ダウンダウンから市街地に上がってゆき、セントラルパークとウフルパークの間の道を抜けてゆくと、「グリーンビューロッジ」はあった。各国大使館の集まる閑静な住宅街の一角。日本で言えば、木造バンガロウが立ち並ぶキャンプ所を、思い浮かべてもらえば近いかもしれない。5.6棟が連なった、長い長屋ともいえる小屋が、広い敷地に点在していた。その名の通り、緑豊かで、私は一目で気に入ってしまった。
Tさんの紹介で、口を利いてくれたのは、ルワンダ人のBさんとGさんだった。お陰で、即、手続き完了。おまけに、生活に必要な、ケロシン(灯油)コンロ、なべ、お皿、など、一式を新品で買うより安く譲ってくれたのにも、とても助かった。
これで、引越しと同時に、自炊の準備は出来た。
6畳ほどの広さで、水道が1つ。たんすと椅子が付いて、トイレ・シャワーは共同だ。それで、家賃2000シル。当時の換算で14,000円くらい。これから自炊して、節約するのだ。そして、ココのレッスンを毎日1時間受けて、心静かに、出産を待つのだ。
と思ったのもつかの間、ココは、一日のほとんどを、この部屋で過ごすことになる。
私たちが部屋をもったことを、ココが一番喜んでくれたかもしれない。さっそく、自分の唯一の財産であるタイコを運んできた。どうも、ココには家もないらしい。しかし、ココは「ジャンボ!(こんにちは)」と現れ「クワヘリ!(さようなら)ツタオナナ ケシオ!(また明日)」と帰っていった。何処に帰るのかは知らなかった。
こうして、部屋が出来て、タイコを置く場所が出来たことで、私たちの部屋は、練習場になったのだ。もう、タイコのレッスンどころではない。どういうことかと言うと、私たちの下手なタイコの練習などやっている場合ではなくなったのだ。次から次に、ミュージシャンたちが集まってきた。私がナイロビのジミヘンと名づけたギターのドミニク。いつもにこやかなベースのウィリアム。気取ったボーカルのニッキー。パーカッションはもちろんココだ。いつの間にか「ジンガロ」というバンドが結成されて、朝から晩まで練習に明け暮れるのだ。
彼らの腕は一流だった。そして、腕を磨くことが、彼らに与えられた唯一の仕事だった。一流の腕を持ちながら、彼らはいつも、仕事にあぶれていた。なのに、明るかった。いつもお腹をすかせているのに、夢でいっぱいだった。練習すること、笑うこと、夢を語ること。私たちの部屋は音でいっぱいになった。
図らずも、私は最高の胎教の中に居た。

(貴重なココの写真)

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