魚野川の下流は魚沼丘陵を横断して流れ、越後川口で信濃川と合流することになる。
その丘陵横断の曲流する左岸に位置する旧村で、その発生を詳らかに知ることはできない。
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曲流する魚野川左岸、手前が枝村・八郎場、遠くに和南津本村、かすむ山向こうに枝村、和南津沢・小貫・北ノ岡がある。
『 古事記 』 説話で、罠網で鵠(
くぐひ )を捉えたとする「高志和那美水門」(
こしのわなみのみなと)の地をここに比定し、和南津の地名起源に説くことがあるが(『
北魚沼郡志』)、この比定地は他にもあって、この説を全面的に支持することは困難であろう。
『川口町史』ではこの地名に、古風土記にみえて、古代水運と白鳥神女の物語に関係する「わなさ神」信仰を奉持する、古代水運とのかかわりを想定している。だが、今日の和南津の限定された地域の名称とするよりも、古代での魚野川と信濃川の合流する立地の意味づけを試みた説明となっている(
三郎次の仮説)が、実証的な検証を得たものではない。
巷に喧伝されたいわゆる
「寛治越後絵図」には、魚野川を「輪奈津川」 などと記しているものもあることから、古くからの和南津を強調する考えもあったが、「寛治越後絵図」そのものが、ほぼ偽図として、近世の作図とたしかめられている。

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( 企画:農業土木研究会、発行:農林水産省北陸農政局・新潟県農地部、「水と土と農・シリーズ その1」(1997年)による )
魚野川と信濃川の水脈の上では意味のある立地と考えることはできても、陸上での後背地に大きな意味を見出しがたいので、ここの立地の意味を、あまりにも誇大視することはさけねばなるまい。
むしろ、中世末から近世にかけての陸路・水路のなかでの立地の意味を探ることが、今日的な意味につながると考えられる。
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和南津村の成立
ずい時、増補改訂 更新
わくわく和南美
はるこい和南美
中越復興市民会議:和南津
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2008-6