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立 地
新潟県中越地域の中央部に立地する川口町は、江戸時代の旧村21ヶ村がその前身である。明治・大正・昭和の時代の推移のなかで、いく度かの合併で曲折をへて、昭和29年に統合川口村が成立する。さらに昭和32年(1957)8月1日に町制を施行して北魚沼郡川口町となる。
南北に伸びるこの地域に、魚野川は東辺の堀之内から流れ入って、ほぼ中央域を横断するかたちに流れて、信濃川に落ち合う。信濃川は南西域の十日町方面から小千谷市南東部をへて、川口町の中心部近くにまで大きく蛇行して魚野川を受け、西辺の小千谷市に流れ出ている。さらに町域の北辺は、旧古志郡二十村郷に接することで、地域形成がされている。風土文化の影響をうけている。
このような地形立地で、魚野川とそれをうけた信濃川に沿うて国道17号とJR上越線が走り、越後川口駅を分岐としたJR飯山線が西南部に抜けている。現代のJR上越新幹線と関越自動車道も、ほぼ国道17号に並走するように町域を通過している。
信濃川・魚野川落合地を望む段丘上には、関越自動車道の越後川口インターが設けられて、高速自動車交通の十日町方面への分岐の機能を持っている。
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沿 革
〔原始・古代〕
先土器時代 この地域の信濃川と魚野川の段丘面に、古代遺跡は密度高く分布している。
魚野川左岸段丘の荒屋遺跡(西川口)は、14,000年前の先土器時代末期とされている。彫刻刀および細石器の類がおびただしい数で出土したことが注目されて、この彫刻刀は荒屋型彫刻刀として学問的な形式設定の標準石器とされている。また荒屋に隣接する新敷地内および信濃川に沿うやや下流域の牛ヶ島地内にも、細石器の発見例が報告されている。
縄文時代に入ると、川口町域には広く遺物の出土を見ることができる。西川口には旧石器の荒屋遺跡の他にも、縄文時代中期と考えられる遺物の濃密分布を見ることになるが、学問的な調査は未了である。
西川口の信濃川左岸の段丘面には、西倉遺跡・上ノ原遺跡・岩平遺跡が調査されて、縄文中期・晩期とされている。信濃川対岸右岸には牛ヶ島に中期遺跡が、そしてさらに上段の相川には強清水遺跡が同時代のものとみなされている。
魚野川沿いでは右岸の中山段丘に南原遺跡・中山遺跡がやはり縄文中後期の遺物が濃密出土していた。やや山手に寄って五郎谷や久保屋敷にも出土を認めることになる。標高の高い東山山地の木沢には行塚遺跡が認められて、縄文中期とされるが、やや様子を異にしている。魚野川左岸では上位段丘に和南津上ノ原遺跡が知られるが実態は未詳である。奥まった町南部地域の田麦山地域には無沢遺跡・上玄入遺跡などが報告されている。
このように川口町のほぼ全域に中後期の縄文遺物の出土をみることになるが、この時代に後続する弥生期遺跡の痕跡はきわめて薄くなって、和南津上ノ原・野田小丸山・中山スキー場跡地などに若干の須恵器片が発見されているのみでが未詳である。
縄文時代前期の押型紋土器や尖頭器の類も西川口や西倉で報告されて、旧石器時代を受継いだ生活痕がみとめられ、縄文中後期にはその生活痕が濃く見出されるのであるが、農耕文化がはじまる弥生時代に移ると地域の人々の暮らしの痕は見出すことが難しくなっている。
魚野川上流域の古墳文化とのへだたり
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中越復興市民会議:川口町
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