( 前のページ )←
三郎次は〔 開田三百周年記念碑 〕が建立される以前、
原新田の原田家をなん回か訪れていた。夏季だけここにお住まいのご当主の原田恵美利さん(故人)は品のよい老婦人であった。
押入れから取り出された古記録のすごさに興奮したことを覚えている。
三百年前の原新田開発がそこに表れたのである。
そのとき分かったことは。
貞享元年(1684)に
中林太左衛門が、新田を計画して出雲崎代官所に願い出たことであるが、その普請工事には、
魚沼郡の各地域、村々から大勢の普請人足が動員されていたことである。
幕府公認の下で、魚沼郡の各村々に普請人足の出動を求める催促権が、中林太左衛門に認められたことで、つまりこの事業は公共工事に準じていたことになる。
貞享元年の太左衛門の出願は、云わば御用人足の催促権の申請であったことになる。そして、それが認められるための要件はなんだったのであろうか。
(
貞享元年、中林太左衛門による新田計画の願出)
(
写真はクリックして下さい )
( つづく)

0