>この人物の主張は、そのうち有色人種排斥運動につながる危険性があると考えていますが、あっしらさんはどうお考えでしょうか?
シンガー氏は、ダーウィン主義者(但し、社会ダーウィン主義者ではない)を自称し、「重度心身障害児の“安楽死”許容」を提唱していますから、有色人種排斥運動ではないでしょうが、“身心のいずれかが劣っている”と彼が判断するような人を排斥する運動につながる危険性はあります。
(排斥という自覚はなく、その人のためであり、その人の家族のためであり、社会のためでもあるという意識で...)
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ヒューマニズム(人間主義)の危険性投稿者 あっしら 日時 2004 年 6 月 20 日
シンガー氏的考え方は、ヒューマニズム(人間主義)に根っこがあると思っています。
抽象的な人間というものを前面に出せば、「人間とは何か」という問題が出てきます。
その答えが「五体満足で活動力を有し、物事の理非を判断する知性(思考力)を持っている生き物」であれば、それから外れた人は見た目と違って人ではないという推論につながります。
私は、生き物やその他の自然的存在者は、まず個として、存在意義や存在意味があると思っています。
その後から、人間・豚・山・川という名称や概念が成立するものだとも思っています。
人が思弁的に成立させたものでしかない概念が、あたかも実在であるかのように取り扱われることに危険性を感じています。
ヒューマニズムは、心優しき考えと受け止められていますが、論理や思想として突き詰めていくと罠に嵌る可能性もある危険なものという押さえが必要だと思っています。
(今回で言えば、重度身心障害者も、それとして存在意義や存在意味があり、誰もが他者依存的に生きているのだから、本人が死を選択しない限り、生きるあいだはともに生きるべきだと考えています。「重度身心障害者」なる概念も、人がある存在者を認識して生み出した概念でしかありません)
「ヒューマニズム+ダーウィニズム+自然権思想」の結合投稿者 あっしら 日時 2004 年 6 月 21 日
ピーター・シンガー氏は二度ほどTVで見ていますが、善意にあふれた理性的な人だと見受けています。
(バチカンの枢機卿たちのタチの悪い人相に較べたら、まったくといいほどいい人相をしています(笑):午後九時からNHKの番組でバチカンの聖職者たちに映像を流していましたが、ぞっとするような顔をした連中が目立ちました)
>本来ダーウィニズムは進化論で頂点に立つ人間優位の理論のはずです。
>それがなぜ動物愛護と結びつくのかよく分かりません。
シンガー氏は、雑駁に言えば、「ヒューマニズム+ダーウィニズム+自然権思想」を基盤にした思想家だと思っています。
そのような思想基盤は「動物の権利」につながるものではありませんが、自然権思想がリベラル左派的なものであれば、つながってもおかしくないと思っています。(それらの思想や理論を使えば、シンガー氏的な主張の正当化を私でも書けるという意味です)
進化論的生物の頂点に立つ人間だからこそ、他の動物に無用な危害を加えないようにすべきであり、人間が自然権として人権を持っているように動物も動物権を持っていることを認めることはできるはずだ、と言った感じで...
(“無用”というのは、動物を食糧にしなくとも人は生きていけるし、動物性素材も他のもので代替できるという考えが支えになっています。私は肉食獣ですが、動物性異種蛋白質の摂取は身体にあまりよくないのだろうなという“直観”を持っています)
針供養までする日本の伝統的な価値観でも、自然権思想と結びつけば「動物の権利」を違和感なく受け容れられるはずです。(日本の場合は情緒・心情が強く、シンガー氏は理性的判断が強いという違いはあります。
もちろん、針供養までする日本人なら、「じゃあ、植物はどうなんだ!」という批判に瞬く間にたどり着きます。
シンガー氏が「植物の権利」を主張しないのは、一つには“なんらかの自分の意思で動くものではない未進化の生き物”という認識と、動物は危害に対して“反応”するが植物からはそのような経験を得たことがないという意識があるからだろうと思っています・
(鯨やイルカは知能が高いから殺すべきではないという発想と似たものです)
つまるところ、ヒューマニズムでありダーウィニズムなのです。
>この人物は一見キリスト教的思想に反発しているのですが、実は典型的なキリスト教的思想の信奉者であると思えるのです。
「ヒューマニズム+ダーウィニズム+自然権思想」は、カソリックからは由来しませんが、福音書(エッセネ派的教義)やユダヤ教からは導き出されるものだと思っています。
※ 「動物の権利」が、肉食及び家畜飼育を抑制するために利用される可能性はあると思っています。
今考えると「そんなバカな!」ですが、家畜の飼育に要する穀物飼料の量考えると(ともに人の生存に資するものだが人が直接穀物を食べたほうが効率的)、将来、人口増大が続き穀物増産が伸び悩む状況になれば、そのような「思想」が世界を覆うのは別に驚くほどのことではないはずです。
「牛や豚そして鶏にも生存する権利がある。人間が欲望のためにそれらの命を奪ってもいいのか!」という声がまことしやかに広まり、家畜の量的制限が実行されるかもしれません。
(成長ができなくなる経済状況も高価な食べ物を摂取できる人を限定的にするはずなので、それで起きる貧乏人の欲求不満噴出を抑えるためにも“有用”な思想になるでしょう)
冗談ではなく、それほど遠くない将来にありえる話だと思っています(笑)
「人権」という思想だって、日本で150年前に語れば笑い飛ばされたはずです。
(欧州でも300年前にそれを知っていた人はごく少数だったのです)