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原新田に建つ〔
開田三百周年記念碑 〕の碑文、
(
昭和62年 建立 )
「元禄年間」
「江筋を向山地内の相川川より」
「幅四尺 長さ千七百十一間」
「田畑二十六町九反」
「中林新田」
の文字がみえるが、刻記された碑文の記述は何によったのであろうか。
川口組大肝煎役(
大庄屋)を勤めた
中林家の古記録(
故当主 中林誠さんのご好意による披見)によると
「川口村芝野開発成就 元禄七
戌年五月」
「此反別二十六町九反・・・」
「中林新田」
「同十一
丑年一村立
ニ引離 原新田」
の文字が読める。
この古書は中林家累代の事績を、一代ごとに書き継いでいるのだが、当主にならなかった太左衛門の扱いは特例である。
記録は、天和3年没の同家12代六郎左衛門重継の事績に次いで書きしるされている。六郎左衛門重継が没後、世襲の小六郎は幼若なため、
稗生村の杵渕太左衛門が後見役として中林家に入り、
川口組二十ヶ村を束ねる大肝煎役の「御用向取扱役」を勤めたこと。この間、
芝野開発の新田をおこし、そこに新田高の内から五十五石を、太左衛門の持分として名請し、分家したとしている。
原新田の伝承の
原田大蔵と、古文書に現れる
杵渕太左衛門。元禄期の西川口大開発にかかわる二人の人物、
その時代と社会とのかかわりは如何であったのだろうか。
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(つづく)

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