残高の“量”で国家破産を叫ぶ人は、どのレベルの“量”になったら国家破産になるのか、どういう理由で国家破産にならざるを得ないのかを説明する責務がある。
政府債務残高を放置する事は「国民が本来受けることのできる。『税金の還元たる福祉サービス』が受けられない」ともっともらしいことを書いているが、この問題も、政府債務の履行(利払い・償還)が徴税ではなく借り入れで賄われる限りそんなことはないと既に説明している。
(プライマリーバランスの回復を財政政策の目標にするとはそういうことである。既に説明しているのだから、それでもなお『税金の還元たる福祉サービス』が受けられない」と主張するのであれば、その理由を示さなければならない。※ 同じことを繰り返し主張するのなら、それに対して提示された批判をクリアにしてから行うのがまともな人の所業)
逆に、過去の経済活動に寄与した“ヘドロ”でしかない政府債務残高を減らすために“生き血”を注ぎ込む政策こそ、国民生活を疲弊させるものである。
生きた現在進行形の経済活動の代償である所得を、過去に経済活動を支えたものでしかない政府債務残高を減少させるために吸い上げるのだから、「可処分所得減少→需要減少→供給活動低迷→可処分所得減少→・・・・」という悪循環に陥り、国民生活を困窮に向かわせることになる。
>ここをどうにかする工夫をしなければ「結果的には小泉マンセー」と言うことでしょう。
小泉政権の政策が国民多数派の生活を疲弊させるものという認定であるならば、国民生活に犠牲を強いらないかたちで債務残高を減少させる道筋を示さないまま政府債務残高の減少を求めるKさんこそ、無自覚ながら、小泉政権さえも超える国民生活破壊者である。
(政府(財務省)でさえ、国民生活をさらに困窮させ日本経済全体を深刻な不況に陥れることになる政府債務残高の減少は志向していない。終わってしまった過去よりも、人々が生き活動している現在のほうが重要だからである)
2007/8/13

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